高野通信」カテゴリーアーカイブ

豪雪です


家に入るには、この雪の山を越えなくてはなりません。
この写真では見えませんが、階段をつけてあるのです。



雪山の上からの眺めです。
車の屋根が、完全に下に見えています。


今日も降っています。
例年2月も下旬にかかると、雪のカサは減り始めるのですが、今年はまだこれから増えそうな気配さえあります。
すでにここ数年の平均をはるかに超える積雪量になっています。

しかしここまで増えると、逆に覚悟が決まると言うか、どこまで行くか記録が楽しみというおかしな心境になるから不思議です。

画像を見てお分かりになると思いますが、屋根から落ちた雪を離れたところまで運ぶために2mくらいの高さの積雪の上にスノーダンプを滑らせるための道を付けています。

最後は登り坂にして高い所まで押し上げ、その山の上から落とします。
炭鉱のボタ山が高くなってゆくのと同じ理屈で、雪の山がどんどん高くなって行ってます。
もう3mは越したと思います。
上に立つと、目線は大きな母屋の軒と同じ高さです。

それで思い出すのですが、雪の少ない冬など、すでに2月の終わりに開いた地面に福寿草が咲いているのが見られたこともあるのです。
今年は、まだまだとんでもない、はるか雪の下深く埋もれています。

で、記録破りは楽しみですが、雪かたしにはいささか疲れが出て来ました。
でも、あと半月の辛抱・・・かな?
さすがに減り始めるはずです。

明日はパン焼きで忙しいので、あまり沢山降らないように願いたいのですが・・・、雪マークがびっしり並んでますねぇ。

早く寝て、体力温存しなくては。

ではでは。

今年もまた高知へ

ここ十数年間大体毎年一度この季節に、郷里の高知に帰省しています。
父を亡くしてからのことですが・・・。

本当は、父が生きているうちに、度々顔を見に行けばよかったのにと、今頃になって思っている親不孝者の私です。

残った母も今では92歳。
ここ数年来、急速に認知症が進み、いつ忘れられてしまうかと思いながら訪ねて行きます。

私は、郷里を出てもう40年。
次々と居場所を変えて、今やっと会津に落ち着けるかどうかというところです。

以前から申し上げていますが、私には二つの故郷があるような感覚があります。

高知は、何と言っても生まれ故郷ですから、子ども時代を共に過ごした連中とは、何十年経っても名前呼び捨てで遠慮なくものを言い合います。

一方こちら会津は、古いお付き合いは一切ありませんが、何と言うか親しみを以ってお付き合いしていただいています。
会津の女性と結婚した息子もいることですし・・・。

それで私は、この会津というところが好きと言うか、どこか安心しているのです。
それは、高知と会津が対照的なように見えて、実は根の部分では同じだと感じるからです。

そのことに気が付いて以来、年に一度ですが、会津と高知を往ったり来たりするのが楽しみです。
今回もまた、そんな感覚を確かめながら、高知に出かけて来ます。

話しは変わりますが、「八重の桜」を見ながら、その昔土佐と会津は敵対しましたが、もし会津と土佐が仲良く協力し合える関係だったら、世の中は全然違った展開になっていたに違いないと思います。

この日本だって、もっといい国になっていたかも・・・と、思わず地域ナショナリズムに酔っている私です。
どうぞ、笑ってやってください。
ではでは。

カテゴリー・土佐ネタ日記をご覧いただければ幸甚に存じます。

本日も・・・でした。

本日は、午前中雪。
それも吹雪いて、「あらまぁ・・・!」と言う感じでした。
それが、お昼前頃から止んで、気温も上がった様子。

突然、店の前に大量の落雪が。
そう、昨日の雪下ろしで手を着けなかった側でした。
店前の道路を塞いでしまいましたので、早速スノーダンプで片付けです。

外は何と言っても寒いですから、たっぷり着込んで作業を始めるのですが、じきに暑くなって汗をかきます。
それに合わせて、どんどん薄着になって、今日は思い切って上半身は下着一枚になって見ました。

いやいや驚き!全然寒くないし、逆に気持ちがいいくらいで作業も楽です。
終わった後も、下着が濡れ雑巾のようにならず、作業後間もなく体温で乾いてしまいます。
体が冷え始めたら、次々と着込んで行けば、何事もなかったように快適です。

午後はコーヒー焙煎を終えた後、この手で暗くなるまでずっと作業していました。
今日は、娘二人も参戦してくれましたので、一気に片付いてホッとしているところです。

それに何と言っても、お腹が空いてご飯がおいしい!
食後のひと時、椅子に座ったままボーっとしているのが、殊更幸せに感じられました。
素晴らしいご利益ですねぇ。

そして明日は、晴れのお天気のようなので、忙しいパン焼きの最中、気を揉まないでいられそうです。

パン焼き、がんばります。
たまねぎパン、かぼちゃあんぱん、買いに来てください!
コーヒーサービス、ケーキの試食、あります!

雪かたし・雪かたし・また雪かたし

今シーズンは、もうはっきり豪雪だと言える状況です。
積み上がった根雪の高さが、半端ではありません。

今日、この冬二度目の屋根の雪下ろしをやりました。
以前は、「〇〇と煙は高い所に上りたがる。」の倣い通り、カメラなんか持ってちよっとしたイベント気分でしたが、今年はもうそんなはしゃぐ余裕はありません。

午前中から昼過ぎまでかかって、下ろした雪の量が大変なものでしたから、午後からはその屋根の下の雪を片付けるのが、これまた大変でした。
夕方までかかって、もはや足腰立たない状態。

今日はこれまでとあきらめて、飯食って風呂入って、あとは寝るだけです。

でも多分、明日になったら、きっとまた夢中になって雪かたしやってますよ・・・。

ではでは、おやすみなさい。

私的未来考

持って回った言い方してますが、要するに自分の老後を考えて見たということです。
一昨年還暦を過ぎて、只今60代前半。

あと何年生きられるか分かりませんが、長く見積もってもあと三十年はどうでしょう・・・?
そして時間の長さもさることながら、どのような状態で過ごしているか?このことの方がより重要かも知れません。

急速に高齢者の割合が多くなりつつあるこの国で、当然のことながら医療や介護を必要とする人の割合も多くなります。
世話をしてもらう人が世話をする人より圧倒的に多くなったら、医療や介護のシステムは破綻してしまいます。

自分が、実際にどうなるかは別にして日頃の心がけとして、医療や介護のお世話にならずに済むようでありたいと思っています。
そのためには、先ずは体の「健康」ですね。
心の在り方も大切だと思います。

それでも老いには逆らえない局面もあるでしょう。
予期しない怪我もあるかも知れません。
しかし、何があっても、出来る努力をした上での結果ならば、覚悟も出来るというものです。

そしてやがて必ず訪れる死。
生と同じく、一生に一度だけのイベントですから、しっかりと心の準備をして、颯爽として逝きたいと思っています。

そのためにも、今が大切なのですね。

「終わり善ければ、全て善し。」の倣いの通り、「全ては善きことのためにのみ計らわれていた。」と納得して我が人生を終わることが出来ますように・・・。

panda編集、あと少し

印刷版のパンだよりの編集をしています。
あと少しです。

今月も、お知らせしなくてはいけないことがいろいろあるので、本当はもっと早く出したかったのですが、なかなかきっかけがつかめませんでした。
楽しい紙面を造るには、ぜいたく言うようですが気持ちのノリが大切なのですね。

でもおかげさまで、昨日と今日はとてもスムーズに進みました。
連れ合いのイラストも、楽しんでいただけると思います。
明日には、公開出来ると思います。





  それで昨日は・・・

昨日の夜は、日頃親しくお付き合いしている仲間うちで、直ぐ近くの公民館(真夏のカレーパーティーをやった場所)を借りてバドミントン新年会をやりました。
打ち合っては飲んで食べて、また打ち合って、なかなか楽しい新年会でした。

で、参加者の中で還暦を過ぎているのは私だけ。
若い方々に加減していただきながら、運動不足の解消をはかることが出来ました。

それでこの次から、バドミントンクラブとして団体登録して、頻繁にやろうという話になりましたので、私も都合がつく時は積極的に参加したいと思っています。

そんなわけで、昨日はブログはお休みしたというわけ。

明日はコーヒー焙煎です。

運が良かっただけ・・・

NHKオンデマンドを契約したのを機会に、原発事故関連のドキュメンタリー番組を見ています。
ずい分沢山の取材番組があったようですが、ネットなどで私が見たのは極限られた一部に過ぎません。

昨夜は、昨年7月に放送されたという「NHKスペシャル・メルトダウン・連鎖の真相」を見ました。
もう半年も前の番組ですが、もしリアルタイムで見ていたら、この半年間の原発に対する物言いも、少しは変わっていたかもと思えるものでした。

結論を言えば、今回の原発事故の影響がこの程度で済んだ(・・・と言っても、もちろん重大ではありますが・・・)のは、本当にただ運が良かっただけ・・・であったと言うことなのですね。
番組を見ながら、もう愕然とするしかありませんでした。

科学や技術の限界は、それなりに分かっているつもりでしたが、予期せぬ事態とは言え、これほど手も足も出せなかったとは知りませんでした。
そしてこれは、単に技術が劣っていたと言うのではなく、重大事故を想定しないまま何の対策も講じて来なかったことの方に、むしろ重大な責任があると思います。

2号機って、本当にヤバかったんですね。
そして他の号機も、これからどのようにして最後まで後始末が出来るのか・・・。
あまりに途方もないと言う気がします。

取り敢えず落ち着いているとは言え、毎日2億4000万ベクレルの放射性物質が今も拡散し続けていることに、注意を払わねばなりません。
そして私たちは、もっともっと頭を冷やして原発に向き合う必要があると思います。

この際原発を語る時は、経済の事は外しておかなくては、冷静な思考も正しい判断も不可能!と思っている私です。
さらに立ち戻れば、真に経済のことを考えたのなら、原発を選択することは出来なかったはず!とも思います。
一体、誰の利益のため?誰の策略?

まだあと何本か、見たい番組が残っています。
それらを見ながら、考えてみたいと思います。





  今日は、節分でしたね。

夜、豆まきをしました。

「福は内、鬼は外!」

福にも鬼にも、人それぞれに含みがあるのだと思いますが、誠実な心と行いが報われる世を願いつつ、またまいた豆が野鳥の餌にもなるように、場所を選んでまきました。

除雪に明け暮れた一日

昨日は、営業日でしたから仕事の合間を縫って、それから仕事が終わってから、何だかんだと除雪に追われました。
そして今日という今日は、朝から一日中夜までかかって、つい先ほど一応の作業を終えました。

次第に溜まった軒の下の雪の山が、少しの落雪で直ぐに軒に届くようになっていましたので。
時間が十分あれば、しばらく手を出さずに済むくらい思い切って下げることが出来るのですが、いつもそこまでやり切れないで終わってしまいます。

それでまたこの冬の雪がやっぱり多いものですから、今日は北側の屋根の雪が落ち切れずに残ったまま軒を塞ぐ格好になってしまいました。
台所の換気扇も出口を塞がれて、排気が出来ない状態に。

とにかく家の周囲の軒下が皆こんな状態なのですから・・・。

今日は先ず、落雪で塞がっていた母屋の玄関を掘り出して階段を付け直しました。
それから、裏手の換気扇がある側の落雪を片付けて・・・。

「春が来れば、必ず融けて無くなる。」のではあるのですが、それでもただ放っておくわけに行かない場面も多々あるわけで、融ければただの水なのに・・・と思いながら、黙々とその雪を片付けていると、何だか禅の修行の趣きです。

こう言っては何ですが、この非生産的である意味全く無駄な労働が、私は本業のパン焼きより好きかも知れません。

それにしても疲れました。
体中筋肉痛です。

でも、自慢じゃありませんが、腰を傷めたりはしませんよ。
その辺は、加減しています。
何しろ華奢な体つきですから、細く長くなら何とか勤まるのです。

さてさて、あとはもう何もする気になれません。
風呂に入って、寝るだけ!

束の間の晴れ、除雪に追われ・・・

朝、今日も雪かと覚悟していましたが、予想に反して青空が見えました。
日中、明るい日差しが雪を融かし、屋根の上からは70~80cmの厚みの雪が、次々となだれ落ちました。
店の前の道路も、大量の落雪で二度通行不能になり、除雪に追われました。

昨年、2月にも同じように道路を塞ぐ落雪がありましたが、<こちら> 
今回は二回に分けて落ちたので、下の娘と二人だけで片付けることが出来ました。

それで予定していた「カフェクラブの集い」は、私が除雪にかかり切りになりましたので、ワークショップは全てキャンセルして、単なるお茶会にしていただきました。

それにしても、完全に豪雪の様相です。
いつも屋根に上る時に梯子をかける場所にしている雪山は、今はもう軒に届きそうなほど高くなり、その上に立つと一またぎで屋根に足をかけられる状態です。

もうこれ以上落ちる場所がなくなると、いろいろと困ったことになりますので、雪を移動して雪山を低くする作業もやりましたが途中で暗くなり始め、その後はしばらくヘッドライトの明かりを頼りに作業しなくてはなりませんでした。

夜になってやはりの予想通り、家の玄関の側の屋根の雪が落ちて、戸が開けられなくなっています。
さすがにこれは、明日ですね。

お疲れ様でした!

ではでは。

八重の桜

地デジ難民の我が家では、テレビ放送は受信出来ません。
テレビは見ないで過ごしています。

でも、今年話題の大河ドラマ「八重の桜」がどうしても気になって、NHKオンデマンドを契約して見始めたところです。
会津がどのように捉えられ語られているか、全国の多くの方々の目にどのように映るのか、それが少なからず気になりますから。

で、冒頭から出て来ましたね。
「ならぬことはならぬ。」と。

この言葉に、会津の人々は、少なからず誇りを持っているような気がします。
会津若松駅前や街角のあちこちに、この言葉を記した塔や看板が立っていますから。
まあしかし、ドラマを見ていても分かることですが、そんなことで黙って引き下がらないのもまた会津人なのかなと、思う土佐生まれの私です。

会津で一番の美徳とされるのは、多分「忍耐」だろうと思います。
前にも申し上げたかも知れませんが、雪に閉じ込められる冬の季節の厳しさが、この価値観を生んだのだと思います。
どんなに厳しくても、春になれば必ず融けて消える雪。
耐えて待っていれば、春はやって来ると、その約束が果たされなかったことは無いのですから。

余談になりますが、土佐の高知ではどうか・・・。
当事者の私なのですが、今一つピンと来るものがありません。
他所の方がご覧になれば、かえってよく見えることなのかも知れません。
まあ敢て言うなら、「臨機応変」というところでしょうか。
会津とは、全く対照的です。
そしてこれもまた、土佐の気候風土が生んだ気質だと思います。

さて、「八重の桜」を見ていて今一つ気になったのは、戦争を美化する空気が流れてはいないかということです。
もちろん、まだまだこの先のドラマの展開を待たなくては結論出来ないことではありますが・・・。
筋書き上「八重」をヒロインとして扱う以上、戦争の悲惨さや武器の非情さにスポットが当たることは、ほとんど少ないだろうと思います。

ドラマの中でも出て来ましたが、軍艦や大砲や銃などの圧倒的な力に、あこがれや興奮を感じ、好奇心を抑えられないのは、子どもや若者の特質と言うより人間本来の特質かも知れません。
一方、その趣くままに突き進んで来た結果が、原発の爆発だと思うのは私だけでしょうか。

それからもう一つ余談になりますが、アメリカはすでにこの時代から、海外に向かって覇権の手を伸ばしていたのですね。
ペリーのやったことは、どう見たって脅しですから。
それが外交というものだよ!と言われるかも知れませんが、ちょっと違うのじゃないでしょうか。
今や、世界に向かって欲望を膨らませるだけ膨らませたアメリカは、世界中を食いつぶして、自ら諸共この世界を滅ぼしてしまうのではないかと思えますから。

話しが逸れましたが、この一年間「八重の桜」は、会津の絶大なる広告塔の役割を果たすのでしょうね。
そのこと自体は、会津にとってはありがたいことですが、もしかしてその代償が戦争美化のダシというのではたまりません。
再び自民党の政権になって、国防軍や徴兵制の話も具体性を帯びて来そうな気配ですから。
もし、「八重の桜」がそのための伏線の役割を果たすことになるしたら、とてもとても嫌なことです。

尤も、私などが戊辰戦争の真実を知る由もないのですが、会津には地域の歴史を丹念に堀り起している方が少なからずいらっしゃいます。
最後に、ある方のブログをご紹介して、終わりたいと思います。

菅家博昭さんの「記憶の森を歩く・2013」より、<野尻組の会津戊辰戦争>