無料コンテンツは、本当に無料か?

PCを使っていると、またインターネットを利用していると、無料で使えるアプリケーションやコンテンツがあまりにも沢山あって、どれを使おうか利用しようか、またどれが自分のニーズに合っているか、本当に迷ってしまいます。
新しい物好きの私でさえ、これではもう次から次へとキリがないと、かえって保守的になってしまうほどです。
そんな業界の動向に促されてか、かのマイクロソフトが看板商品のMS Office を、インターネット上で無料で利用出来るようにするのだそうです。

無料コンテンツと言われて、すぐに頭に浮かぶのはグーグルだと思いますが、あれほど多彩なサービスを全て無料で利用させて、それらの開発費やサーバーの維持管理費をどのようにしてまかなっているのでしょうか。
素人の私には、およそ想像がつきません。
ただそうに違いないと思うのは、使うのは無料でも、回り回って私たちはどこかで必ず支払いをしているはずだということです。

今の世の中は本当に複雑怪奇で、そのものの価値に一円の支払いもせずに恩恵を受けられたりするのですが、どこかで騙されていはしないか、そんなことを考えてしまう私です。


モノづくり商売で、似たようなことが出来るかどうか、ちよっと想像してみました。
例えば、食工房のパンを無料で差し上げる仕組みを作ることは可能でしょうか?
製品そのものの代価を要求しないとすれば、製造販売コストを賄ってくれるスポンサーがいなくてはなりませんね。
パンを食べる時ジャムやマーガリンなどを塗って食べるので、その方面の業界がスポンサーになってくれるでしょうか。
また無料のパンをもらいに遠くから自動車で駆けつける人があれば、ガソリンが必要ですから、ちょっと苦しいかも知れませんが石油業界は・・・?
いやいや、この程度では到底無料にはなりません。
まあ例えばの話しです。


こんな風にして、製品そのものに支払いをしなくていい仕組みが、情報産業では成り立っているのですね。
ですから、私たちがどこかでちょっと何かを買ったり、飲んだり食べたりする時、極々僅かでもグーグルのために幾らかずつ取られているということなんじゃないでしょうか。
きっと、網のように張り巡らされたお金の通り道を、グルグルと回り回っている間に、少しずつあっちに幾ら、こっちに幾らと利益が吸い上げられるのですね。
無料コンテンツで得だけしたような気になっていても、その実私たちは、それ以上の支払いをさせられているかも知れません。
それだったら、そのものの価値に見合った直接的な支払いをする方が、正道のような気が私はするのですが、皆さまはいかが思われますか。