戦争のリアリティーが失われる時

しばらくニュースから遠ざかっていて知りませんでしたが、アフガニスタン・パキスタン国境地帯に、アメリカ軍の無人攻撃機が実戦配備されているのですね。
すでに何度も出動し、戦果を上げているとか・・・。

つい先日このことを知って、私は心の底から薄気味の悪い恐怖を感じました。

今は未だ技術的に未熟だというものの、その攻撃によって実際に人が死んでいるわけです。
このことは、そう遠くない将来、戦闘用ロボットを使って戦争をするようになることの前触れだということです。


無人戦闘攻撃機に限っても、事前のプログラムに沿って自律行動可能な無人機を、一人で3機程度まで操作出来るようにするというのです。
それがどんなに恐ろしい攻撃であれ、遠く何千kmも離れた安全な場所にいて、モニター画面を見ながら指示を出すだけ。
画面の向こうで、沢山の生きた人間が吹き飛び、血を流し苦しみながら死んでいても、おそらく戦争映画ほどのリアリティーも感じないでしょう。


そして元々は、生身の人間同士の喧嘩の延長に過ぎない戦争が、ここまで来るともう、何か次元の違う無味乾燥な殺人行為としか思えません。
リアリティーがないということは、誰が誰を殺すにしても、撃たれたから撃ち返すというほどの理由もきっかけも必要なく、心の痛みにも易々と目を閉じて、命令に従って淡々と作戦を実行出来るのです。


さらにそこには、厳然と格差が存在しています。
高度なハイテク装備で武装出来るのは、世界の中でも限られた国でしかありません。
先行している分、益々優位が高まるだけです。


戦争が理不尽なことは分かり切っていますが、無人機による攻撃や戦闘ロボットの手で殺されることは、さらにもうどうしようもなく理不尽で、とてもやり切れないでしょう。


そんなことが実現するくらいなら、いっそのこと人類なんか滅びてしまった方がいいと思う私です。