11日

今日は6月11日。
東日本大震災から2年3ヶ月になったと、ラジオが告げていました。

11日は、震災で亡くなった沢山の方々の月命日なのですね。
そして思い出すのは、今世紀初頭2001年9月11日、アメリカの同時多発テロです。

11日という日に、何か特別な緊張感を持ってしまうのは、私一人ではないと思います。
今日はそんなことを思いながら、この度の震災がもたらしたものについて、自分なりに考えたことをまとめてみたいと書き始めています。

震災の年2011年は、私は年男でしかも満60歳の還暦を迎える年でした。
まさか、そんな自分にとって記念すべき時期に、これほど大きな出来事に遭遇するとは、正直夢にも想っていませんでした。
そして福島第一原子力発電所の4つの原子炉が爆発、大量の放射能が拡散し、この日本だけでなく世界の注目を集める大惨事なったことも・・・。
土佐の高知生まれの私が、この時被災当地の福島県民だったことも、全くの想定外。

しかし、これが運命というものですね。
以来、その意味を噛みしめながら、毎日を過ごしています。

先ず一つ思うこと。
あの爆発した原子炉には、大量の溶融燃料が残っています。
その後始末は、本当に可能なのか・・・ということ。
廃炉への工程表は示されたものの、その戸口に立つ前から、早くも汚染水の処理が破綻しそうです。
そもそも人の手に負えるものではないというのが、真実ではないか?そうとしか思えない私です。

では、何故避難しないのか?怖くないのか?

うーん・・・、とても難しい質問です。

後になって思ったこと、それは、3月の当初1か月くらいは、どこかに避難していた方が良かったかも知れないということです。
でも、結局どこにも避難しなかったし、外出時の用心も足りなかったかも知れません。

では、そのことを考えて不安にならないか?

それは、正直ありません。

今になって分かることは、私たちの被曝量では放射線の害が出るかどうかは、それ以外の要因に大きく左右されると思うからです。
だからと言って、自分は癌にも白血病にもならないと自信を持っているわけではありませんが・・・。

何と言うか、別にいい恰好したいわけではありませんが、覚悟は決まっているのですね。
生きているということは本当に不思議なことだと、震災以後、私を捕えて離さない感覚です。

その感覚の上に立つと、「人生の価値とは、何年生きたか、ではない。」・・・と、誰かが言った言葉かも知れませんが、私も全くそのとおりだと思います。
しかしまあそれも、60年余り生きて来た私が、若い方々や子供たちに向かって言うべき言葉ではないかも知れません。
それは承知で今一つ言いたいことは、「命を大切にする。」その意味は、とてもとても深いものだということ。
そして福島の大地は、今以て多くの命を支えているということも・・・。

とは言え、何もかもが際どいところだったかも知れません。
だからこそ申し上げます。

何としても、原子力発電を止めてもらいたい!
電力が・・・、経済が・・・、言わないでいただきたい。
そんな事じゃないのです。

本当に失ってはいけないもの・・・。
見間違わないように・・・。

原発

新潟県の友人が送ってくれた、手描きの手ぬぐい。