川内村の場合

川内村

緑のところが水田、土が見えているところは蕎麦を蒔いたばかりの圃場。


川内村

どの水路にも、澄んだ水が溢れるように流れていました。


川内村

今朝6:30頃、この道を遠藤村長がジョギングしているところに行き会い、しばし立ち話をしました。


川内村

「ひとの駅かわうち」
震災以来休館中だそうです。


川内村

「ひとの駅かわうち」の裏手に開設された、原子力災害を考える資料館。
その名も「感がえる知ろう館」


川内村

当時の新聞やいろいろな人が撮った写真、全国から寄せられた励ましの寄せ書きなどが展示されています。


川内村

展示物の中には、防護服や防護マスクの実物、ガイガーカウンターなどもありました。

二泊三日の旅を終えて、今日の午後会津に戻って来ました。

川内村にいる間、昨日の朝も今朝も、朝食前の時間に外をジョギングしましたが、田畑が本当によく耕されていて、その風景は感動的でさえありました。
風景に、人の暮らしが感じられることは、何にも増して人の心を安心させるということを、思い知らされたような気がしています。

川内村は、直後から奇跡的と言われるほど線量が低く、帰還の条件が整っていたことはもちんあります。
しかし、「戻りたい!」という気持ちは、多分昨日訪ねた葛尾村の人たちだって同じはずです。
それが分かるから、「川内は、運が良かった。幸せだ。」、そんな言葉が口をついて出るのですね。

一部には線量の高い地区があり、特定避難勧奨地点に指定されていますが、そこ以外はほとんどの地区に人の暮らしが戻りつつあります。
とは言え、帰村率は現在のところ40%ほど。
人口も、1200人に止まっているとのこと。
帰村者の大半が高齢者で、高齢化率は70%超。

これは、30年後の地域社会の現実を一足先に体験することになった、ということです。
地域のコミュニティーの再生は、簡単ではありません。
次々に人が戻って来て、自然発生的にコミュニティーが形成されることを期待するわけには行かないのです。

地域社会を動かすための人材が、今何より一番必要だと、村会議員のお一人は力説しておられました。
都会からのIターンを受け入れ、人材育成のためのプログラムに参加してもらう事業も始まっているそうです。

そうして見ると、川内村の現状は、日本の地方の地域社会の未来そのものだということが分かります。
人口減少と都市集中によって、これから急速に襲って来るであろう地域社会の崩壊をどう受け止めるか、川内村の今後に熱い視線を注がないわけには行きません。

原子力災害の傷は、重く深く横たわっているけれど、可能な所から粘り強く再生に向けて努力して行けばいいのであって、廃炉までの途方もない時間のことを想って絶望していてもしょうがないのです。

だからです、だからこそ、過ちを繰り返してはならないのだと思います。
やはり、原発は即刻停止、ただちに廃炉に向けて進むべきです。

お分かりにならないと仰るなら、どうぞ被災地にいらして現状に触れてください。

フクシマは、いつでもあなたのご来訪をお待ちしています。

余談
お世話になった宿のご主人曰く。
「夜、富岡の街を通ったことがあるけれど、それはもう心の底から震撼するものがあるよ・・・。」と。


帰り道に立ち寄った「原発資料館」のことは、また明日にでも。