戦争で死ぬのは、人間だけではない

今日は8月6日、広島原爆の日でした。

一発の爆弾であれほど沢山の人が死んだのは、今の時代まで下っても、あれ以来ありません。
そして、あの戦争で世界中で、一体どれほどの人が死んだのか・・・。

広島と長崎に原爆投下という多大な犠牲を払って、やっと世界平和が実現したかに見えたのも束の間、その後の世界は全面戦争こそありませんが、ほとんど絶え間なくどこかで戦争が起こっています。
今も、パレスチナでウクライナで、多くの人の血が流されています。

私は、そうした戦争のことを知る度、想うことがあります。
爆弾が炸裂し銃弾が飛び交うそこは、草木があり虫や小鳥やネズミやモグラたち、沢山のイキモノたちが生きている場所だということ。
戦争で死ぬのは人間だけではないのですね。
名もなきイキモノたちが、何の前触れもなく何の謂れもなく、ずっとずっと沢山命を落としているはずです。
そしてもし、そんなことに想いが及ぶなら、戦争など起こらないだろうとも思います。

こうして人間が犯し続ける罪を、地球のお母さんはどこまで許してくれるでしょうか。

最後に、そんなことを思うきっかけをくれた、あの戦争に従軍した私の父が残した文章をご披露いたします。


クリン草

去年上関の姉の家から、株分けしてもらった桜草が見事に咲いた。
ピンクに白のふち取りのある花は可憐で、葉の色や形も花と釣り合って、春の喜びを語りかけるような風情である。

私は数年前まで、クリン草を桜草と思っていた。(クリン草も桜草の仲間だが)
私の生まれた上関鉱山の家の庭に、クリン草が一株あった。
人にもらったのか、母が山から取って来たものか解らないが、大きく株を張って、二段にも三段にも咲いた濃いピンクの花は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

満鉄に入社して三年目、通化(※)の鉄道守備隊へ入隊した。
二年兵になった五月末のある日、初年兵教育の假設敵となって、草原の台上に教育班と対峙していた。

満州の五月の草木は、芽もつぼみも一緒に出て、花と葉が一緒に開く。
むせるようなにほいのする草の上に伏せると、厳しい冬の寒さから解放されたうれしさ、二年兵になり久しぶりに野外に出た開放感で、踊り出したいほど心がはずんでいた。

ふと軽機関銃の銃口の向こうに、クリン草の一株を見つけた時の驚き!

色彩の全くない長い冬の、兵舎の生活に荒んだ目と心に、ピンクの花の色が迫って涙があふれた。

今日、火曜市へトマトの苗を買いに出かけたら、露店の草花屋にクリン草が数鉢ならんで咲いていて、思わず足を止めた。

子どもの頃庭に咲いていた花、大陸の台地の草原で巡り合ったクリン草、そのピンクの色のやさしさを、三度目にして私は立ちつくしていた。

※通化省(つうか-しょう)は、満州国にかつて存在した省。現在の吉林省東部、朝鮮民主主義人民共和国との国境地帯に相当する。