プーチンの戦争、ロシア国民の責任

★5/10投稿予定だった記事です。

昨日5月9日は、旧ソ連が第2次世界大戦でナチスドイツに勝利した日で、ロシアでは「戦勝記念日」という祝日になっているのですね。
今日、そのナチスに劣らぬ非道を働いているロシアが、この日を祝うとは、何の悪い冗談か!と思います。

一方、その前日の5月8日は、そのドイツとの戦いで亡くなった多くの軍人と民間人を追悼する日だそうです。
その5月8日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、キーウ郊外の街ボロジャンカでロシア軍に破壊された高層アパートをバックに、ウクライナ国民に向けて演説を行いました。 <参照>

冒頭、あの惨劇を「二度と繰り返さない」と誓ったその言葉は、これまでとは異なる意味で受け止められると言っています。

かつてナチスドイツに対し共に戦ったロシアとウクライナ、そのロシアが今ウクライナに侵攻し、ナチス同様の非道を働いているのです。
ウクライナには、2度目があった・・・。

今となっては、プーチンは、ソビエト連邦が崩壊した後独立したウクライナを、いつか必ずロシアに併合することを企んでずっと準備していたことが分かります。
ウクライナもそれに気づいて備えてはいたのですが、侵攻を防ぐことは出来ませんでした。

ウクライナ側の外交の拙さを言う人もいますが、ロシアは確信的にウクライナを侵攻するつもりだったのですから、外交努力で防げるわけもありませんでした。

この戦争は、偏に独裁者プーチンの戦争だと言われますが、戦っているのはロシアの兵士つまり国民です。
強制的にあるいは騙されて送り込まれたかも知れません。

しかし、侵攻当初から民間人を標的にし、ありとあらゆる蛮行に及んでいたことは確かで、むしろそれらは作戦の一つでさえありました。
沢山の証拠が集まってきています。

そのようなロシアの戦い方は、何も今に始まったことではなく、スターリン・ソ連の時代からずっと続いて来たことです。
民間人を拉致して自国に強制移住、強制労働させたり、徴兵して前線に駆り出させたり、それらはすべて戦争犯罪であり、一体どこに大義があると言うのでしょうか。
ナチズムと戦っていると言いながら、やっていることはナチス同様です。

そんなロシアですが、国民一人一人を個人的に見れば善良な市民の顔を持つ一面もあるでしょう。
だからと言って、国として遂行しているこの度のウクライナへの侵攻と戦争犯罪の数々は、決して正当化出来るものでも許されるものでもありません。
命令しているのはプーチンであっても、それを支え現実のものとしているのは国民一人一人なのですから。

かつてソ連崩壊の直後の一時、これでロシアも自由化民主化すると期待されたものですが、全くそうはなりませんでした。
プーチンの登場によって、なお一層強固な独裁体制が出来上がってしまいました。
ロシア国民は、それでいいと思っていたのかどうか知りませんが、その体制を支えて来たのですから。
実際、次々に民主化独立して行く周辺国に対し、あからさまな妨害や介入侵攻を繰り返して来ているのです。
チェチェン、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアなど、またベラルーシもその例に漏れません。
そしてウクライナはその本命だったということでしょう。

国際協調など端から眼中にないようなその態度は、もはや世界中を危機に陥れています。
ロシアには、その責任を重く受け止めてもらう必要があります。

厳しい経済制裁によってロシア国民が苦しむとしても、それは引き受けてもらうしかありません。
もちろん、それを課す私たちも、返り血を浴びることは覚悟しておかなければなりませんが。

敢てそうしてでも、ロシアには自分たちに非があることに気づいてもらう必要があります。
そして、考え直してもらわなければ、その流れはやがて世界を滅ぼす方向へと向かって行くことはまちがいありません。