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終戦記念日

「敗戦とは言わず、終戦ですべてが終わり・・・」とは、今は亡き私の父が自費出版した詩歌集「玉蜀黍」の序文に書かれている一節なのですが、父も自覚した通りやはり敗戦だったと、今以て尚アメリカと言う国に負け続けているのじゃないかと、戦後生まれの私でもそう思います。

でも、とにかく終わりにしたかったのですね。
「終戦」と呼ばないことには、けじめが付けられなかったと言うことでしょうか。

一方、フクシマの現実。
「収束宣言」・・・、これもけじめでしょうか。
しかし、そんなことでは到底終わりにはなりませんでした。

形式だけ終わりにしても、何も変わりはしないのですね。
そのことを、放射能は教えてくれているようです。

今日、この国の行く末を憂う一日。

広島・原爆の日に

我が家の庭

草刈りが終わった庭
ここで、孫たちと遊んだり、バーベキューしたり。
楽しみです。


畑

カボチャが次から次へと実をつけて、大きく育っています。
このヘタの部分を見て、いつも思い出すのは、生まれたばかりの胎児のへその緒です。


畑

スイカが大きくなってきました。
今のところ防護ネットに守られて、獣の食害に遭わずに済んでいます。


畑

赤く色づいたミニトマト
雨続きの割には、良い実りです。
これは、ひとえに娘の尽力によるもの。


畑

人参が順調に生育中
雨が味方していますね。


畑

写真写りの良いとうもろこしです。
もちろん、お味も・・・。


畑

早速、6本ばかり収穫
ピーターコーンです。


畑

しっかり実が入っています。
虫食いもほとんどなく、上々の出来。
うれしい!


我が家の庭

今は亡き連れ合いの母上が大好きだったという、芙蓉の花。
花を愛でる心、即ち平和の心と思います。

今日は、8月6日。
68年前の今日、広島に原爆が投下されました。
人類史上初めて使用された、核兵器でした。
その惨劇は、すでに多くの人の知るところです。

一方、いくら語っても語りつくせない、伝えようとして伝え切れない、その凄まじい破壊の様子を、いつまでも人々の記憶に留めたいと、今も少なからぬ方が努力しておられます。
私たち、今をそしてこれからを生きる者に課せられているのは、一年一度でも例えば今日8月6日という日に、残されている戦争にまつわる資料に触れ、放映されるTV番組があればそれを見るなどして、過去の惨状を想い平和の意味を再確認することであると思っています。

今日、私は予定どおり、家の周りの草刈りをし、ごみを片付けました。
小ざっぱりと気持ちの良くなった風景を見ながら、これが平和のありがたさかも知れないと思いました。

それから畑に行きました。
大きくなったカボチャやスイカを、赤くなったトマトを、すっかり食べごろになったとうもろこしを見ていると、これもまた平和のありがたさだと思いました。
こうして収穫の喜びに浸れる、まさに平和の証です。

でも、原発の放射能は・・・と仰いますか。
まあ、売り物にするわけではありませんから、検査もしていませんが、不安はありません。
別に不感症になってしまったのでもありません。
これまでの経過と多くの検査例から、そう判断出来ると思っているだけです。
カボチャだけは、もちろん検査をしますが・・・。

否それより何より、放射能より怖いものもあることを知ったということですね。
フクシマから未だに何も学ぶことが出来ないでいるこの国のあり方。
今日、広島と福島が重なって見えたのは、私一人ではないかも知れませんね。

夕方、庭の一角に、大きな芙蓉の花が咲いているのを見て、もう一度平和のありがたさを想った私です。

未来を想う心

未来を想う心

今は亡き父が50年前に買って残してくれた、わずか5aの山林。
私の代では、当然ながら収穫にはなりません。
この子たちのさらに一世代先に想いを馳せて、手入れをします。
2007年、二回目の間伐を終えた直後。


今の私たちにあるだろうか・・・?
即ち、未来を想う心が・・・。

山に木を植える。
それが育って、立派な木材として伐り出されるのは、50年後かあるいは100年後の話だ。

それまで、何もしなくて良いわけではない。
かける手は数限りなくある。
下草刈り、ツル払い、枝打ち、間伐等々。
そしてそれらは、その場で報われる仕事ではなく、未来を想ってする仕事なのだ。

一方我々は、100年前先人が植えた木を伐りその恩恵に浴することが出来る。
この時我々は、未来を想って先人たちがしてくれた仕事に、厚い感謝の気持ちを覚えるだろう。

だからこそ、我々は未来に向かって無償の仕事を喜んですることが出来るのだ。

未来を想うことは、同時に過去を想うことでもある。
我々は、時間の流れの中にいて、過去も現在も未来も皆、密接に関わり合っているのだ。

想像力を失くした現代人が、今のことだけに捕らわれていると揶揄されるけれども、実は今一瞬のことにさえ想いは至っていないのだ。
考えて見てもらいたい。
今と言う時間だけを切り取ることは出来ないのだから。

21世紀の今、我々はもう修復出来ないかも知れない程に自然を破壊してしまった。
それを、これから先を生きる人たちに残すことになった、ということだ。

経済がどうしたというのだ。
豊かになったと言うが、莫大な借金を、後の世代に付け回すだけの話ではないか。

そして、壊れた原発は、まき散らされた放射能は、どうするのだ。

もういい!もういい!止めようではないか!こんな恥さらしな所業は。

日本の未来に何が見えるだろう・・・?

昨日の記事の最後に、「パン屋にも、日本の未来は見えている・・・」と申し上げた手前、今日はそのことに触れて見たいと思います。

今から4年前、政権交代が起こるかも知れないと、日本中が湧き返っていました。
そして異常なほどの期待を背に、政権を取った民主党。

あの時私は、どこが政権を取ろうとも、この国の行く末はそれほど変わらないだろうと思っていました。
そして、東日本大震災と福島第一原子力発電所の爆発による原子力災害という一大国難を挟んで、実にあっけななくも再び政権交代となりました。

震災前後のこの国の動きの中で、この国の社会の成り立ちと言うか、国民性あるいは民度と言ってもいいでしょうか、そうしたものが垣間見えたような気がするのは、私一人ではないと思います。

今の日本を動かしているのは、政治でもなければ増してや主義思想でもなく、ただ一つ「経済」つまり「金」なのですね。
皆、金が欲しい・・・!
だから安倍政権は、アベノミクスの名の下に大量の「円」を発行し、市中に投入しました。

しかし、市中に金はあり余っていると言われながら、その金を庶民が手に入れることは到底望めないことでした。
そういう社会の仕組みや状況が、全く変わっていないのですから。
結局誰が得するのだろう・・・?と言っているうちに、大量の円はどこかに消えてしまったようです。

全く、実にバカバカしい!と思っても、何も変わらずその方向に進んで行く、その先に見えるのは壊れた世界です。
我々は、何か望むものを間違えているのではないか・・・。
本当は、この社会をこの世界を、どのようにしたいのか・・・。

今一度、立ち止まって考えてみたい。
だってこのままでは、少なくとも私には、明るい未来は見えていませんから。


ぜひご覧いただきたいブログとその中の二つの記事。
toriiyoshiki’s Blog
ドキュメンタリーを専門に手がけてきたTVディレクター。気がつけばキャリア30年を超えるロートルだが、いまもばりばりの現役である。~プロフィールより
ぼくがアベノミクスを信じないワケ
テレビは「衰亡」を記録する

熊出没の話

会津では、雪が融けて春になって以来、熊出没の話はいつ聞こえて来ても不思議はないのですね。
先月は、ここからは遠いですが、会津高田町で熊による人身被害があって、全国ニュースにもなりました。

一方こちら山都町周辺では、初めのうち熊が出たという話を聞きませんでした。
山に食べるものがあるから出て来ないのだろうと話していましたが、最近にわかに熊出没の話が聞こえてくるようになりました。
それも毎年のように出没する場所です。

一つは、養鶏をしている方の餌置場を狙って出て来るという話。
ワナを仕掛けても、そちらには見向きもせずに真っ直ぐ餌置場にやって来るらしいです。
こうなると、鶏の世話も命がけですね。
この他にも3件、目撃談を聞きました。

で、我が相川藤沢地区ではと言うと、今のところ熊の目撃情報はありません。
つい先日、立木に爪痕があったと聞きましたが、クマの姿を見た人はいないので、真偽のほどは今一つ分かりません。

私は、過去に熊出没の履歴がある場所を、犬を連れて毎日歩いて回っていますが、今のところ熊出没の痕跡は発見していません。
餌になりそうな桑の実がいっぱい成っていても、食べられた様子もありません。
でも、ある日突然やって来るかも知れないし、油断はしていません。
それより、毎日のようにおいしいパンの焼けるにおいを漂わせているので、食工房目指して出て来るようになったら、そっちの方が困ります。
火を焚くとか、大きな音を立てるとか、あとはちょっと武器になるようなものも用意しておくとか、何かしらの備えは怠らないよういつも心がけています。

それでまた獣の害と言うか、人間とのまずい関係は、熊だけではないのですね。
ここらでは、熊の他に猿とカモシカが脅威となりつつあります。
カモシカは人を襲うことはまずありませんが、猿は狂暴だという話もありますので、油断はなりません。

それより何より、熊も猿もカモシカも、畑の作物にとって大きな脅威なのですね。
山奥の畑では、収穫をあきらめて耕作放棄する場面も実際あります。

こうして人の手が入らなくなった場所は、次には獣たちのテリトリーになります。
そして、私たちがただ恐れて手をこまねいていると、やがて獣たちは、警戒することなく人里に出没するようになります。
もうすでにそうなりつつあると言うのが、例えばこの山都町のような中山間地の現状ではないかと、私は思います。

一方で、人間活動が野生生物に脅威を与えているとの指摘があり、尤もであることもまた確かですが、それにしても今の私たちの、この成すすべもなく放置している状況は、実は最悪です。
そうです!一番悪いのは、私たち人間が、自然から離れて暮らすようになり、あらゆる場面で自然との関わりが希薄になってしまったことです。
いつか申し上げた覚えがありますが、人は今、人としての資質の重要ないくつかを、すでに失ってしまったかも知れない・・・。

ここらか先は、過去記事をご参照ください。

<野生の反乱 2010.10.25>

<ヒトがヒトでなくなる日 2009.07.27>

<熊、猿、カモシカ 2010.06.28>

11日

今日は6月11日。
東日本大震災から2年3ヶ月になったと、ラジオが告げていました。

11日は、震災で亡くなった沢山の方々の月命日なのですね。
そして思い出すのは、今世紀初頭2001年9月11日、アメリカの同時多発テロです。

11日という日に、何か特別な緊張感を持ってしまうのは、私一人ではないと思います。
今日はそんなことを思いながら、この度の震災がもたらしたものについて、自分なりに考えたことをまとめてみたいと書き始めています。

震災の年2011年は、私は年男でしかも満60歳の還暦を迎える年でした。
まさか、そんな自分にとって記念すべき時期に、これほど大きな出来事に遭遇するとは、正直夢にも想っていませんでした。
そして福島第一原子力発電所の4つの原子炉が爆発、大量の放射能が拡散し、この日本だけでなく世界の注目を集める大惨事なったことも・・・。
土佐の高知生まれの私が、この時被災当地の福島県民だったことも、全くの想定外。

しかし、これが運命というものですね。
以来、その意味を噛みしめながら、毎日を過ごしています。

先ず一つ思うこと。
あの爆発した原子炉には、大量の溶融燃料が残っています。
その後始末は、本当に可能なのか・・・ということ。
廃炉への工程表は示されたものの、その戸口に立つ前から、早くも汚染水の処理が破綻しそうです。
そもそも人の手に負えるものではないというのが、真実ではないか?そうとしか思えない私です。

では、何故避難しないのか?怖くないのか?

うーん・・・、とても難しい質問です。

後になって思ったこと、それは、3月の当初1か月くらいは、どこかに避難していた方が良かったかも知れないということです。
でも、結局どこにも避難しなかったし、外出時の用心も足りなかったかも知れません。

では、そのことを考えて不安にならないか?

それは、正直ありません。

今になって分かることは、私たちの被曝量では放射線の害が出るかどうかは、それ以外の要因に大きく左右されると思うからです。
だからと言って、自分は癌にも白血病にもならないと自信を持っているわけではありませんが・・・。

何と言うか、別にいい恰好したいわけではありませんが、覚悟は決まっているのですね。
生きているということは本当に不思議なことだと、震災以後、私を捕えて離さない感覚です。

その感覚の上に立つと、「人生の価値とは、何年生きたか、ではない。」・・・と、誰かが言った言葉かも知れませんが、私も全くそのとおりだと思います。
しかしまあそれも、60年余り生きて来た私が、若い方々や子供たちに向かって言うべき言葉ではないかも知れません。
それは承知で今一つ言いたいことは、「命を大切にする。」その意味は、とてもとても深いものだということ。
そして福島の大地は、今以て多くの命を支えているということも・・・。

とは言え、何もかもが際どいところだったかも知れません。
だからこそ申し上げます。

何としても、原子力発電を止めてもらいたい!
電力が・・・、経済が・・・、言わないでいただきたい。
そんな事じゃないのです。

本当に失ってはいけないもの・・・。
見間違わないように・・・。

原発

新潟県の友人が送ってくれた、手描きの手ぬぐい。