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IIDE編集です。

食工房営業中は、なかなか時間が厳しいのですが、少しずつでも進めなくては・・・・。
ま、全く嫌な仕事ではありませんので、ボチボチと。

時間の使い分けで、ブログは省かせていただきます。

今日は雨でしたが、明日は晴れるようです。
ご来店お待ちしております。

本日は、休稿

忙しい一日が終わりました。

今日は、”Wordpress”の最新バージョンを適用し、テーマも最新2017バージョンにしました。

私の、ちょっとしたリクレーションでした。

ヘッダーに自由に動画を貼れるそうなので、この次試してみます。

ブログツールとして、”Wordpress”はとても良く出来ているし、面白いです。

そうそう!今朝はこのあたりでは初雪と言える10cmほどの積雪でした。
やっと冬が来たって感じです。

ゆっくりさせてもらっています。

風邪を口実に、今日は頑張るのを止めてゆっくりさせてもらいました。
寝ている間に熱も出たようで、汗をかいてその後はスッキリしました。
夜になって、ちょっと何か出来そうな気もして来ましたので、軽く体操して早めに休みます。
ではでは。

子どもたちが未来なんだってこと

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風邪を拗らせたんだから、仕方がないのですが。
ゆっくり休んでいると、頭の中にいろいろな想いが去来します。

ぼんやりした頭で考えることですから何もまとまりはしませんが、孫たちが大人になる頃、どんな世の中だろう・・・と想像していました。
ああ、でも、それって、今小さい子どもたちがどんなふうに育っているのか・・・、それを見ればそのまま未来が見えているはずなんですね。
そうか・・・。

先日孫たちが遊びに来ていた時のことを思い出しました。
地べたにしゃがみ込んで何をしているのかと思ったら、ダンゴ虫をいじって遊んでいました。

あの湿気っぽくて日の当たらない場所をウヨウヨと這い回っている黒い虫です。
棒の先で突っつくと、くるっと団子のように丸まって固まってしまいます。
ちょっとするとまた動き出すので、また突っつくとまた固まります。
それが面白くて、何度も何度も突っついていました。

でもそのうち誰かが、「何か、かわいそう・・・・」と言い出して、止めてしまいました。
私は、密かに「ああ、良かった」と思いました。
こんな感性を、そのまま伸ばして行ってもらいたいな・・・。

おかげさまで、風邪もあと少しで治りそうです。

マイブログ中間報告・vol.27

「飯豊の空の下から・・・ 」というタイトルでブログを始めたのが2007年3月27日でしたから、かれこれ8年余りの月日が過ぎたことになります。

近頃は、ブログもすっかり下火になってしまい、後発のツィッターやフェイスブックを利用する人が多くなっているのですね。
それももう古いものになりつつあるとかで、次々新しいサービスが出て来ているとか。

否、正直なところ知らないのですよ、私。
パソコンのことはかなり詳しくなりましたが、ネットワーク上のサービスやコンテンツのことは全然です。
どちらかと言うと、パソコン使って何か作ることに興味が行ってしまうので、今一番の興味はAdbeのアプリケーションの使いこなしです。

・・・と申し上げれば、分かる人には、私のパソコンへの関わり方をお察しいただけることと思います。

ブログに話を戻しますが、ちょうど一年前の今頃、ブログの移行で大騒ぎしていたのですね。
で、結果的に一番ハードルの高いインストール型WordPressを選択することになって、まあ大変は大変でしたが、今となって見れば、一番良い選択だったと思っています。

ブログの本命は、何と言っても記事の内容にあるわけですが、文字の大きさや画像の配置や美しさなど読みやすくて見栄えの良い体裁のページを作ることも、もう一つの重要な要素です。

WordPressの場合、そのあたりはいじればいくらでも自由度と可能性があります。
ま、そうは言っても、限りある時間の中でやることですから、自ずと限界はあるのですが・・・。

それよりやはり、皆さまにご覧いただく価値のある中身を心がけることが、何より一番大切にしなくてはならないこと、これに尽きますね。

と言いつつ、気負わずにやります。
今後ともご贔屓に、お願いいたします。

ではでは。

明日が、本年最後のパン焼きです。

あっという間の、でもとても長かったような気もするこの一年も、あと一週間足らずとなりました。
食工房の営業は、明日と明後日の2日を残すのみとなりました。

明日は、本年最後のパンを焼きます。
全てのメニューではありませんが、大体揃えるつもりです。

シュトレンのお振舞いもあります。

皆さまのご来店をお待ちしております。

戦争で死ぬのは、人間だけではない

今日は8月6日、広島原爆の日でした。

一発の爆弾であれほど沢山の人が死んだのは、今の時代まで下っても、あれ以来ありません。
そして、あの戦争で世界中で、一体どれほどの人が死んだのか・・・。

広島と長崎に原爆投下という多大な犠牲を払って、やっと世界平和が実現したかに見えたのも束の間、その後の世界は全面戦争こそありませんが、ほとんど絶え間なくどこかで戦争が起こっています。
今も、パレスチナでウクライナで、多くの人の血が流されています。

私は、そうした戦争のことを知る度、想うことがあります。
爆弾が炸裂し銃弾が飛び交うそこは、草木があり虫や小鳥やネズミやモグラたち、沢山のイキモノたちが生きている場所だということ。
戦争で死ぬのは人間だけではないのですね。
名もなきイキモノたちが、何の前触れもなく何の謂れもなく、ずっとずっと沢山命を落としているはずです。
そしてもし、そんなことに想いが及ぶなら、戦争など起こらないだろうとも思います。

こうして人間が犯し続ける罪を、地球のお母さんはどこまで許してくれるでしょうか。

最後に、そんなことを思うきっかけをくれた、あの戦争に従軍した私の父が残した文章をご披露いたします。


クリン草

去年上関の姉の家から、株分けしてもらった桜草が見事に咲いた。
ピンクに白のふち取りのある花は可憐で、葉の色や形も花と釣り合って、春の喜びを語りかけるような風情である。

私は数年前まで、クリン草を桜草と思っていた。(クリン草も桜草の仲間だが)
私の生まれた上関鉱山の家の庭に、クリン草が一株あった。
人にもらったのか、母が山から取って来たものか解らないが、大きく株を張って、二段にも三段にも咲いた濃いピンクの花は、今でもはっきりと思い出すことが出来る。

満鉄に入社して三年目、通化(※)の鉄道守備隊へ入隊した。
二年兵になった五月末のある日、初年兵教育の假設敵となって、草原の台上に教育班と対峙していた。

満州の五月の草木は、芽もつぼみも一緒に出て、花と葉が一緒に開く。
むせるようなにほいのする草の上に伏せると、厳しい冬の寒さから解放されたうれしさ、二年兵になり久しぶりに野外に出た開放感で、踊り出したいほど心がはずんでいた。

ふと軽機関銃の銃口の向こうに、クリン草の一株を見つけた時の驚き!

色彩の全くない長い冬の、兵舎の生活に荒んだ目と心に、ピンクの花の色が迫って涙があふれた。

今日、火曜市へトマトの苗を買いに出かけたら、露店の草花屋にクリン草が数鉢ならんで咲いていて、思わず足を止めた。

子どもの頃庭に咲いていた花、大陸の台地の草原で巡り合ったクリン草、そのピンクの色のやさしさを、三度目にして私は立ちつくしていた。

※通化省(つうか-しょう)は、満州国にかつて存在した省。現在の吉林省東部、朝鮮民主主義人民共和国との国境地帯に相当する。

申し遅れましたが・・・

7月ももう半ばに差しかかっています。
申し遅れましたが、6月30日を以ってぷららのブログサービスが終了し、私の「飯豊の空の下から・・・」も消滅しました。
もちろん、新しいサイトに移行させましたので、過去記事は全てご覧いただけます。

ただ困ったことに、記事内で過去記事へリンクを付けてある場合、ほとんど修正が出来ておりませんので、エラー表示が出てページが表示されません。
極一部修正済みのものもあるのですが、本当に極一部ですのでご了解いただきたいと思います。

それから、私のブログにリンクしてくださっている方の中には、この終了したブログサイトにリンクしたままになっている方がいらっしゃいます。
もしお気づきになって、もう一度リンクしてくださるお気持ちがおありでしたら、修正をお願いしたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

その場合、新しい「飯豊の空の下から・・・」の方へお願いします。
アドレスは、http://shokuko.com/myblog/となっております。

なお「旧・飯豊の空の下から・・・」は、http://shokuko.com/iide/ でご覧いただけます。

ま、こんなブログをいつまで続けられるか分かりませんが(私も、いつかは死ぬ時がくるわけですから。)、これからもお付き合いいただければ幸甚に存じます。