どろんこクッキー


このラベルは、実は二代目です。
以前のラベルを知っているあなたは、
食工房のオールドファンです。



これが名物?「どろんこクッキー」  焼き上がるとすぐに裏返しにします。
なぜかっ?って。少しでも食感を良くするためです。ハイ。


チョコレートやココアの原料と言えばカカオです。
このカカオほどお菓子の材料に多用されている物は、唯一砂糖を除けば他にはないのじゃないでしょうか。
食工房のメニューの中では、マフィンが一品目、ケーキが二品目、そしてクッキーが一品目、それぞれココアやチョコレートを使っています。
そしてそのクッキーメニューに、「どろんこクッキー」という名前が付けられているのですね。



話しが横道にそれますが、どろんこくらい子どもたちの遊びに重宝なものは他にありませんね。
土をそのまま茶碗に入れればご飯になります。
水でドロドロにすれば味噌汁。
その他適当な硬さに練って、いろいろな形をこしらえて、我が家の子ども達はいつも夢中で遊んでいました。
たまにお母さんの手伝いをして、クッキーやパンの生地に触らせてもらった時、どろんこ遊びの技がけっこう役に立つのですね。
いつもそれを見ていた私は、チョコレート入りのクッキーの名前を考えていた時、すんなりと「どろんこクッキー」という名前が浮かんだのでした。
我が連れ合いは、一度は「エエッ!」と訝りましたが、すぐに「いいかも知れない!」と気に入って、「どろんこクッキー」がデビューしたのでした。


 



 
バックに流れている音楽は、セファルディ(スペイン系ユダヤ人)の歌です。

こんなのを聴きながら、作業しています。


 これを見ていただければ、いかに手間のかかる非能率的な
ことをやっているか、お分かりいただけることと思います。


 


ところで、どろんこクッキーのレシピはとても凝っていて、ここで公開することは出来ませんが、概略を申し上げると、ナイフで削ったカカオマスフレーク、ミックスナッツ、洗双糖(やや粗めのグラニュー状組精糖)が食感の決め手になっています。
そして、甘さはすごく控えていますが、バニラと秘密のスパイスの効用でとてもおいしく召し上がっていただけるはずです。

材料が高価なことと手間がかかることが重なって、販売価格はずい分高くなってしまいますが、それでも根強く支持してくださるお客さまのおかげで、このところずっと造る端から売り切れています。


 


   おしらせ

今週からしばらくの間、クリングラの製造をお休みいたします。
カネリプッラのみ継続いたします。
ご注文の際は、ご留意願います。

頭を冷やす


Intel  C2Quad 9650


人間の脳は、高性能のPCと同じくらい熱を出しているとか!?
いや、こんなのよりもっとすごいのでは?何しろ水(血液)冷式ですらね。


このところずっとテンションがかかりっ放しという気がしています。
この間、「バランスも大切」という記事の中で、何もしない時間とのバランスということを申し上げましたけど、最近これが決定的に欠けているという気がします。
何もしないと言っても、考え事くらいするだろう?と言われそうですが、それもしないで頭を冷やすことが出来たら、と思うのです。
この今の世の中にいて、そういう時間を求めることは贅沢の中の贅沢と思われている節がありますが、人は誰でも、いよいよとなったら病気してでも怪我してでも強制終了思考停止になりますから、せめてそうなる前にバランスを取りたいのですね。


私たちは生きている限り、心臓は動き続けているし、脳だって機能停止することはないのですが、行動をコントロールする緊張から解放され思考という作業も休止し、なお且つ眠っているのではなく覚醒している時、ちょっと特別な状態になるみたいです。
感覚だけが残って、普段感じ取れないいろいろなサインを受け取ることが出来るのですね。
そういう状態がいつも継続しているのが、修行僧とか呪術師とか、あるいは芸術家なのかも知れません。
凡人の私たちも、たまにその片鱗にくらい触れてみるのは、必要なことなんじゃないかと思うのです。
山に暮らしていた頃、そうかなと思える瞬間に何度か巡り合ったことがあって、今そういう感覚からすっかり遠ざかっている自分は、例えて言うと「目隠しされている」ような不安を時々感じます。
寝ている時に見る夢にも、いろいろな啓示が含まれていると言われますが、それとはまた違う感覚が懐かしく思い出されます。


ああ、こんなことを書き続けていると「Mikioさん、ホントにアタマをヒヤした方がいいんじゃない!」と言われてしまいそうです。
否、真面目に頭を冷やしたいと思っている私です。

マイブログ中間報告vol.13

この前の中間報告で、間もなく10万ヒット達成と申し上げました。
その後淡々と10万ヒットを通過し、現在は11万を越したところです。

それでもう丸2年と3ヶ月、この間私が一番心残りに思って来たことは、紙に印刷して発刊していた「高野通信」が、以来ずっと休刊になっていることです。
代わって「食工房のパンだより」は、ほぼ毎月出しているのですが・・・。
※途中、2回ほど抜けています。

まあ、それで飯を喰っている以上、業務優先のスタンスも止むを得ないとは思うものの、ブログでは書けないような、ゆっくりと時間をかけて熟成させた記事を書いて、皆さんに訴えたいこともないわけではないのです。
贅沢な話しかも知れませんけど、もう少し時間に余裕があればと思います。

かく言う私、文章を書くのは嫌いではありません。
ただし、詩や小説、あるいは俳句、和歌など文芸には、とんとセンスがありませんが。
その代わり具体的事柄の解説や報告なら、いくらでもスムースに筆が動きます。

正直、文筆で飯が喰えるなら、大げさな道具も必要なくていいんだけど・・・、と思ったりします。
まあでも、そうなっていないということは、私はやっぱり手触りのあるモノに触っている方が、さらに性に合っているということなのでしょうね。
いろいろやり尽くして見て、それでもまだ命が残っていたら、その時は本当に文筆で飯が喰えるかも知れない?などと、老いたその先のことをイメージしています。


とにかく今は、パン屋です。
そしてブログは、商売道具的な意味合いの中にも、最大限余計なもの(?)を取り込みつつ、続けて行きたいと思っています。
どうぞ、今後ともよろしくお付き合いください。



一度使った古い写真ですみません。 夏椿(沙羅)の新緑です。 


ああ、時間が・・・

今日は、いつもの製造業務が終わってから先ほどまで、お客さまのご依頼でギフトパッケージのデザインをやっていました。
焼き菓子の詰め合わせと一緒に、オリジナルのギフトカードを入れ、シールやリボンを使って可愛らしい感じにまとめました。

連れ合いが描いたイラストを、スキャナーで取り込みテキストをはめ込んでカードのデザインを作るのが私の役目でした。
それで毎度苦労するのは、色と風合いの再現です。
ほとんどいつも、連れ合いはプリンターから出てくる印刷の出来栄えに満足が行かないようで、画像の調整にはとても時間を要します。
まあそのおかげで、今回も無事に完成いたしました。
たった今、パッケージも終わったようです。
そのようなわけで、ブログを書こうにもPCも時間も占領されていたのでした。


そこでちょっと宣伝させていただきます。
オリジナルギフトパッケージのデザインも、お引き受けいたしております。
簡単なものでしたら、特にデザイン料はいただいておりません。
それどころか、パッケージ代もいただかないこともしばしばです。
結婚記念、出産お祝い、あるいはお香典返しなど、ご相談に応じております。
どうぞ、お気軽にご利用ください。
連れ合いは、可愛らしい子どものイラストが得意です。



例えばこんな感じです。  以前の作品です。

今日の暑さで

今日は日中グングン気温が上がって、さすがに食工房の作業場も真夏ほどではありませんが、蒸し暑く感じました。
パン生地の発酵には、まことに申し分のない環境なので、今日のパンの出来は上々でした。

ところが明日は、マフィンとスコーンを焼く日です。
再三申し上げておりますように、こちらは寒い環境の方が好都合です。
そういうわけで、仕事が終わって夕方気温が下がり始めた頃から、オーブンの扉を開け、部屋の窓も扉も開け放って部屋ごと冷却です。

オーブンの余熱というのは本当にすごいもので、真冬なら暖房が要らないくらい素晴らしい利き目がありますが、こう暖かくなってくると一転して灼熱地獄の様相を帯び始めます。
真夏には、いくら換気してもどうにもなりません。
今日も、まだずい分余熱が残っていましたが、まさか夜中まで番をしながら冷却しているわけにも行きませんし、明日の朝早起きして朝の冷気を利用する方が効果が上がりますので、途中にして締め切りました。

こんな状態なので、中に置いている冷蔵庫が一台、すごい負荷で悲鳴を上げています。
明日は久しぶりに氷を使って、道具や機械も冷やさなくてはならないかも知れません。

コーヒー業界、過熱気味の様相

コーヒー豆の輸入量が増えていると、前にも申し上げたと思います。
と言うことは、コーヒー業界にとっては需要があるということですから、喜ばしいことではあります。
しかし、どんな商売でもそうですが、儲かりそうだという気配が漂うだけで、新規参入が増えます。
加えてコーヒーのニーズは、この前も申し上げていますが、昔とは様相が変わって来ているのですね。
個人消費が、目立って大きく伸びて来ているのです。

一方売る側も、小規模に個人で起業して自家焙煎を売り物にする業者が、それこそ雨後の竹の子のように増え続けています。
カフェも然り。

また仕入れという面で見ても、それこそ世界中からありとあらゆる豆が、ジャパンマーケットを目指して売り込みをかけて来ていますから、入手の可能性がグンと広がってとても刺激的な状況です。
このところ、コーヒー商売はとても熱い状況なのです。

それだけに、競争も激しくなりつつあり、いろいろな意味で鍛えられることになります。
当然のことながら、常に勉強していないとあっという間に淘汰されてしまいそうです。
そしてまた勉強すると言っても、何を勉強すればいいのか?
その方面の商売も、あの手この手で袖を引っ張ります。
こんな時にフラフラしていたのでは、悪い業者のカモにされてしまいます。

独自性、独創性にすがるだけでは当然生き残れないと思いますが、裏でしっかり勉強しながら、そもそも自分自身がおいしいコーヒーを飲みたいがために始めた商売だという初心を忘れないで、これからも細く長く続けて行きたいと思っています。



今日入荷した豆、保管する前に天日に当てて乾燥しています。
先日のネパールの豆の一件が頭にありますので、こういう手当ても臨機応変にすることになります。
農産物との付き合いを仕事にして来たキャリアは、触るものが変わってもちゃんと役に立つからありがたい。


 


   本日のサプライズ!


裏の山から聴こえて来る、ツツドリの声です。


 


ツツドリ  カッコウの仲間で、初夏の頃鳴き声を聴くことが出来ます。

ばあちゃん農法


きぬさやエンドウ豆の発芽です。
毎年眺める度に、可愛らしいと思います。



こちらはインゲンです。
動物でも植物でも、幼生は皆同じ
オーラを放っているのを感じます。


近頃は、「○○農法」と呼び名を付けてこだわりを誇示するのが流行りのようです。
天然農法、自然農法というのは、ずい分前に提唱した偉い先生がいらして、沢山の志願者が扉を叩いてその門をくぐった実績もあります。
私はその昔、本を読んだことがある程度ですが、確かに天然自然の営み計らいを最大限生かして、農薬や化学肥料、ビニールなどの資材、さらには耕運機、トラクターなどの農業機械も使うことなく、耕さず草も取らず、それで作物を収穫出来るなら、それはすごいことです。
そう考えていて、採取と農耕の違いは何かという問いが浮かびました。
今日、庭の草取りをしながら娘と交わした会話の中で、「要らないものを取り除く知恵を持っているのが人間なんだね。」と私。
「動物は、欲しいものだけを取るからね。」と娘。
だから、羊を放牧する時は常に移動して行かないと、その場所には食べられない毒草ばかりが増えることになるのですね。
農耕は、直ぐに欲しいものに手を出さず、不要なものを取り除いて食べられるものだけが増えやすいように計らうこと、だと言えるのではないでしょうか。
ここでもやはり、大切なのはバランスでしょうね。
自分に出来る範囲で理想を求めると、私の場合は「ばあちゃん農法」ということになりました。
そうです。
ここいらのご近所のおばあちゃんたちのやり方を真似て、分からないことはその場で手ほどきしてもらう。
人によって少しずつやり方が違っている時は、自分の考えや判断も加味して結論を出す。
こうやって、採りはぐりがないことを最優先に安全性も考慮しつつ、その場その場に臨機応変して行くことにしています。



ごぼうを蒔きました。畝は高くすると教わりました。



真っ直ぐに植えなくてはならないという決りはりませんが、
ガイドロープを張ってまでも真っ直ぐ植えたいのは、美学です。
と言いつつ、ロープからズレてしまっているのが悲しい・・・。


今日は、合間に庭の草刈りもしました。
何故、草を刈らなくてはならないか?
家の周りを草茫々にしておくと、第一に湿気がこもって家が傷みます。
蚊など、虫がわいて大変です。
そして、清々して気持ちがいいからです。


 



残して置きたいものは残すのは、人間のエゴでしょうか。


 

バランスも大切!?

昨日、「重箱の隅をつつくのが好き。」と申し上げましたが、例えば洗い物の水切りカゴの網目に溜まった汚れを、小さなブラシで落とすなんてことにはまり込んでしまう習性が、この私にはあるようなのです。
すっかりきれいになるまで、あるいは根気が尽きるまで、どうにも止められないことがあります。
気がつくと、本当に一円にもならない仕事に、本気で精力を傾けているのです。

今朝も、危なく本題のクッキー焼きの仕事のスタートが遅れるところでした。
限りある時間と体力気力の配分を考えないと、ご飯を食べ損なってしまいます。

これに類することは、私の日常にはしばしば発生するので、そういう時は「バランスも大切。」という言葉が金言となります。
それでもさすがに歳を食ったので、近頃はずい分バランスが良くなったはずだと、自分では思っていますが周りから見るといかがなものでしょう。

そして、こうして何かをすること同士のバランスが良かったとしても、最後にはやっぱり疲れて、何もしない時間とのバランスも大切な時があるということですね。

「縁までいっぱい注いだ酒を、こぼさずに飲むことは出来ない。」と、こんな例えでいかがでしょう。
「無駄」の大切さも重々承知しているつもりです。

重箱の隅をつつく

「重箱の隅をつつく。」と言うと、あまり良い印象を例えた言葉ではありませんね。
細かいことに煩いばかりで、全体的視野に欠けている人を揶揄する時に使います。
しかしこれも解釈のしようです。

例えば職人的な仕事は、重箱の隅をつつくことの繰り返しみたいなところがあります。
似たような例えで、枝葉末節という言い方がありますが、私の仕事なんか毎日枝葉末節に関わることで終わってしまいます。
大道というのは、たいてい見えない所にあるもので、私の場合なら、無添加、天然酵母、オーガニック原材料などなど、仕事に臨む姿勢のことを指していると思っています。
それはもう何を語る以前に承知の皆さまとのお約束ですから、日常の具体的な仕事の最中に関わるのは、極極具体的な細かい作業の一つ一つ、つまり枝葉末節であるわけです。

私は、どちらかと言うとものごとは枝葉末節の積み重なりで出来上がって行くものだと思っています。
毎日の繰り返しによって、やがてそこに道が生まれるということじゃないかと、そう思うのですね。
もちろんその前に、辿り着きたいところへの願望と言うか、イメージはあるわけですが・・・。

ところでちょっと話しがズレるかも知れませんが、部屋の掃除をする時、きれいに見えるためには、とにかく角をきれいに掃くことだと言われますね。
本当にそのとおりです。
窓枠に乗っているちょっとした埃を丁寧に拭いておくだけで、部屋全体の印象が変わって見えたりすることが、実際よくあるのですね。

ディテール / detail という英語がありますが、私の好きな言葉です。
物事の詳細という意味でよく使われます。
私は、まさに物事はディテールの集成だと思うのですね。
どんな小さな一角でも、丁寧に関わった物事というのは、絶対に見え方が違うし良い結果が出ているものだと確信しています。

そうは言いつつ、いつでも完璧を望むのは無理だということも、もちろん分かっていますが少なくとも、「重箱の隅をつつく。」あるいは「枝葉末節」という言葉を、手抜きの方便に使うことだけは絶対にしないと、肝に銘じている私です。

私、どちらかと言うと、重箱の隅をつつくのが好きです。


 



先日のチゴユリの detail



  この写真から分かることは、
  雄しべの先端のヤクはまだ開いていないこと。
  雄しべの一つが、何らかの理由で未熟なまま死んでしまっていること。
  雌しべも、まだ受粉の準備が出来ていないこと。
  つまり、開花直後だということ。
  一目見て初々しく、しかしどことなく弱々しく見えたのは、つまりこういうわけでした。

山都産100%


そこそこ膨らんでいますが、生地が耐え切れず所々破れてしまっています。 



まあでも、やっとここまで出来たという実感です。
食べてみて、独特の風味です。
甘皮の部分が多い影響かと・・・。


★試食品を差し上げています。数に限りがあります。(先着10名様)


とにかくまあ、やってみました。
製麺を頼んだ時に、製粉のままで少し取り分けてもらった粉を使って、山型食パンを焼きました。
正真正銘の山都産の小麦100%のパンです。


それでこの際、小麦粉の製粉のことについて、ちよっとご説明申しあげて置きたいと思います。
まず小麦の粒は、表皮が強靭で中身の胚乳部分は崩れやすい性質を持っています。
皆さんがよくご存じの白い小麦粉は、この胚乳の部分のみを挽いたものです。


ただし小麦は、先に申し上げたような性質のため、米のように粒のままで精白することは出来ません。
白い小麦粉を得るためには、とても手の込んだ機械設備が必要になります。
製粉機というような小さなものではなく、工場に設置するようなプラントです。
とてもじやありませんが、農家やパン屋が自前で設備することなど不可能です。


今回加工をお願いした製麺所の製粉機は、ずい分旧式のもので、逆にこれなら自分たちでも設備することが出来そうな規模のものでした。
その分、表皮と胚乳をきれいに分離することは困難で、どうしても粉は繊維質が多く混ざった状態になり、グルテン質の割合が下がってしまいます。


パン生地をこねた時によく分かりますが、いわゆるコシのない生地になってしまいます。
麺の場合は、逆にコシが強すぎるとノド越しが悪くなりますし、風味の点でも繊維質が適度に混ざるのは、かえっていい具合なのです。


で、もしこの粉でいい調子にパンが焼けるなら、原材料・地元の小麦100%のパンが実現出来るわけです。
そう思って、試作に臨んだという次第。


結果から申し上げると、やはりまず製粉に課題があることが分かりました。
あと一つ、難しいのは小麦の品種です。
今回、アオバという品種の小麦を使っていますが、他にもっとパン向きの品種があるのではないかという気もしています。
ただし、一年に一度しか収穫のチャンスがない小麦を、幾種類も同時に収穫して製粉して試すのは、実際のところ不可能です。
今までに出ている情報を集めて判断するしかありません。


それで改めて分かったことは、食工房のパンの風味を決定付けているのは、今までずっと使い続けている粉に依るところが大きいということです。


米以上に品種による味の違いが大きいことを、知らされる結果となりました。


当面食パンは、今まで通り岩手産の粉をベースに、山都産の小麦とライ麦(今年度産から使用)を全粒粉でミックスする配合で焼きます。
プンパニッケルのみ、この夏から、地元産の小麦とライ麦だけで焼けるようになります。