山暮らしの記憶」カテゴリーアーカイブ

凍結深度の思い出

北国の冬は寒いです。
所によって、冬の間地面が凍結することがあります。
その時、地面の下何センチまで凍っているか、それを表すのが凍結深度という言葉です。

私たちは、会津に越してくる前は、同じ福島県内の阿武隈山系の山奥の辺境にいました。
そこでは、冬は雪は少ないのですが、一方寒さはとても厳しく、冬の間は地面は固く凍結して岩のようでした。

当時、そのあたりでは凍結深度40cmと言われていて、地面に穴を掘ろうとしてもスコップが刺さりませんでした。
冷え込む夜など、歩くと足音が金属音のようにカンカンと響きました。

で、誰にでも分かる理屈で、凍った土は膨張します。
と言うことは、地面が盛り上がってくるわけです。

私たちが住んでいたプレハブ小屋は、ちゃんとした基礎工事はしていなくて、ただ地面に置いただけのようなものでしたから、冬になって地面が凍って来ると、先ず初めに日の当たらない北側が持ち上がって来て小屋が傾くのです。

もちろん、ひっくり返る心配はありませんが、床にビー玉を置くと勢いよく転がるくらいは傾斜しているのですね。
そして寒さが極まって南側も凍ると、南側も持ち上がって一旦平らになります。

春には、逆順で南側が先に沈み、間もなく北側も沈んで元に戻ります。

しかし、そう絵に描いたように規則正しく動くわけでは無く、場所によって不等隆起と不等沈下を繰り返しますから、長年の間に小屋の床は凸凹になってしまいます。

後年、その場所に自分たちで家を建てましたが、基礎は凍結深度より深くまで60cmほど掘り下げました。
そうしておかないと、コンクリートの基礎でもひびが入るほどすごい力がかかります。

そんな場所に14年間暮らして会津にやって来た私たちですが、雪国会津では凍結深度はどのくらい?と思ったら、それが凍らないのですね。
地球は温かくて地温を持っていますから、断熱性のある雪を被ると外気が氷点下でも地面は氷点下になりません。

なるほど、雪の効用ってなかなかのものですね。
否それにしても、この冬は豪雪に見舞われています。

雪だるまをつくりたい

雪だるま

山暮らしも最後の頃、娘たちがつくった雪だるま

昨日から今朝にかけて、15cm余りの降雪がありました。
日中は止んだり雨だったりしていましたが、夕方からまた雪になりました。

今朝までに降った雪は除雪して片付けてしまいましたが、雪を見ながら思ったことは、「雪だるまをつくりたい。」でした。

以前山暮らしをしていた頃は、子どもたちと何度も沢山雪だるまをつくって遊びました。
雪だるまが出来ると、何だか家族が増えたような気がして、本当に楽しかった・・・。

ですから今度は、店の前に雪だるまをつくって、皆さまをお迎え出来たら楽しいだろうな・・・と思うのですね。
しかしながら如何にせん、今は、時間が無いのが何とも皮肉です。

でも、年末はしょうがないけど、来年、年が明けたら、やってみようかな・・・。
出来るかも知れない・・・と思っています。

山暮らしの記憶 タルトイレ・13年間の思い出

通信:「獏の空の下から・・・」11号 2002年6月より抜粋獏の空の下から・・・

昨年の暮れ(2001年12月)、念願の室内トイレが完成し、使えるようになりました。
我が家にたずねて来られた方は、皆さんご存知のはずですが、これまで我が家では用足しは屋外で「タルトイレ」というものを使っていました。

どういうものかと言うと、まずトイレ用にとたん葺きの粗末な小屋があり、その中にプラスチック製のタルを置き、フタ代わりに板を切り抜いて作った便座をはめて、そこに座って用を足すわけです。

出したものは、その都度本人が畑の脇の決まった場所に捨てに行き、タルは沢の水を引き込んだ用水路できれいに洗って元の場所に戻して置くことになっていました。

自分で出したものを自分で始末して、それが畑の肥やしになって、作物が育っておいしいものがまた口に入る、小さな子ども達にもそれが実感出来て、大変教育的な素晴らしいトイレだったと今でもそう思っていますが、一方、雨の日や雪の日、真冬の寒い夜などはさすがに大変で、家の中にトイレが欲しいと、切実な願いでありました。

獏の空の下から・・・

そのタルトイレを、13年間使っているうちには、ずい分いろいろな事がありました。

お客様にトイレをかして欲しいと言われた時など、手順をいちい説明する方も大変でしたが、初めてお使いになる方の戸惑いは相当のものだったでしょうね。

それから、思いだす度におかしくて吹き出しそうになるのは、たまたま運悪く真冬の夜半に用足しに行かなくてはならなくなった時のことです。
外は氷点下10℃以下、パジャマの上にセーターとダウンジャケットを着込み、毛糸の帽子まで被るのは良いのですが、お尻だけは丸出しになってしまうのですから、何ともこっけいな格好と言うしかありません。

用を足し終わる頃には、出した物がタルの中で凍り始めています。
タルを洗おうとすると、水路には氷が張っていて、それをガンガン割らなくてはなりません。

でも、澄み切った真冬の空には満天の星、ピンと張り詰めた冷気を吸い込みながら、こんな荒行に耐えられる体の健康をありがたく思うと同時に、逆にこれが健康法になっているかも知れないと思ったものです。

そして、部屋に戻ってまた布団にもぐり込む時、その暖かさを殊さらに嬉しく幸せと感じないではいられませんでした。

また、夜一人で行くのが怖い小さい子には、必ずお付きが一人付いて行きました。
用が終わるまで外で待っている間に、寒くなって自分も立ち小便ということもしばしばでした。

今時、キャンプ場でさえ水洗トイレ完備のところがあるそうですから、私たちが13年間やって来たことは、そうそう望んで得られる体験ではなかったかも知れません。

室内トイレを使うようになって、その快適さにすぐに馴染んでしまいましたが、それでもたまに混み合った時など、外のタルトイレで用を足すと、それはそれで何の違和感もありません。

今はまだ当然かも知れませんが、これからも時々は外で用足しをして、この感覚を忘れないようにしていたいと思っています。

獏の空の下から・・・

山暮らしの記憶 過去記事再録

山暮らし

せいぜい5000円くらいの鉄板製まきストーブ
これしか買えなかったというのが真相。

内装がボロボロになって、ところどころトタン板がむき出しになった小屋。

冬の夜は、いくら火を焚いても寒いので、入り口にも窓にも毛布や厚手のカーテンを垂らしていました。
それでも外で風が吹くと、ランプの灯が揺らぎ扉がバタンバタンと音を立てていました。

部屋に一つのランプの灯りの下、薪ストーブの周りには額を寄せ合う8人の親子。

そんな暮らしが、確かにありました。

お風呂場には外の風が吹き込み、トイレは氷点下の家の外。
家の中だというのに、白い息を吐きながら飯を食っていることもありました。

でもそんな生活の中にも、豊かさを感じる瞬間がいっぱいありました。
薪が良く燃えて、ヤカンから湯気が立ち上るのを見ているだけで、幸せな気分になれたものです。

夜半、用を足しに氷点下の外に出て行くと、どんなイルミネーションも及ばぬ満天の星空だったり、雪化粧した山や森を照らす月光白夜だったり・・・。

漆黒の闇夜もまた、妙に感動的でした。

その頃、街に住む人を訪ねると、暖かくて明るくて快適な家の中。
お風呂もトイレも何もかもが行き届いていて、頭で分かっていてもいつも新鮮な驚きを味わったものです。

もう20年以上も前のことになってしまいました。

でもあの時の記憶は、この先死ぬまで消えることはないと思っています。

山暮らし

今となっては、映画の一シーンを見るような気持になります。
でも紛れもなく、これは自分たちの現実でした。
後ろ姿は、当時10歳の三男

獏の空の下から・・・

10年余り前まで、電気も電話も引けない、郵便配達も宅配便も来ない、それはそれはとんでもない山奥に14年間暮らしていました。

このブログの過去記事の中でも時々取り上げましたので、以前私たちが山奥で、今時珍しい暮らしをしていたらしいことは、すでに多くの方がご存知かなと思います。

10年過ぎて、もう少し語ってもいいのではないかな・・・という気がして来ましたので、これから折々に触れて行こうと思っています。

さてそんな山暮らしの中で、私たちはずっと通信を出し続けていました。
個人的な内容も少なくないので、何から何までブログネタにしようとは思いませんが、一度は多くの方に向けて発信した通信ですし、少しずつまたリバイバル公開して皆さまにご高覧いただくことにしました。

私たちが山暮らしをしている間に、実はちょうど世紀末でした。
20世紀から21世紀へ、この大イベントが世界中を騒がしくしている最中私たちは、全く静かに山の中で違った時間の流れの中で過ごしていました。
そのことは、当時の通信にも書き留めてあって、今読むと、またあの時間の流れが心の内に蘇ります。

今みたいにインターネットはなかったし、その分本はよく読んでいたなぁ・・・。
毎号、必ず読書感想文が入っていましたから。
そしてそんなゆったり流れる時間の中でも、本当にいろいろ沢山のことをしていた側面もあって・・・、ま、追々ご紹介して行きます。

それでは、当時の通信「獏の空の下から・・・」のpdfファイル、先ず一つご覧ください。
「獏の空の下から・・・7号・2001年1月」