今日は、8月6日。
68年前の今日、広島に原爆が投下されました。
人類史上初めて使用された、核兵器でした。
その惨劇は、すでに多くの人の知るところです。
一方、いくら語っても語りつくせない、伝えようとして伝え切れない、その凄まじい破壊の様子を、いつまでも人々の記憶に留めたいと、今も少なからぬ方が努力しておられます。
私たち、今をそしてこれからを生きる者に課せられているのは、一年一度でも例えば今日8月6日という日に、残されている戦争にまつわる資料に触れ、放映されるTV番組があればそれを見るなどして、過去の惨状を想い平和の意味を再確認することであると思っています。
今日、私は予定どおり、家の周りの草刈りをし、ごみを片付けました。
小ざっぱりと気持ちの良くなった風景を見ながら、これが平和のありがたさかも知れないと思いました。
それから畑に行きました。
大きくなったカボチャやスイカを、赤くなったトマトを、すっかり食べごろになったとうもろこしを見ていると、これもまた平和のありがたさだと思いました。
こうして収穫の喜びに浸れる、まさに平和の証です。
でも、原発の放射能は・・・と仰いますか。
まあ、売り物にするわけではありませんから、検査もしていませんが、不安はありません。
別に不感症になってしまったのでもありません。
これまでの経過と多くの検査例から、そう判断出来ると思っているだけです。
カボチャだけは、もちろん検査をしますが・・・。
否それより何より、放射能より怖いものもあることを知ったということですね。
フクシマから未だに何も学ぶことが出来ないでいるこの国のあり方。
今日、広島と福島が重なって見えたのは、私一人ではないかも知れませんね。
夕方、庭の一角に、大きな芙蓉の花が咲いているのを見て、もう一度平和のありがたさを想った私です。