今日は、午前中は浜通りの富岡町へ、午後は内陸の葛尾村へ行ってきました。
震災から三度目の夏を迎えた被災地は、どこも草に覆われていました。
その風景に、原子力災害の被害の質のようなものを見たと思う私です。
地震と津波だけなら、その直後から地域は、復旧・復興に向けて動き出します。
しかし原子力災害が伴うと、その場所は何も出来ずに放置されます。
それ以外方法がありません。
三度目の夏を迎えた結果が、ご覧いただいている写真です。
破壊の程度だけを比べたら、もっと凄まじい場所もあったかも知れません。
しかし、ここでは復旧・復興に取りかかれないという時間の経過が、もう一つの被害となっています。
一体何年先まで・・・。
被害の大きさは、破壊の程度×影響を受け続ける時間、で見なくてはなりません。
一方、避難か帰還かに、線引きをして住民の判断を強制すべきではないと思います。
ある線量を、受け入れられない人もいれば、逆に気にしない人もいるのです。
避難したい人には避難を補償し、留まりたい人にはそこでの生活を補償する、これが本当の救済だと思います。
原子力災害は、それだけ重いのだと、東電も国も我々国民も認識を新たにしなくてはならないでしょう。
明日は、会津に戻ります。
会津が、原発から遠くて、線量が低くて、良かった・・・?否、そんな単純なことではありません。
今後、フクシマは日本どころか世界に影響を及ぼします。
「人類と核は共存し得ない。」
それを実感出来る場所は、今この世界に二つ、チェルノブイリとフクシマです。
もう一つ増やしたいですか・・・。