原発の汚染水の問題が、今さらのようにニュースになっています。
もうずっと前から、そもそも事故後間もない頃から、いずれこうなることは分かっていたのです。
現場で働いている人たちは、早くからそのことを訴えていましたから。
私たちは、この現実に何を学ばねばならないでしょうか。
そうです。
この国は、原発以上に劣化しているのかも知れないということ。
ひょっとすると今後対応不可能な状況に、本当になってしまうかも知れないと、そのことをこの国の全員が覚悟しておかなくてはならないと思います。
今この時に、私たちの国はどのようなメッセージを発信することが出来るでしょう。
世界の関心は、そこに集中していると感じます。
そして私たちはこの先、何をどう選択すべきか。
事故の原因究明も有耶無耶なまま、東電の社会的責任も問われないまま、再稼働を言う電力業界と政府。
停止中の原発の再稼働が出来る余裕などどこにもないということを、理解出来ないかあるいは知らぬふりをしているのか。
そしてまたこんな時に、オリンピック招致にはしゃいでいるとは・・・。
否だから、劣化していると・・・。
これらのこと諸々、最後は国民の私たちに関わって来るということです。
この先、何がどうなる?
どのような結末にしろ、先が見えないことには希望は生まれません。
ああ、まるで話に聞く太平洋戦争末期の南方戦線ような・・・。
そして敗戦を終戦と言い替えて、何か大切なことを学ばないまま68年、今またもう一度徹底的に敗北でしょうか。
私の親たちの世代が、戦後、希望と思って突き進んだ道の先にもう一度このような状況があるとは・・・。
そして還暦を越えた私の世代は、この先死ぬまでに、子や孫たちにどのようなメッセージを残せるでしょうか。
引導を渡すことは出来るのか。
国が劣化しても、自分は劣化するわけには行かないと、決意を記して肝に銘じておこうと思います。