一、
火筒(ほづつ)の響き遠ざかる
跡には虫も声たてず
吹きたつ風はなまぐさく
くれない染めし草の色
二、
わきて凄きは敵味方
帽子飛び去り袖ちぎれ
斃(たお)れし人の顔色は
野辺の草葉にさもにたり
三
やがて十字の旗を立て
天幕(テント)をさして荷(にな)い行く
天幕に待つは日の本(ひのもと)の
仁と愛とに富む婦人
四、
真白に細き手をのべて
流るる血しお洗い去り
巻くや繃帯白妙(ほうたいしろたえ)の
衣の袖はあけにそみ
五、
味方の兵の上のみか
言(こと)も通わぬあだ迄も
いとねんごろに看護する
心の色は赤十字
六、
あないさましや文明の
母という名を負い持ちて
いとねんごろに看護する
心の色は赤十字
つい先日、NHKの大河ドラマ「八重の桜」の最終回が放送されました。
昨日、オンデマンド配信されたその最終回を視聴した私です。
ドラマの出来がどうだったか、そのあたりは私は評論家ではありませんから何も申し上げませんが、視聴率はあまり良くなかったような評判ですね。
さて最終回の劇中、八重が赤十字の篤志看護婦として働く場面がありました。
その時、この歌の一節が歌われていたのですね。
婦人従軍歌というこの歌、私が小さい子どもの頃、母が時々口ずさんでいたような記憶があります。
冒頭の一節は、すぐに思い出した私。
それはさておき、敵も味方も分け隔てなく看護する感動的な場面のはずでしたが、看護婦たちの白衣が全く汚れていないことに、どうにもならぬ違和感を持ってしまいました。
戦争はきれいごとではない。
どんなに勇ましい言葉で鼓舞し正当化しようとも、戦場では血と涙が流れ、骨肉が飛び散り、人々の悲しみと恨みが怨念となって、目には見えずとも大気を赤く染めているに違いないのです。
果たして、戦争の悲惨さを強調し過ぎることのないようにとの誰かの意図なのか、それとも演出家に元々そんな現実感覚が無かったのか、どうなのでしょうね。
近頃は、魚一匹捌けない人が多いのですし、ましてや生きている鶏を殺して肉にする機会など皆無に近いのですから、戦場の凄まじさは想像も付かないかも知れません。
いずれにせよ、「八重」の時代の前も後も、戦争に次ぐ戦争が続いたのでした。
一年間このドラマを見て、何だ!人間って全然変わってないじゃないか!と、ちょっと考え込んでしまった私です。