職人は、多くを語らない

最近やっとですが、私も、職人であることを自覚するようになりました。
もちろん、まだまだ修行半ば。何事も一生勉強と思っていますけれど。
で、そうなって見て思う事がいくつかあります。

先ず一つ。職人は多くを語らないということです。
職人は、仕事の出来だけで勝負するものです。
いろいろ講釈を垂れて、付加価値を高めようなどとは思いもよりません。
黙って、自分の技能を磨いているのが職人の姿だと、少なくとも私はそう思っています。

職人にとって一番大切なものとは何でしょうか。
それは、他に勝る技能と知見、そしてもう一つ大切なのが感覚です。
いずれも、簡単には手に入りません。身に付きません。

技能と知見は、最低限の知識と技術を基に、現場の仕事で鍛えられるものです。
どれだけ長くそして深く、その仕事に携わったかにかかっています。

それからさらに一筋縄でいかないのが、感覚です。
良い仕事をするのに一番必要なのは、それが良い仕事だと分かる感覚です。

食べ物だったら、味覚や嗅覚はもちろんですが、食文化に関わるセンスも欠かせません。
例えば、包丁がちゃんと切れているかどうかと言った、道具に対する感性も重要です。

そしてそういう感覚的素養は、例えば幼児体験とか、日頃の食生活とか、遊びの中で培ったモノや道具に対する知見とか、何と言ったら良いのか分かりませんが、幅広い周辺の出来事や体験から養われるもののようです。

そうなると、自分に身に着いた感覚にマッチした仕事を見つけることも重要になりますね。
そしてさらに、運命的なものさえ感じざるを得ません。

ところで、職人が多くを語らないのには、もっと現実的なわけがあります。
それは、自分が苦労して磨いた技能を、簡単に越されたくないのですね。
何しろメシのタネですから。
ある意味、命が懸っているのですよ。

そして語らないだけではありません。
見せることもしたくないのですね。
同じ道を歩いている職人なら、一を聴き一瞥するだけで、大事な秘密の勘所を見抜いてしまいますから。

とは言え一方では、自分の技能に誇りを持ち、伝えることや広めることにも意義を認めています。
たまたま教えるのが上手な人は、弟子を取って後継者を育成出来るのですね。
そうでない人は、黙々と仕事に精を出すというわけ。
たまたま愛想が悪くても、決して悪人はいない、それが職人です。

世の中、汗水たらし血を吐き、骨身を削って仕事する人が少なくなったなぁ・・・。
何だか一段高いところにいて評論する奴ばっかり増えてるような・・・。

今日は、ちよっと一言、言いたくなった私です。


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