酵母の調子が悪くなって、再生回復を試みること4日。
何故そうなったかも含めて、酵母の性質をより深く理解することが出来つつあると思っています。
今朝、ライ麦入り角食パンを仕込んで焼いて見ましたが、まあまあと言うところ。
その後、ザワータイクから派生させた酵母種を使って、今度は飯豊山食パンと余り生地のバタールなど数種類のパンを焼いて見ました。
こちらは、うまく行きました。
売りに出しても良かったくらいでしたが、今日は全て試食品としてご来店のお客さまに無料で差し上げました。
ところで、酵母をいじっていて一番判断の拠り所になるのは何か?と言うなら、それは匂いです。
次に舌先に感じる味です。
そしてかき混ぜた時の手応えというか、見た目も含めた様子。
つまり、鼻と舌が一番重要な計測器なんです。
そこでふと思ったこと・・・。
世の中では今、山仕事や農作業、暮らしの知恵など、そして私のようなモノづくりに関わる貴重な伝承が、急速に失われているのですね。
後継者がいなくて、廃れていく様々な技能や知恵の数々は、それぞれ現役にある人に備わっているものですから、実体験を通して人がそのものを受け継いで行かないことには、やがて確実に消滅してしまうのだと私は思います。
映像や音声あるいは仕掛けや道具、出来上がった実物の保存など、記録を残すこともいいのですが、またまだ現役にある方の話を聴いたりスライドやビデオを見るのもいいのですが、いずれにしてもそれらは実際に自ら後継して現役になろうとする人がいなければ、何の役にも立ちません。
そしてまた、たとえば匂いや味わいといった情報は、データ化出来ないし残すことも出来ません。
それが一番の拠り所になるような仕事は、実際にそれをやっている現場の中でしか伝承不可能です。
否、必要のない仕事が自然淘汰されているだけだと思われますか。
そうではないでしょう。
物事にはリソース(原資)というものがあります。
直接必要ではないように思えることでも、何かの基礎になっている、元手になっていることがあるのではないですか。
失ってみて初めて分かるその貴重さに、後になって気づいてももう取り戻すことは出来ないことが、実は沢山あるような気がする私です。