絶滅危惧種

絶滅危惧種と言っても、野生動物の話しではありません。
人間の、それも私たちに関わる話しです。

この前、「35年後」というタイトルで、人工知能が人間の脳の働きを超える時が来るという話しをしました。
振り返って今何が起こっているのか・・・、それを確かめておきたいのですね。

これまで何度かこのブログでも、人類がこれまで何万年をかけて獲得して来た知恵と言うか生きるための能力と言うか、掛け替えのない資質とも言うべきものをいかにも短時間の間に失いつつあると言うことを申し上げています。

まあそんなことは、この私が説を述べなくてもどこかの先生がすでに研究していらっしゃるのかも知れませんが、私の世代の者にはその経過をリアルタイムで経験して来たある種の感覚と言うか危機感があるのですね。
このままではヤバい・・・と言うか、危ういと言うか、具体的にどうなるとは説明出来ませんが、まずいことになるのでは・・・と言う予感があるのです。

今から50年前、少年だった私たちに私の親たちは、「お前たちは、こんなことも出来ない、あんなことも出来ない・・・」と、移り変わる時代を嘆くように言っていました。
実際彼らは、生活上のことは何でも自前で用を足せる腕前を持っていて、子どもの私は日常の風景としてそれを見ていました。
しかし、自分で出来るようになったのはほんの一部だけ、あとはとにかく勉強しろ!でしたからね。
それもまた親の偽らざる気持ちから出た言葉だったと思います。

そして私の子どもたちは、もうそのような風景を見たことさえないのです。
そんなことに強い危機感があったからこそ、私は山暮らしの中で、自分自身の記憶を頼りに子どもたちと一緒に、可能な限りいろいろなことに挑戦していました。
尤も、それを今はなき父などが見たら何と言ったことか、「いやいや、大変だ!」とため息が漏れたかも知れません。

それはともかく、時代の流れは止められないし、何から何まで昔に戻ることも出来ないと思いますが、せめて自然に対する感覚だけは残したいと思うのですね。
でもそれはやはり、暮らしの現実と一体のものだということもまた確かですから、もうこの世界にそんな感覚で生きている人間がどれほどの数いるだろうか・・・・と考えると、その人たちはもはや絶滅危惧種だと言えるのですね。

飯豊山の向こう側、お隣山形県に今も未だ現存するマタギ集団の人が、自分たちのことを冗談めかして「絶滅危惧種」と言っていましたが、それは冗談でなく本当に当たっていることなのかも知れません。
人類って、どうなって行くのでしょうね?
そのうち、サルより賢いなんて威張っていられなくなったりして・・・と思う私です。

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