一昨日から二泊三日で、カミさんの実家がある茨城県の牛久市に出かけていました。
久しぶりに訪れる首都圏は、やはり人口の多さが際立っていることを感じさせました。
どんな商売でも、ここなら成り立つだろうなと思わせるにぎわいが、そこここにありました。
ところが、カミさんの弟さんのお話しを聞くうちに、そう単純なものではないことが分かりました。
昭和40年代の終わり頃から造成が始まり、その後次々と新しい住宅団地が広がって人口急増地帯であった実家のあるその場所は、駅からそんなに遠くもないのに最近空き家が目立つようになったと言うのです。
市の人口自体は微増であるらしいのですが、人々はさらに新しく出来た住宅団地に入居する傾向なのですね。
古い団地は、一戸一戸の区画が狭く住宅設備も古くて、造成当時入居した方々の子どもたちは自分の家族を持つようになると、同じ家には住まないし住めないのですね。
結局、時間が経って団地全体が老人ばかりの構成になり、そのうち一戸また一戸と空き家になって行く運命なのです。
そして、駅前にあったデパートは数年前に閉店し、あと地は空き店舗のままでした。
駅前通りに新しいパン屋さんを見かけましたので、パン屋が増えているのではと尋ねたところ、新しいパン屋が出来る一方で閉店して行くパン屋も複数あるとのことでした。
ちょっと車を飛ばせば、大規模ショッピングモールもありますし、商売するのもそんなに容易なことではないようです。
何と言ったらいいのでしょうか、せっかく一つの街が出来たのに、古い街並みが残るのではなくて使い捨てのような状況になっています。
一方、再開発するエネルギーが、果たして今後の日本にあるだろうかとも思いますし、今までのように何でも新しく造り変えるだけでは、本当の意味で住みやすく味わい深い街づくりは出来ないと思います。
そんなことを感じながら、それではと我が福島県の会津の片田舎に目を転じると、高齢化と人口減少、空き家の増加、耕作放棄された農地や荒廃して行く山林、こんな風景が目の前のどこにでもにあります。
そして、どこの自治体も一生懸命移住促進のプランを練っていますが、未だ決定的に効果を上げた例を見たことがありません。
それもそのはずでしょう。
首都圏のベッドタウンが、先に述べたような状況なのですから。
便利さや快適さでは、都会にかなうわけがありませんし、唯一目玉の豊かな自然環境は近年獣の害に晒されて、もはや危険にさえなりつつありますから。
とりあえず暮らすなら、都会の方が無難だと考える人がほとんどなのではないでしょうか。(私個人は、決してそう思ってはいませんが・・・。)
自分たちがどんな暮らしをしたいのか、具体的で明確なイメージを持っていないと、これから先田舎で暮らす意味はないのかも知れません。
そんなことを思う、昨日今日でありました。