未来の農業は、土が要らなくなる、気候に左右されず、お天気にも左右されず、どこでも年中いつでも、他の工業製品と同じように野菜工場の中で入用なだけ製造出来るようになると、それがすでに現実となりつつあります。
そのうち、食糧生産は畑ではなく工場で、ということになる可能性が大きいのですね。
と言うか、その方向に進んでいるように見えます。
自然環境と切り離れた人工的環境でつくられるので、病虫害は発生しない、だから無農薬でOK。
いつでも品質は一定していて、選別に手間暇かける必要もない。
何だか良いことづくめのように思えて来ますが、何だかなぁ・・・と私は思います。
果たして、本当に自然環境下で育ったものと同等かそれ以上のものが出来るのでしょうか。
否、それよれ何より、野菜工場は金稼ぎの一つの手段でしかなく、そこでの労働は、植物という生命あるものを育てる喜びとは無縁なものだと思います。
さて、そんな世の流れに対応するかのように、あくまでも土の上で自然環境下で旧来の農法によってつくられるものにこだわり、それを差別化して特別な価値を付加する動きも一方にはあるのですね。
そこで出て来たのが、アースメイドという呼称です。
Earth Made 地球製ですか・・・、なるほどねぇ・・・?
うまいこと言いますね。
響きがいいですね。
まあ、この世にはいつでも二つの方向の流れが生じることになっていますから、ロボット技術とAIも駆使して工業的手法で進化して行くのが農業の一つの方向性なら、それはそれで仕方がないと言うか、どんどんやってくださいと申し上げるしかありませんね。
でも、命に直接関わる食糧を生産する農業と言う仕事を、完全に工業化してしまったら、私たちが経験したことのない何か空恐ろしいことになりそうな気がします。
一方で、何もかも原始的なものこそ至上とするのも、これもどうかと思います。
何と言ったら良いのでしょう・・・、こういうことは実際に土の上にいて作物と付き合っている者が、自ら考えなくてはダメですね。
人の子を育てるのと同じように、100人いたら100通りの作物の育て方があるのが農業ですよ。
大地という場を借り、お天道様の力を借りるとしても、そこに知恵を働かせ手を尽くして育てるのは私ですから、そういう意味で「私のつくった作物」であり「私の麦」です。
私は、アースメイドという言葉は使いません。