何故、獣害対策に一生懸命になるのか

我が集落のような中山間地区の小集落では、獣の害が深刻です。
特に、熊とイノシシと猿は、生命に危険が及ぶこともあるので、真剣な対策が必要です。

大切な作物を食害するから、周辺の環境を荒らすから、それらを防ぐためというのが対策の主な理由だと理解されていると思いますが、本当はそれよりも重要な視点を忘れてはなりません。

それは、私たちの生活の安全(生命の安全と言ってもよい)を守るという、にわかには結び付きにくいけれど、一番の眼目は実はそこにあるのです。

前々から申し上げているように、野生の動物たちがただ無条件に本能的に人を恐れているというのは、もはやとんでもない誤解だと知るべきです。
彼らが人を恐れるか否かは、人との関係の中で学習された結果でしかありません。

その学習は、いつでもどこでも不断に行われているのであって、どんな生き物でも条件が揃えば人を恐れない、あるいは人に構わない振舞いをするようになります。
ネズミだって然り!

だから、獣害対策の要は、人間の私たちの縄張り宣言をする、それを行動で示すことにあります。
草刈りをしたり、木を伐ったり、火を焚いたり、大きな音をたてたり、本当はたまには狩りをして強烈なメッセージを送ることも必要です。

ですが、今の私たちには、獣たちに直接手出しすることは禁じられています。
とりあえず出来る方法を、精一杯頭を使って行使する以外、今のところ有効な対策はありません。

被害を報告し捕獲を願い出ても、直ちに採択されるわけでもなく、わなを仕掛けて一定期間が過ぎてかからなかった時は、それ以上の手が打たれることはありません。

昨年の例のように、せっかく捕獲した大熊を山に放してしまうのですから、何が危険なのか、この人たちには理解出来ていません。

先ずは、動物たちのことをよく観察し、知ろうとすることです。
時間と手間はかかりますが、小さな手掛かりは沢山あります。
初めの頃、全く余計な手間暇だと思いましたが、最近、命ある者として生きるということは、本来そういうものかも知れないと思うようになりました。

今後、獣害は、むしろ都市部でより深刻になって行くだろうと思います。
そのストーリーは、もうすでに始まっています。

もっともっと深刻になって初めて、社会の問題として取り上げられるようになるのでしょう。
それでもしばらくの間は、何をどうして良いのか分からず、見当違いの模索が続くことと思います。

そんな間にも、せいぜい被害に遭わないように、命の危険を避けるように、慎重に且つ大胆に、動物たちと駆け引きしながら生きて行きたいと思っています。

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