何故、誰も、「戦え!」と言わないのか

自然界の成り立ちを、共存と共生だけで語ろうとする人が多くいます。
しかし、自然界には、競争と闘争による淘汰の力が働く側面が半分あるいうことを無視しては、真の自然界の姿は見えて来ません。

今、野生動物の脅威が社会問題になりつつあります。
シカ、サル、イノシシ、そしてクマはその筆頭でしょう。

皆さんご存じのとおり、農作物への被害はもちろんのこと、怪我や死亡に至る人的被害も頻発するようになりました。

そして、それらの解決策として、多くの人が、共存、共生への道を模索することが最善の策と考えているのですね。

また、動物愛護や自然環境保護を語る人たちの多くは、野生動物が増えれば増えるほど、自然は豊かになると考えているふしがあります。

本当にそうでしょうか?

実はそうではないことが、もうすでにあちこちで証明されています。
シカが増えたことにより、山の生態系が崩壊し、土壌流出によって麓の渓谷が土砂に埋まってしまった事例やイノシシによって掘り返された斜面が保水力を失って崖崩れを起こした事例、サルの群れによって絶滅してしまったヒメサユリやヤマユリの群生、そうした事例が沢山あります。

また、木に上るサルやクマは、小鳥たちにとっては深刻な脅威であり、生息には大きな抑制要因です。

その上に、農地への侵入による農作物被害が加わっています。
そしてさらに、人そのものに対する攻撃も常態化しつつあります。

彼らの歯止めのない増殖を、単に自然の営みの一角だと捉えて放置しておけば良いのでしょうか。
私は違うと思います。
少なくとも、私たちの生存に直接影響が及ぶ局面においては、きっぱりと対決すべきだと考えます。

数を減らす・・・、このことに何としても強い抵抗を感じる人が少なくありませんが、いずれそうせざるを得ない時がやって来ることは間違いありません。

人類の歴史を振り返れば、狩猟と採取の時代がほとんどを占めるくらい長かったのであり、その間に人類は、その知恵を駆使して自然界における優位を確立して来ました。

ある時には共存によって相手を生かす道を選び、別な時には対決闘争によって相手を倒すことを選び、それは一つの戦いでもありました。
そこに展開されている戦略や戦術は、動物たちを恐れさせ、また時には畏敬の念さえ抱かせる局面もあったにちがいありません。

野生動物たちとの関係も、そのような中で築き上げられたものでした。

しかし、やがて農耕が始まり安定して食糧が確保出来るようになるにつれ、人類は狩猟と採取を手放して行くことになります。
そしてそれに合わせるように、野生動物たちの行動も変化して行ったはずです。

近年に至り、野生動物に対し何も手出しをしない状況が続いている現状の下、動物たちが人に対して大胆な行動をとるようになったのは、当然の結果だと思っています。

さて今後どうすれば良いのでしょう。
今日は時間切れです。
また次に続けます。

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