令和の米騒動

米の価格が高騰していると、毎日のように報道されています。
称して「令和の米騒動」だと。

それを聴きながら、私は少し違うことを考えています。

米の価格は、これまで安過ぎたのではないか、そしてこのことは米だけでなく農産物全体の価格が適正かどうかということ、農業の産業としての位置づけは正しいのか等、様々な問題を孕んでいると思っています。

何しろ問題は広範な内容を含んでいると考えていますので、米に関して、今回一つだけ取り上げて申し上げて見たいと思います。

皆さまもご存じのとおり、米作りの現場は水田です。
そして水田は大量の水を必要とします。

ですから、日本中の至る所に灌漑用の施設があります。
大きな水路から各水田に至る小さな水路まで、それらは私たちが日常使っている上水道と同様な巨大インフラです。

そしてこの水路の大方が開かれたのは、江戸の昔にさかのぼります。
あるいはそれよりさらに昔のものもあります。

その昔、米が何物にも勝る価値そのものであった時代、権力者たちは米の増産をはかるため、至る所で一大水路事業を敢行したのですね。
以来何百年もの間使われ続け、今でも大きく米作りを支えています。

しかし、こうした貴重な遺産も、何かの災害等で損なわれることもあるのです。
実際、この近所でも災害などで水路が壊れたのを機に、米作りを止めてしまった水田が沢山あります。

復旧するには巨額の費用がかかり、現状の米の価格では元が取れないというのが、まず一番の判断理由です。
そのようにして、今次々と水田が失われて行く現状があります。

そうして考えた時、今までの米の価格は、水路インフラの更新など全く考えに入れることなく決まって来たということが分かります。
他にも、考慮されていないコストが沢山あるというのが、今の米作りであり農業だと思います。

今ここに来て米が足りないと騒ぎになっていることを考えれば、米の価格は本来もう少し高くても良かったのではないでしょうか。
高騰していると言われる今の価格が、今後の価格のベースになるのではないかと思っている私です。

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