人と野生動物の関係性は、これまでとは異なる次元に入ったかも知れない

私がまだ小さい子どもだった頃、普通に言われていたことは、「野生動物たちは皆、本能的に人間を恐れているのだ。」というものでした。

私も、それを疑うこともなく信じていましたし、実際野山で野生動物に遭ったこともありませんでした。

一人で山の中を歩き回っても、何も不安を感じることはありませんでしたし、中学生の頃、一時間以上もかけて山道を歩いて登校して来る子もいました。
冬など、暗くなった山道を一人で歩いて家に帰って行く子もいました。
本人も親たちも、先生も友だちも、誰も心配なんかしていませんでした。

それが最近はどうでしょう。
その変り様は、にわかに理解が及ばないほど大きなものに思えます。

この私にしても、大人になってもずっと以前の常識が通用するものと信じていましたし、人と動物たちの関係性を疑うことなどあり得ないことでした。
クマがいるここ会津に暮らすようになってからも、しばらくの間、相変わらず能天気な感覚でいたことは確かです。

しかし、ここ十年ほどの間に、少しずつ感覚が変わって来たと自覚しています。
きっかけは、実際にクマに畑を荒らされ、一夜でかぼちゃが全滅、続けて次の一夜でトウモロコシが全滅の被害を受け、仕掛けた箱罠に特大サイズのクマがかかり、その姿を目の当たりにしたことでした。
その迫力に、頭が真っ白になったことを、強烈に今でも覚えています。

それでも、クマは真昼間に人の前に出て来ることはありませんでした。
まだ、どこか人を警戒する態度が感じられ、日中ならクマが歩いたであろう場所を歩くことに、さほど大きな不安は感じませんでした。
※実は、その思い込みはとても危険だったと、今は理解しています。

そして最近に至って、クマをはじめとして野生動物たち全体が、いつの間にか人への警戒心を持たなくなっていることに気が付いたのですね。

どうして?と言うなら、それは私たち人が動物たちに対して何もしないで来たからに違いありません。
一部の狩猟を趣味や生業にする人を除けば、一般の我々は、野生動物たちのことにかまう機会はなかったのですね。

一方で、動物愛護の思想だけはどんどん普及して、ますます強固な信念にまでなった様相があります。
そのような時間が過ぎて行く間に、動物たちがどのような学習をし続けて、どのような感覚を持つに至り行動するようになって来たか、そのことにまだ気がついてもいないというのが、私たちの現在地です。

本当は、人はあらゆる生き物たちの中で、一番身体能力が劣る動物だということです。
しかし一方で、持てる知恵を駆使して、卓越した狩猟者になったこともまた確かです。
過去何万年かかったか知りませんが、そうして野生動物たちに恐れられる存在となったのも、また人類でした。

その魔法が、あろうことか最近解けてしまった感があるのですね。
人は、本当は簡単に倒せる弱い生き物だ・・・ということがバレてしまったかも知れません。

もしそうだとしたら、取り返しのつかない大失敗をしてしまったことになります。
これからは、人は、クマなど強い動物の餌食になる存在として、自然界での位置づけが確定してしまうということです。
異なる次元に入るということは、つまりそういう意味です。

何とかして、それを回避しなくてはなりません。
今からでも間に合うでしょうか。

最近、そのことがいつも頭から離れない私です。


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