時事雑感」カテゴリーアーカイブ

あなたは、投票に行きましたか?

参議院議員選挙が終わりましたね。
これから、今夜中には大勢が判明するわけです。
それは、この国がこれからどこに向かうのか、それが決まることだと言っても過言ではありません。

今日あなたは、投票に行きましたか。
またしても投票率の低下が報道されています。
50%は、とても厳しい・・・と。

棄権も一つの意思表示には違いありません。
ただしそれは、「選挙の結果多数を占めた勢力に、白紙委任します。」と言うことと同じです。
ただでさえ少ない有効投票数の中で多数を占めても、それが全有権者の中の多数の支持と同じではないことは、今さら言うまでもないことです。

しかし、当選した人たちは、自分たちは国民の信頼を得て議員に選ばれたのであり、国民の代弁者であり、自分たちの決議は即ち国民の意思でもあると、胸を張ることでしょう。

これでどこかの政党の思惑通りねじれの解消が実現すれば、今後は政治の決定に対する市民の反対運動など、益々以て空しいものとなってしまいます。

どのような結果が出るにしろ、即ち私たちはそのような道を歩んで来た、それを自覚し覚悟を決めるしかありません。

若い頃、政治に無関心であったことへの後悔と自責の念を込めつつ。

来週は、選挙ですね。

百姓市

本日も、ご来店ありがとうございました。


今日は日曜日。
恒例の百姓市に出店していました。
少なからぬお客さまにご来店いただき、まことにありがとうございました。

もちろん来週も、百姓市はいつも通り開催です。
そして言うまでもなく、参議院議員の選挙の日なのですね。
プラス、当集落では、道路の草刈り人足も予定されています。

さて、選挙について一言。
多くの方が、「今回の選挙では、選びたい政党も候補者もいない。」と仰います。
実は私も・・・です。

しかし、無関心ではいられません。
自民党圧勝と、まことしやかに語られている通りになれば、何が一気に進み、その結果世の中がどうなるか、まあ大体は誰が考えても分かること。

今の日本は、何も決まらない進まない方がいい。
混沌の中で悩んでいればいい、と私は思っています。
そのためには、反対勢力が一定数必要です。

どこの党だっていい、誰だっていい、明確に自民党の独裁に歯止めをかけてくれるなら。
別にそこに政権を担当してもらいたいと思うわけでなくても。
このどうしようもない破滅へのプロセスを、少しでも防御する力になるなら。

心ある方々よ!
それが投票の際の唯一の選択肢ですぞ!
棄権は、絶対にいけません!


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原発事故後、三度目の春に思うこと

震災とそれに続くかつてない原発の爆発を経験してから二年余り、福島県内各地は早や三度目の春を迎えています。
事故の収束宣言が出されてからでも1年と5ヶ月、しかし、事故後の原発の状況は、およそ収束とはほど遠い状況です。

最近ニュースをにぎわしている水漏れ事故の報に接して思うことは、そんなこと当然分かっていたはず・・・、ということ。
追い立てられるようにその場しのぎの仮設工事で切り抜けて来ているのですし、最初から無理のある工法は承知のはずです。
それなのに、なお資材も工賃もケチって、人件費もピンハネで、健全な人の考えというものが見当たりません。

この二年余りを見ていて、誰もかれもが言いたい放題のことを言って、責任は全く取らないのが、今の日本と言う国の有様なのだなと気づきます。
壊れているのは原発だけじゃありません。
この国そのものかも知れません。
オ・ソ・マ・ツ、ですよ、全く。

そもそもこれほどの大災害になって、本当に対応可能なのか・・・、いささか不安になって来ます。
それでもまだ原発というシステムに依存しようとする日本社会。
もう少し人間が真面なら・・・、と。
自分への自戒の意味も込めて、そう言うしかないですね。

願わくは、再び大きな地震に襲われるようなことがありませんように。
福島第一原発は、まだ瘡蓋も張らない傷口のままです

震災2年

歴史に残る大震災から早や2年。

今回は、それまでのいかなる災害と異なり、これまで例のない原子力災害を伴いました。
地震の揺れや津波は、天災と呼んで間違いはないと思いますが、原発の爆発はあきらかに人災的色合いが濃いと、もはや社会の認めるところです。

この2年間の成り行きを見て、いつの頃からか、私は言葉を失っています。

黙っていてはいけない、声を上げなくては!と言う人が沢山います。

決して黙っているわけじゃない。 日常の行動を通して意思表示はしているつもりです。
自らの命を以って抗議の意思を表した人もいました。 「原発さえなければ!」と。

政治にデリカシーが欠けているだけです。

命をかけて、壊れた原発の中で収束作業に当たっている人たち、避難せずに留まっている人たち、沢山の人々が生きている、それがフクシマです。

日々、放射能の恐怖や不安と対峙している、その胸の内を感じ取るデリカシーに欠けている!のじゃないですか。

ある意味、この社会も。

黙っているしかないじゃないですか・・・。