今日は、暖かい一日になりました。
曇りがちな空ではありましたが、そこそこ日差しがあり、庭の福寿草がそこここに咲きました。
アズマイチゲも一部開花し始めました。
まだまだ残雪もあるのですが、日当たりの良い場所は一足先に春になっています。
仕事が手際よくはかどりましたので、写真を撮ることが出来ました。
夕食には、フキノトウ味噌が出ていました。
やっぱり、うれしいですね。
元気が出て来ます。
今日は、暖かい一日になりました。
曇りがちな空ではありましたが、そこそこ日差しがあり、庭の福寿草がそこここに咲きました。
アズマイチゲも一部開花し始めました。
まだまだ残雪もあるのですが、日当たりの良い場所は一足先に春になっています。
仕事が手際よくはかどりましたので、写真を撮ることが出来ました。
夕食には、フキノトウ味噌が出ていました。
やっぱり、うれしいですね。
元気が出て来ます。
IIDEこと、紙版・飯豊の空の下から・・・ の編集をしなくてはいけません。
3月号は、間に合いませんでした。
これから、3月4月合併号で編集を始めようというところです。
ブログをご覧いただいている方からすれば、紙版を作る意義がどの程度あるのか疑問符が付くかも知れません。
しかし世の中には、パソコンもインターネットも、生活の中に取り入れていない方が案外いらっしゃるのです。
実際、お送りした通信をご覧になって、それから食工房にお電話やお手紙でご注文くださる方が、今でも数名いらっしゃいます。
そしてそれは、年配の方ばかりとは限りません。
オンラインストア は便利でいいけれど、お手紙に直筆で品目を記していただくご注文 は、今時かえって新鮮で心がふるえます。
それに昨日の話しではありませんが、これは印刷物という形となって残るものですから、私たちの願いにも適う部分が大きいのですね。
少し気持ちを新たにして、取りかかりたいと思います。
2007年の3月27日より、「飯豊の空の下から・・・ 」を書き始めて10年が過ぎました。
何をしていたって時間だけは過ぎて行くのですから、10年を過ぎる時もいつかはやって来るには違いなかったのでしたが、それが今日という日だったというわけです。
とても長い時間だと思います。
決してあっという間なんかではなかった・・・。
中でも、東日本大震災と原発の過酷事故を間に挟んでいることは、前後の時間が完全に分断されていると感じさせます。
ちょうどその時、私自身も還暦でしたし、本当に長い長い10年でした。
さて、長い時間続けて来たのはいいのですが、その意義と言うか中身はどうか・・・。
まあ、食工房の広告媒体としての役割は、十分果たして来たしこれからも果たし続けるだろうという点では、私の中では一定の意義はあったと思っています。
あとはプラスアルファと言うか、皆さまにとってどうであっても、私自身として心の中の伝えるべき何かを伝えることが出来たか・・・、それがあとの半分なのですね。
そう考えると、近頃はいつも時間に追われていて、じっくりと言葉を選び文章を練るだけの余裕がありません。
尤も、作家ではありませんし、文章書きが本業でもありませんから、別に何を残さなくてもいいはずなのですが、出来れば自分の子や孫たちに、あとになって「ああ、そうだったんだ・・・。」と受け止めてもらえるような何かがあってもいいのじゃないか・・・、そんなことを思うのですね。
本当はブログなんかじゃない方がいいのかも知れません。
半分は必要に迫られつつ、半分は残せる何かを思いつつ、続けて来たこの10年でありました。
何はともあれ、引き続きお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
雪融けが進んでいます。
雪解け水で、川が増水しています。
先日来、庭のイチョウの木の下あたりに福寿草のつぼみがあるのを見つけていましたが、今日見るとそこここにつぼみが顔を出していました。
中には、すでに花びらを広げているものもありました。
何だかうれしいですねぇ。
何が?って、分かりませんけど。
一方、軒下にはまだまだ大量の雪の山です。
雪囲いが外せるのは、これが無くなってからです。
4月も半ば過ぎになることでしょう。
この冬の降雪量が多かった証拠です。
でも、雪は必ず融けて消えます。
慌てることはありません。
待っていればいいのです。
と言いつつ、何だかそわそわと落ち着かなくなるのも事実。
春です!
今朝、家の周りを散歩していた時、遠くから犬が吠えるような声が聞こえてきました。
最初地上ばかり見ていましたが、やがてその声が空から聞こえて来るのに気づいて見上げると、はるか上空を30羽あまりの白鳥が隊列を組んで上空を通過中でした。
優雅に飛んでいるように見えるのですが、もっとよく見ると相当なスピードで、しかもとても力強い飛翔です。
これから長い時間をかけてシベリアのあたりまで飛んで行くのですから、命がけの覚悟の旅であるに違いありません。
標高2000mを超える飯豊山の方向を目指していました。
多分、あの峰を越えて行くのでしょう。
氷点下の上空を、あのスピードで風を切って行くのですね。
すごいなぁ・・・。
いつまでも目が離せない私でした。
春は、確かに近づいているようです。
休日でお天気も良いとなると、やはりお出かけの気分も上向きますね。
沼ノ平の福寿草も、昨日よりさらに開花が進んだのではないでしょうか。
おかげさまで食工房にも、いつもの月曜日に比べればずっと多い数のお客さまが、お見えになりました。
2月中、すっかり雪に埋もれていた家の周りも、あちこち地面が見え始めました。
そうなると落ち着かなくなるのですね。
近所の農家の方が、畑の見回りをしていました。
うちの娘も、畑に残っている雪の深さをチェックしていました。
私は、家の玄関前の大雪の山を削って雪の階段を切り通しにしました。
スムーズに出入り出来るだけで、早や春が来たような気分です。
もうこれから先は、積雪になるようなことはないでしょう。
南国土佐に遅れること一ヶ月半、雪国会津にも、やっと春が来たようです。
なお明日と明後日、食工房は定休日休業となっております。
お間違えのございませんよう、よろしくお願いいたします。
偶然の成り行きから、NHKのEテレでETV特集「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」という番組が放映されていたことを知りました。
ネット上の動画サイトで見ることが出来、とても良い内容だったので、ダウンロードも試みました。
そうしたところ、近々アンコール放送があることが分かり、期待しています。
3月18日(土)は早朝からパン焼きですが、そのまま夜更かしして、放送を見たいと思っています。
早くご覧になりたい方は、動画サイトで。
https://www.youtube.com/watch?v=2b_du2Q8P08
二週間前の今頃、出発の準備で慌ただしくしていました。
一週間前は、東京行きの夜行バスに乗って高知を出発。
高知での一週間の前後で、1年過ぎてしまったような錯覚を覚えます。
時間が経つのが速い!
これから死ぬまでに出来ることは、そう多くはないかも知れません。
一分一秒を大切に、過ごしたいと思います。
食工房、明日と明後日は定休日です。
お間違えのございませんように。
あの東日本大震災から丸6年が過ぎました。
今日は、7年目の3月11日です。
早朝午前3時に起き出して、パン焼きの支度をしながら夜明けを待ちました。
明るくなって外を見ると、雲が切れて晴れて来るようだと分かりました。
間もなく日が差して来て、明るい春を感じる気持ちの良い朝を迎えました。
その景色を見ていると、震災のあの日は遠い日の夢であるかのような気持ちになります。
この6年間、いろいろな思いを呑み込んで心の裡に仕舞いこみました。
幸いにも、会津の我が地域は、地震の直接の被害はほとんどありませんでしたし、それに続く原発事故の影響も、深刻なものではありませんでした。
風評被害だけは、終わりがないかのように今も続いていますが、食工房に限れば、理解あるお客さまに恵まれて、挫折することもなく続けて来られたと思っています。
6年経って、やっと売り上げが増える方向に転じた今、この間支えてくださった多くの方々に、改めて感謝を申し上げます。
今夜は、心静かに祈りのうちに過ごしたいと思います。
そして明日からまた、与えられた仕事に誠心誠意打ち込みたいと思います。
ご来店のお客さまで1000円以上お買い上げの方に、先着順で高知のおみやげを差し上げています。
馬路村の”ごっくん” です。
数に限りがありますので、無くなり次第終了です。
これから2年の長きにわたって開催される「志国高知・幕末維新博覧会」
今回は見られませんでしたが、来年は中に入って見たい。
本日、郷里の高知より帰ってまいりました。
帰って・・・というのも実は微妙で、それは、私にとっては自宅のある会津も実家のある高知も、共に帰る場所だからです。
ま、そんなことは個人的事情なのでどうでも良いとして、この間にブログの更新はなりませんでした。
今回は、プライベートな出来事がほとんどで、あえて皆さまにご報告すべきことではなかったからです。
それより、休業中もずっとインターネット上でご注文の連絡が次々と入り、そこそこ忙しく対応に追われていました。
全くありがたいことです。
そして帰り着いてから留守電やファックスのチェックをすると、更にありがたいご注文も入っていました。
明日の仕込み作業から、アクセル全開で仕事をしないと間に合いません。
ちょっとしたパニックです。
でも、本当にありがたいですね。
こうして、皆さまのお引き立てのおかげで、高知に行って来ることも出来るというわけです。
明後日の営業再開から、またよろしくお願いいたします。