高野通信」カテゴリーアーカイブ

店主の日々雑感など諸々

そう言えば、まだ氷点下になっていない

12月ともなれば、いつもの年なら水道管の凍結防止ヒーターに電源を接続しているのですが、今年はまだです。
と言うか、未だその心配をする必要がない!?のです。

そう言えばこのあたりでは、まだ氷点下になっていない・・・。
水道管が凍るのは-5℃が目安ですから、まだまだ余裕です。

今日も夕方、飛沫のような細かい雨が降っていましたが、もっと冷え込めば当然雪になるはずの雨です。
これは確かに、今までにないほど極端な暖冬傾向の始まりかも知れません。

どうやら明日は、雨の一日のようです。
明後日は雪マークが出ていますが、どうなることでしょう・・・。

無ければ無いで楽でいい雪ですが、今度ばかりは妙に雪が待ち遠しい感じがします。
だって、何か変じゃないですか・・・。

雪囲い、完了

今日で、家の周囲の雪囲いの設置を終えました。
雪が降る前に完了出来たのは、会津に引っ越してきた最初の年を除いて、今回が初めてかも知れません。

尤もこれは、冬の到来が遅かったからで、私の首尾が良かったわけではありません。
全く暖冬と言うか、これでは熊も冬眠に入れないのではないかと心配するほど、これはもう異常気象なのですね。

いつまでも暖かいので、畑の虫たちも白菜やキャベツの葉をいつまでも食害してくれて、全くひどいものです。
大根は育ち過ぎて、中にスが入って腐り始めるものが出る始末。

暖かくて楽だなんて言っていられません。
一大事です。

厳しい寒さと大雪も、役に立つ時は役に立っているということですね。

どんな冬になることでしょう・・・。

雪の気配

雪の気配

全くパッとしない風景です。
会津の冬の始まりは、いつもこんな感じです。
家の中で暖かくして、温かいものを食べて過ごす、これが一番です。

ここしばらく妙に暖かい日が続いていましたが、この二三日のうちに急に冷え込んで来ました。
そして、降ってくる雨もみぞれまじりとなり、今日は一時でしたが白いものが舞いました。
まだこの後夜になれば、本当に雪になるかも知れません。

いよいよです。
我が藤沢集落より少し標高が高い山の稜線は、すでに白くなっています。
除雪車も定位置にて待機中。

食工房では、降雪時にご来店くださった方には、ポイントカードの点数を2倍にして差し上げています。
もしご来店時に止んでいても、その前に少しでも降っていた時は適用になります。
どうせ雪は免れ得ない会津の冬ですから、ぜひ雪の日にお出でください。

明日はパン焼きの予定です。
お昼過ぎには、焼き立てをお求めいただけます。

皆さまのご来店を、心よりお待ちしております。

カメラ、見つかる!

いやはや何とも、間の抜けた話しでした。
失くしたと思ったのは、単なる物忘れでした。

今まで入れたことのないものに放り込んで、その入れ物をここしばらく触ることがなかったので思い出せなかっただけ・・・。
全くトホホの顛末でした。

それにしても、よほどのこと新たにカメラを購入しようと考えて、いろいろリサーチしつつ、「まあ、待てよ・・・」と躊躇していたのです。
無駄な買い物をしなくて済んでやれやれです。

これでまた時々、ブログにも写真を入れられます。
ああ、こんなことも、やはり歳のせいなんでしょうか・・・?


異常に暖かい!

昨日も今日も、ずっと気温が高めです。
ストーブをつけなくてもいいくらいです。
ちょっと体を動かすと、もう汗ばんで来ます。

過ごしやすくていいと言えばいいのですが、シュトレンのためにはよろしくないのですね。
出来るだけ涼しく一定した温度の部屋に置いています。
とても気を使っています。

昨日以上(異常)

今日は、昨日にも増して暖かい一日。
車で出かけた折、窓を開けずにいられませんでした。
朝から雨は上がって、しだいに晴れて来ましたので、日中の気温が高くなったのでしょうね。
それにしても、ちょっと異常な感じがしますね。

そんな一日、畑の大根を収穫・・・なんてのが一番ピッタリ来る陽気でしたが、そうも行かず家の中でIIDE編集のデスクワーク。
しかし、そればかりでは体の具合も悪くなりますから、午後の一時は外に出て雪囲いの準備や落ち葉焚きをしました。

今夜は、これからまたデスクワークです。
時間がありませんので、このへんで・・・。

カレンダー、喜んでいただけているようで・・・

食工房のオリジナルカレンダーを差し上げています。
先日は、遠方の方々に向けて郵送しました。

早速昨日あたりから次々ご連絡をいただいています。
喜んでいただけたようで、こちらとしても大変嬉しくありがたく、この場を借りてお礼申し上げます。

ある方は、絵本みたいだと評してくださいました。
そのお言葉を聞いて、電光石火早速来年のカレンダーのアイディアが浮かびました。

今、私の頭の中は、もやもやと煙のようなものが漂い、色とりどりの光がチカチカと明滅して、アイディアが形を取って姿を現し始めています。
いや、楽しみ!楽しみ!

おっとその前に、IIDEでした。

これからやります。

絶滅危惧種

絶滅危惧種と言っても、野生動物の話しではありません。
人間の、それも私たちに関わる話しです。

この前、「35年後」というタイトルで、人工知能が人間の脳の働きを超える時が来るという話しをしました。
振り返って今何が起こっているのか・・・、それを確かめておきたいのですね。

これまで何度かこのブログでも、人類がこれまで何万年をかけて獲得して来た知恵と言うか生きるための能力と言うか、掛け替えのない資質とも言うべきものをいかにも短時間の間に失いつつあると言うことを申し上げています。

まあそんなことは、この私が説を述べなくてもどこかの先生がすでに研究していらっしゃるのかも知れませんが、私の世代の者にはその経過をリアルタイムで経験して来たある種の感覚と言うか危機感があるのですね。
このままではヤバい・・・と言うか、危ういと言うか、具体的にどうなるとは説明出来ませんが、まずいことになるのでは・・・と言う予感があるのです。

今から50年前、少年だった私たちに私の親たちは、「お前たちは、こんなことも出来ない、あんなことも出来ない・・・」と、移り変わる時代を嘆くように言っていました。
実際彼らは、生活上のことは何でも自前で用を足せる腕前を持っていて、子どもの私は日常の風景としてそれを見ていました。
しかし、自分で出来るようになったのはほんの一部だけ、あとはとにかく勉強しろ!でしたからね。
それもまた親の偽らざる気持ちから出た言葉だったと思います。

そして私の子どもたちは、もうそのような風景を見たことさえないのです。
そんなことに強い危機感があったからこそ、私は山暮らしの中で、自分自身の記憶を頼りに子どもたちと一緒に、可能な限りいろいろなことに挑戦していました。
尤も、それを今はなき父などが見たら何と言ったことか、「いやいや、大変だ!」とため息が漏れたかも知れません。

それはともかく、時代の流れは止められないし、何から何まで昔に戻ることも出来ないと思いますが、せめて自然に対する感覚だけは残したいと思うのですね。
でもそれはやはり、暮らしの現実と一体のものだということもまた確かですから、もうこの世界にそんな感覚で生きている人間がどれほどの数いるだろうか・・・・と考えると、その人たちはもはや絶滅危惧種だと言えるのですね。

飯豊山の向こう側、お隣山形県に今も未だ現存するマタギ集団の人が、自分たちのことを冗談めかして「絶滅危惧種」と言っていましたが、それは冗談でなく本当に当たっていることなのかも知れません。
人類って、どうなって行くのでしょうね?
そのうち、サルより賢いなんて威張っていられなくなったりして・・・と思う私です。

35年後

これから35年先というと、2050年です。
今世紀も半ば・・・。

私、以前から21世紀は前半50年をかけて悩みの深い時代を潜り抜け沢山の試練に巡り合って、もし世界が生まれ変わるとしたらその後だろうなと思っていました・・・と言うか、今でもそう思っています。

後から知りましたが、この頃までにコンピューターが人間の脳に追いつくのだそうですね。
そしてそうなった人工知能を移植されたロボットたちがあらゆる方面で働くようになると、人類の半分は職を失うことにもなるとか・・・。

車の運転も、車自体がユーザーを安全快適に目的地に運んでくれるので、する必要がなくなるのだそうです。
実際、自動運転車はもうすでに開発途上で、近々実用化されるだろうと言われています。

ふーん・・・、そうやって何をやらせても機械に任せた方がむしろ上手く行くようになると、人間は楽かもしれませんが、どこかでますます悩みが深くなるのじゃないかな・・・と思います。

コンピューターが自己増殖で能力を拡大し、機械が自分で新たな能力を身に付けるようになるとして、それがもたらす恩恵やリスクを私たちは予測することが出来なくなることが怖い・・・というのですね。

それはそうでしょう!
でも、その増殖発展がどの方向に向かって行くのか、最初のきっかけを与えるのは人間ですよ。
もうすでに、その方向付けは半ば固まりつつあるようにも思えますが・・・。

果たしてこの先、人工知能と機械は、自然の営みや生命というものにどんな対応をするようになるでしょうね・・・?
ロボットは、人間みたいに養育したり訓練したりする必要がなく、すぐに実戦投入出来ますからね。
ご飯食べたり、うんこしたり、お風呂入ったりしなくていいし、手間ひまかかる教育なんかしなくていいし・・・。
電池交換は、一瞬ですから。
口答えもせず、役目は完璧に果たす・・・。

そんな状況下で、私たちは、人間の子どもが育つことのどこに意義や意味を見出すのでしょうか・・・?
一方ロボットたちは、温かい心・・・を感じ取れるでしょうか?
もしロボットが慈しみを解するなら、逆に憎しみを露にすることもあり得るわけですから。
このあたりが、実は問題の核心のような気がします。

昨日紹介した「たま」のある歌の中に、・・・電気猿が笑ってる・・・という件が出てくるのですが、これってロボットのことだと解釈することも出来ます。

今世紀半ば、ロボットも感情を持つに至って泣き笑いするようになるとか・・・、ウソか本当か知りませんが・・・。
果たして、電気猿の笑いは、人間の私たちと共感し合える笑いでしょうか、それとも・・・?

子どもの気持ちと「たま」

その昔、「さよなら人類」という曲が大ヒットして、一度だけ紅白歌合戦に出たこともある「たま」というバンドを覚えていますか?
もう25年も前のことになるらしいですね。

この「たま」というバンド、4人のメンバーそれぞれに異なる作風のオリジナル曲を提供し合って、あの「たま」独特の世界を創っているのですね。
4人の中の知久寿焼くん(さん付けで呼ぶのがどうにも似合わない気がするので、あえて”くん”と呼ばせてもらいます。)の曲は、その多くが幼い子どもの気持ちに肉迫していて、それもどこかで傷ついた心の内側から世界を覗いているような・・・、そんな感じがしていつも耳をそばだてて最後まで聴き逃せません。

「金魚鉢」という歌があるのですが、筋立てて理解しようとすると一見意味不明な歌詞も、一つ一つの言葉に映像を思い浮かべると、子どもの心の中の情景が見えて来るような気がします。
あるいは、とっくに忘れていた自分自身の子どもの頃の記憶が、蘇ったりするかも知れません。

・・・かたつむりを踏まないように、しんちょうに歩こう・・・

というくだりで、いつも何故だか目頭が熱くなってしまう私です。

カメラを失くしたらしい・・・

先週出かけた時、カメラを持って出かけた覚えがあるのに帰宅して気がついたら、どこにも見当たりません。
どこかに置き忘れたかと思い、立ち寄り先に問い合わせて見ましたが、見つかりません。
そう言えば、コンビニに一瞬立ち寄った時、車の窓を開けっ放しだったけど・・・、まさか盗難?
全く盗む価値のあるようなカメラではないのですが、中に悪巧みに使えそうな画像が入っているかも・・・と思ったでしょうか?
残念でした!
と言うか、盗難かどうかそれも定かではありません。
ずっと探していますが、何の手がかりもないので多分見つからないでしょうね。
しばらく写真はお預けです。