ばあちゃんたちの小豆から教わったこと

一昨年から、我が藤沢集落のばあちゃんたちに、小豆の作付けをお願いしています。

それまで、製あん所で特注加工してもらった小豆あんを使っていましたが、まあ悪くはないにしても今一つ・・・というところでした。

それが、ばあちゃんたちの小豆を煮て食べてみて、本当に心の底から驚きました。
小豆って、こんな美味しいものだったんだ!・・・という驚きでした。

国産の中では上等とされ、市中に広く出回っている北海道産の小豆が、どこかに霞んでしまうような、それほど小豆そのものの味わいに感激したのです。
当然、出来上がったあんこも素晴らしいものでした。
そしてこれも当然のことながら、あんぱんもグーンとグレードが上がりました。
それはすでに、皆さまご存知のとおりです。

今時、効率を考えれば、小豆を自分で煮てあんこを造り、それからやっとあんばんを造るようなパン屋はありません。
あんこを煮ている時間があるのならその暇に、出来合いのそれも出来るだけ安価なあんを使って、さっさとあんぱんを造って売ってしまえばいいだけのことなのです。
その方が、安く売れますし・・・。

そして製あん所の方では、出来るだけ安い原料小豆を求めて輸入品を使うのです。
国産小豆を指定すれば、それだけでコストアップですから。
当然、風味の良さが顧みられる余地はありません。

だからでしょうか、巷のあんぱんは全然おいしくないのです。
それが証拠に、孫たちの中の何人かは、あんぱんが嫌いだと言って食べません。
食工房のあんぱんは違うよ・・・とすすめても、見向きもしません。

小豆のあんは、全くおいしくないものと認識されているのですね。
でもそれは、本当においしい小豆を食べたことがないからに違いありません。

そこである時、ばあちゃんたちの小豆を煮たのをおかずに出したら、おいしいと言ってどんどん口に入れているではありませんか!
そうなんですね。
それだけ小豆がおいしかったのです。

で、今年もばあちゃんたちに小豆を作ってもらいましたが、その手間ひまのかかることに改めて驚きました。
北海道など大規模に小豆を作っている所は、一体どんなやり方をしているのだろう・・・、風味の良さが犠牲になることはないのだろうか・・・?そう思わずにはいられません。
否、当然犠牲になっているしょう。
ましてや輸入品ともなれば、どんなものなのか・・・。

しかし今この時代、藤沢のばあちゃんたちのような人々は、この世から少しずついなくなっているのです。
成り行きを見ていると、ちまちまと自家用に小豆を作る人は、やがていなくなるのだろうと思います。

そして、最高においしかった小豆は幻となり忘れられて、それほどでもなかったものが最高のものになるだけなのです。

かぼちゃ然り、ごぼう然り、にんじん然り!
細々でも畑をやっていると、そういうことの成り行きが良く分かります。

だから、それを五感で味わって知っている私は、子や孫たちにどうしても伝えておきたいと、一生懸命なのです。


モニタリング結果

板橋アキ子圃場の小豆の検査結果です。

藤沢のばあちゃんたちの小豆の4つ目の検査結果です。
今年の分は、これで全部です。
いずれも不検出でした。

ばあちゃんたちの小豆から教わったこと」への2件のフィードバック

  1. MIKIO AOKI 投稿作成者

    mayさん、コメントありがとうございます。
    貴方のように、ご理解いただける方がいらしてこそ、私の仕事も成り立つというものです。
    世の中の全ての人々が、望まなくなったらそれでおしまいですから。
    今後ともよろしくお願いいたします。

  2. may

    とても良いお話でした。会津を離れてから野菜が美味しくありません。高価なお金を払っても死んでしまっているようです。物がいっぱいあって食べ物も選べる恵まれた環境のはずなのに満たされない食生活。活きた野菜が見つからないからかもしれせん。珈琲豆にしろパンにしろ小豆にしろ丁寧な仕事で向き合う職人さんがとても貴重になりました。そう食工房さんはなくてはならない存在であります。豊かなモノは心がけから。まごころの大切な気持ちを忘れないよう心に留め置きます。長くなりました。近いうちにまたコーヒー豆とパンの発注をしたいと思います。新しい焙煎機も大麦パンも楽しみです。

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