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先日東京に行った時のこと

先日臨時休業をいただいてカミさんの実家のある茨城県まで出かけましたが、別件で東京にも足を延ばしました。

夫婦二人で都内の交通機関を利用するのは本当に久しぶりのことで、いろいろと不安もあり、事前にインターネットで入念に予習をしました。

キャッシュレスが進んでいる今時、現金で切符をスムーズに購入出来るだろうか?
Suicaなどのカードを用意しておいた方がいいだろうか?

あれこれ悩みましたが、結局この次都内の交通機関を利用する機会がいつあるかも分からないのですから、現金で紙の切符を買うのが一番良策と判断しました。

実際駅に行って見ると、確かに券売機は探さないと見つからないくらい少なくなってはいましたが、どの改札口にも必ず一箇所以上はあり、また現金で切符を買う人が少ないせいか、列に並ぶようなこともなく全くストレスなく利用することが出来ました。

それより驚いたのは、路線の数の多さです。
私が首都圏に居住していたのはもはや35年以上も前のこと、今回、知っている路線よりも知らない新たな路線の方が多いことに気づかされました。

尤も、新しいもの好きの私としては、せっかくスマホも持っていることだし、モバイルSuicaを登録してスマホをかざして改札を通過なんてこともしてみたかったのですが、カミさんはスマホを持っていませんし、かえって面倒なことになりそうなので止めました。

そして車内で気が付いたこと、それはまさにスマホの普及率が100%、稼働率もほぼ100%だったことです。
一昔前(40~50年前)の夕方のラッシュ時の車内は、新聞(スポーツ紙)を広げている男性、漫画雑誌を見ている若い男の子、文庫本を読んでいる女性、そんな光景だったと記憶していますが、それらはもはや完全に無くなっていました。

まあでも、相変わらずの東京の人の多さ、そしてますます一極集中が進んでいることに驚きつつ、自分が田舎者であることを自覚する私でした。

職人は、多くを語らない

最近やっとですが、私も、職人であることを自覚するようになりました。
もちろん、まだまだ修行半ば。何事も一生勉強と思っていますけれど。
で、そうなって見て思う事がいくつかあります。

先ず一つ。職人は多くを語らないということです。
職人は、仕事の出来だけで勝負するものです。
いろいろ講釈を垂れて、付加価値を高めようなどとは思いもよりません。
黙って、自分の技能を磨いているのが職人の姿だと、少なくとも私はそう思っています。

職人にとって一番大切なものとは何でしょうか。
それは、他に勝る技能と知見、そしてもう一つ大切なのが感覚です。
いずれも、簡単には手に入りません。身に付きません。

技能と知見は、最低限の知識と技術を基に、現場の仕事で鍛えられるものです。
どれだけ長くそして深く、その仕事に携わったかにかかっています。

それからさらに一筋縄でいかないのが、感覚です。
良い仕事をするのに一番必要なのは、それが良い仕事だと分かる感覚です。

食べ物だったら、味覚や嗅覚はもちろんですが、食文化に関わるセンスも欠かせません。
例えば、包丁がちゃんと切れているかどうかと言った、道具に対する感性も重要です。

そしてそういう感覚的素養は、例えば幼児体験とか、日頃の食生活とか、遊びの中で培ったモノや道具に対する知見とか、何と言ったら良いのか分かりませんが、幅広い周辺の出来事や体験から養われるもののようです。

そうなると、自分に身に着いた感覚にマッチした仕事を見つけることも重要になりますね。
そしてさらに、運命的なものさえ感じざるを得ません。

ところで、職人が多くを語らないのには、もっと現実的なわけがあります。
それは、自分が苦労して磨いた技能を、簡単に越されたくないのですね。
何しろメシのタネですから。
ある意味、命が懸っているのですよ。

そして語らないだけではありません。
見せることもしたくないのですね。
同じ道を歩いている職人なら、一を聴き一瞥するだけで、大事な秘密の勘所を見抜いてしまいますから。

とは言え一方では、自分の技能に誇りを持ち、伝えることや広めることにも意義を認めています。
たまたま教えるのが上手な人は、弟子を取って後継者を育成出来るのですね。
そうでない人は、黙々と仕事に精を出すというわけ。
たまたま愛想が悪くても、決して悪人はいない、それが職人です。

世の中、汗水たらし血を吐き、骨身を削って仕事する人が少なくなったなぁ・・・。
何だか一段高いところにいて評論する奴ばっかり増えてるような・・・。

今日は、ちよっと一言、言いたくなった私です。


「パンだより 96・雪割り号」公開しました。

下のバナーをクリックしてください。pdfファイルが開きます。(3.49MB)
食工房のパンだより


shokuko store

意思決定している、誰かがいる

昨日の続きです。
そう・・・、団体組織そのものが考えたり意思決定したりするわけはありません。
その中にいる権限を与えられた誰かの、考えや意思決定に基づいて物事は進んでいるってことです。

それは、国家のような巨大な組織にあっても同じことです。
考えるのは人であり、意思決定するのも人です。
その意味において、団体組織の考えや意思決定として表明されるものでも、煎じ詰めればその中の特定の人あるいは限られた人たちの考えであり意思決定であると言えます。

例えば、我々国民は、この国に関わる重要な案件について考えたり意思決定したりする権限を、最終的に総理大臣に託していることを、これで良かったのかという意味も含めて、もっと自覚すべきです。

そして振り返って私たち自身も、日々良心に恥じない私心を持って行動しているか、いつも問い直していなくてはならないのだと思います。


食工房、明日と明後日は定休日です。
お間違えなきよう願います。
なお、来週3月4日より12日まで、店主帰郷のため臨時休業いたします。

カンジキウォーキング

飯豊の空の下から・・・

プラスチック製ワンタッチカンジキ
旧来の和カンジキも優れものらしいですが、まだ未体験です。


飯豊の空の下から・・・

ついているのは、ケモノの足跡だけ
どこが道だか分からなくても、差し支えありません。


飯豊の空の下から・・・

人間の足跡は、異常に大きく深い!


飯豊の空の下から・・・

アスパラ畑の畝が、美しい模様を見せてくれます。


飯豊の空の下から・・・

目通り直径約1.2mの柳の巨木が、雪の重みで二つに裂けました!


飯豊の空の下から・・・

あまりにも痛々しい姿
下方に回り込み、目前で手を合わせました。


飯豊の空の下から・・・

枝先には、冬芽が・・・


飯豊の空の下から・・・

昨年春に撮った、大ヤナギの全容


飯豊の空の下から・・・

4月半ばには、花が咲いていました。


今日は、朝のうち降っていた雪が止み、日差しが戻って来たので、午後からカンジキを履いて雪の中を歩きました。
コースは、この前歩いたのと同じです。

カンジキを履くと、たいていの雪の上をどこまでも歩けるのですが、雪の下の地形を良く知っているところ以外は、私は行かないことにしています。
狭いながら深い水路などが雪に埋もれて見えなくなり、凹凸も際立つことなくなだらかな地面が続いているように見えることがあるからです。

今日は、この前歩いた時に気が付いていたのですが、お馴染みの柳の巨木が雪の重みで倒れてしまっているのを確認するため、間際まで行ってみました。
この柳は、私がここに引っ越して来た時に真っ先に写真を撮りに行った木で、今では古い友達のような気がしていたのです。

長年の風雪に耐える間に、芯が腐ってウロになっていたのかも知れません。
ほとんど根元から二つに裂けて倒れ、枝先は一方は川の中まで、もう一方は一段上の田んぼまで届いていました。

柳は、元々とても生命力の強い木ですから、周りには幼木が沢山育っているのですが、これほど大きな木はさすがに希少でした。
今年の春はもう、枝先に緑色の雲が漂っているように見える、あの姿にお目にかかれないのですね。
根元に立ち、ただ手を合わせるだけの私でした。

それから思ったこと。
カンジキで歩いた足跡の、何と大きいこと!

何にしても人間は、巨大な足跡を残しますね。
決していいことばかりではないのですから、気を付けていないと・・・。
青い地球は誰のもの・・・って歌があったのを、知っていますか。

何の踏み跡もない雪の上を歩く嬉しさと、ふり返って付けた足跡を見て、少しガッカリする気分・・・。
私たちは、前に進む時、そこで何を得て何を失っているのかと言うことについて、もっと敏感でなくてはならないと。

ぷらら・ブログサービス終了の通知に思ったこと

我がブログ「飯豊の空の下から・・・」は、通算7年間書き続けています。
ほぼ毎日、大半は食工房の営業に関わる記事ですが、自分自身の想いを書き留めたものもあります。

現在利用しているブログツール”WORDPRESS”は、約一年前からそれまで利用していたプロバイダー提供によるブログサービスBROACHに代わって利用しています。
と言うことは、ぷららのブログ上には、それまで6年分の記事が残してあるわけで、現在でも毎日150人近い訪問者があります。

それでつい先日のこと、ぷららからブログサービス終了の通知が届きました。
今年の6月30日を以て終了と。
もちろんその日を過ぎると、一切のデータが消去されるわけで、その前にデータの移行ツールを用意すると言ってはいるのですが・・・。

しかし、そこで思ったのですね。
デジタルの時代の申し子、インターネットの世界つまりバーチャル空間(仮想空間)に構築されたものの、何とも儚いと言うか呆気なさに、足元を掬われたような気がしました。

一方、本人の死後も、いつまでも残り続けるデジタルデータもあり、これも社会問題になりそうな気配です。
簡単に消せる一方で、誰かがコピー保存し続ければ、いつまでも消せない記憶として残り続けることもあるのですね。
バーチャル空間にどんな足跡を残すか・・・、本当は心して臨まなくてはいけないのかも・・・。

これから、件のブログを移行するのが、一つの仕事になりそうです。

粗末・粗雑・粗悪

近頃目につくことと言えば、これです。
何事につけ、粗末、粗雑、そして粗悪・・・、これからは「三粗」とでも呼びましょうか。

筆頭は、福島第一原発。
政治も政治家も。

いろいろ上げれば、もうキリがありません。
モノを買っても、安い!と喜んだのも束の間、製品の粗悪さにがっかりなんてことも度々です。

ちょっとたとえが悪いと言われるかも知れませんが、犯罪でさえその例に漏れない感じがするのは、私だけでしょうか。

そもそも人間そのものが・・・ですか?
いやいや!あんまりつついていると自分にもお鉢が回って来そうですから、このくらいにしておきましょう。

でも、食工房の製品だけはそのような例えに載らないよう、肝に銘じて手を尽くします。

婦人従軍歌

婦人従軍歌

一、
火筒(ほづつ)の響き遠ざかる
跡には虫も声たてず
吹きたつ風はなまぐさく
くれない染めし草の色

二、
わきて凄きは敵味方
帽子飛び去り袖ちぎれ
斃(たお)れし人の顔色は
野辺の草葉にさもにたり


やがて十字の旗を立て
天幕(テント)をさして荷(にな)い行く
天幕に待つは日の本(ひのもと)の
仁と愛とに富む婦人

四、
真白に細き手をのべて
流るる血しお洗い去り
巻くや繃帯白妙(ほうたいしろたえ)の
衣の袖はあけにそみ

五、
味方の兵の上のみか
言(こと)も通わぬあだ迄も
いとねんごろに看護する
心の色は赤十字

六、
あないさましや文明の
母という名を負い持ちて
いとねんごろに看護する
心の色は赤十字

つい先日、NHKの大河ドラマ「八重の桜」の最終回が放送されました。
昨日、オンデマンド配信されたその最終回を視聴した私です。
ドラマの出来がどうだったか、そのあたりは私は評論家ではありませんから何も申し上げませんが、視聴率はあまり良くなかったような評判ですね。

さて最終回の劇中、八重が赤十字の篤志看護婦として働く場面がありました。
その時、この歌の一節が歌われていたのですね。

婦人従軍歌というこの歌、私が小さい子どもの頃、母が時々口ずさんでいたような記憶があります。
冒頭の一節は、すぐに思い出した私。

それはさておき、敵も味方も分け隔てなく看護する感動的な場面のはずでしたが、看護婦たちの白衣が全く汚れていないことに、どうにもならぬ違和感を持ってしまいました。

戦争はきれいごとではない。
どんなに勇ましい言葉で鼓舞し正当化しようとも、戦場では血と涙が流れ、骨肉が飛び散り、人々の悲しみと恨みが怨念となって、目には見えずとも大気を赤く染めているに違いないのです。

果たして、戦争の悲惨さを強調し過ぎることのないようにとの誰かの意図なのか、それとも演出家に元々そんな現実感覚が無かったのか、どうなのでしょうね。
近頃は、魚一匹捌けない人が多いのですし、ましてや生きている鶏を殺して肉にする機会など皆無に近いのですから、戦場の凄まじさは想像も付かないかも知れません。
いずれにせよ、「八重」の時代の前も後も、戦争に次ぐ戦争が続いたのでした。

一年間このドラマを見て、何だ!人間って全然変わってないじゃないか!と、ちょっと考え込んでしまった私です。

心しておけ

特定秘密保護法が成立。
正式発効に向けて、着々と準備が進んでいます。

もちろん、この法の詳細是非について、私が評論する気など毛頭ありません。
でも、一つだけ。

この法が成すであろう、私たちに関わりの深い部分での一番の仕事は、私たち国民、市民をあらゆる局面において分断して行くだろうということ。
知る者と知らざる者に、与かる者と与からざる者に。
そしてその分断は、最後には私たちのこの社会をバラバラにしてしまうだろうということ。

悲観的過ぎますか?
物事を正しく見ていない!ですか。
否、それならいいのです。

おりしも時は、救い主の誕生を待ちわびる待降節。

仕事再開

店の営業は22日からですが、すでに仕事モードで動き始めています。

今日は、作業場の片付けと掃除をして、明日の仕込み作業に備えました。

かぼちゃも、いつの間にか数個収穫になりましたので、近々検査に出そうと考えています。

それから実は、休みの間にちょっと思いついたことがあり、これから試そうとしているところです。
と言うのは、パスタ用のデュラム小麦のパンを焼けないか・・・?ということで、ネット上で調べて材料の入手先を見つけました。
何種類か取り寄せて、試作をする予定です。

尤も、デュラム小麦は日本国内では栽培不適なのだそうですから、国産小麦のパンという食工房の趣旨には合いません。
美味しいものが出来たとしても、定番メニューに加えるかどうかは検討中。

これとは別に、スペルト小麦(古代小麦とも言います。)というものがあり、デュラム小麦とは全く別のものですが風味がとても良いと言われますので、スペルト小麦も試してみたいと思っています。
こちらは日本国内でも栽培可能で、すでに収穫実績もあるようですから、当然地元での栽培も可能性があります。

さてさて、明日からまた忙しくなります。
長い休暇をいただいたおかげで、体力気力ともしっかりチャージしました。

明後日からまたパンが並びます。
ご来店・ご注文、お待ちしております。


感がえる・知ろう館のこと

昨日帰り道に立ち寄った原発資料館、ここを運営している西巻さんという方、実は以前に一度お目にかかっています。

2010年に、我が地元で閉校となった小学校跡地利用のプロポーザルに応募しようと仲間たちと活動していた時、事例見学に行ったのが川内村でした。
その時訪ねた中の一つが、廃校をアーティストの活動の場を兼ねたギャラリー、人と人の交流の場として活用する「ひとの駅・かわうち」だったというわけ。
西巻さんは、そこの関係者のお一人でした。

★ひとの駅・かわうち

残念ながら「ひとの駅・かわうち」は、震災以来ずっと休館中だそうで、その間に西巻さんが裏手のプレハブ造りの建物に、今回訪ねた「原子力災害を忘れないための考える資料館~感がえる・知ろう館」を開設したのだそうです。

沢山の展示から伝わって来るのは、当事者の目で見た原子力災害でした。
川内村に行く機会があれば、ぜひお立ちよりいただきたい場所として、ご紹介申し上げる次第。

★西巻さんのブログ「かわうち通信」

ところで昨日、原発の即刻停止・廃炉と申し上げました。
「核と人類は共存出来ない」とも申し上げました。

全くその通りだと確信している私ですが、もう少し詳しくその理由のようなものに触れておきたいと思います。

原子力エネルギーの利用を決めた時、学者や技術者は、当然のことながら核は制御可能と考えていました。
かく言う私も、その考えの一部は認めます。

しかし、現実に原発を動かす時、そう簡単に理想通りには行かないわけです。
きっと学者は本当のことを知っていたし、技術者はいつも現場で問題点を認識し報告を上げていたはずです。

その時その場をどうするか、意思決定をするのは経営者である東電トップ、それに許認可を与えるのは国の原子力政策サイドの役人です。
福島第一原子力発電所でも、コスト重視の中でどれほど沢山の問題点が無視あるいは放置されたか、すでに幾つも明らかになりましたね。

このように、分かっていても良策が実行されないのは、関わる人々の精神性の「稚拙さ」あるいはもっと厳しく言うなら「愚劣さ」が一番の原因です。
どこかの学者先生が言ったように、「人類は、未だ核エネルギーを扱う資格を持ち合わせていない。」のでしょう。
その意味において、即刻停止・廃炉、共存は不可能と申し上げているのです。

「まさか、こんなことになるとは思ってなかった・・・。でも、なっちゃったんだよね・・・。」

いつも近くで原発を見て来た人が言いました。

川内村の場合

川内村

緑のところが水田、土が見えているところは蕎麦を蒔いたばかりの圃場。


川内村

どの水路にも、澄んだ水が溢れるように流れていました。


川内村

今朝6:30頃、この道を遠藤村長がジョギングしているところに行き会い、しばし立ち話をしました。


川内村

「ひとの駅かわうち」
震災以来休館中だそうです。


川内村

「ひとの駅かわうち」の裏手に開設された、原子力災害を考える資料館。
その名も「感がえる知ろう館」


川内村

当時の新聞やいろいろな人が撮った写真、全国から寄せられた励ましの寄せ書きなどが展示されています。


川内村

展示物の中には、防護服や防護マスクの実物、ガイガーカウンターなどもありました。

二泊三日の旅を終えて、今日の午後会津に戻って来ました。

川内村にいる間、昨日の朝も今朝も、朝食前の時間に外をジョギングしましたが、田畑が本当によく耕されていて、その風景は感動的でさえありました。
風景に、人の暮らしが感じられることは、何にも増して人の心を安心させるということを、思い知らされたような気がしています。

川内村は、直後から奇跡的と言われるほど線量が低く、帰還の条件が整っていたことはもちんあります。
しかし、「戻りたい!」という気持ちは、多分昨日訪ねた葛尾村の人たちだって同じはずです。
それが分かるから、「川内は、運が良かった。幸せだ。」、そんな言葉が口をついて出るのですね。

一部には線量の高い地区があり、特定避難勧奨地点に指定されていますが、そこ以外はほとんどの地区に人の暮らしが戻りつつあります。
とは言え、帰村率は現在のところ40%ほど。
人口も、1200人に止まっているとのこと。
帰村者の大半が高齢者で、高齢化率は70%超。

これは、30年後の地域社会の現実を一足先に体験することになった、ということです。
地域のコミュニティーの再生は、簡単ではありません。
次々に人が戻って来て、自然発生的にコミュニティーが形成されることを期待するわけには行かないのです。

地域社会を動かすための人材が、今何より一番必要だと、村会議員のお一人は力説しておられました。
都会からのIターンを受け入れ、人材育成のためのプログラムに参加してもらう事業も始まっているそうです。

そうして見ると、川内村の現状は、日本の地方の地域社会の未来そのものだということが分かります。
人口減少と都市集中によって、これから急速に襲って来るであろう地域社会の崩壊をどう受け止めるか、川内村の今後に熱い視線を注がないわけには行きません。

原子力災害の傷は、重く深く横たわっているけれど、可能な所から粘り強く再生に向けて努力して行けばいいのであって、廃炉までの途方もない時間のことを想って絶望していてもしょうがないのです。

だからです、だからこそ、過ちを繰り返してはならないのだと思います。
やはり、原発は即刻停止、ただちに廃炉に向けて進むべきです。

お分かりにならないと仰るなら、どうぞ被災地にいらして現状に触れてください。

フクシマは、いつでもあなたのご来訪をお待ちしています。

余談
お世話になった宿のご主人曰く。
「夜、富岡の街を通ったことがあるけれど、それはもう心の底から震撼するものがあるよ・・・。」と。


帰り道に立ち寄った「原発資料館」のことは、また明日にでも。