35年後

これから35年先というと、2050年です。
今世紀も半ば・・・。

私、以前から21世紀は前半50年をかけて悩みの深い時代を潜り抜け沢山の試練に巡り合って、もし世界が生まれ変わるとしたらその後だろうなと思っていました・・・と言うか、今でもそう思っています。

後から知りましたが、この頃までにコンピューターが人間の脳に追いつくのだそうですね。
そしてそうなった人工知能を移植されたロボットたちがあらゆる方面で働くようになると、人類の半分は職を失うことにもなるとか・・・。

車の運転も、車自体がユーザーを安全快適に目的地に運んでくれるので、する必要がなくなるのだそうです。
実際、自動運転車はもうすでに開発途上で、近々実用化されるだろうと言われています。

ふーん・・・、そうやって何をやらせても機械に任せた方がむしろ上手く行くようになると、人間は楽かもしれませんが、どこかでますます悩みが深くなるのじゃないかな・・・と思います。

コンピューターが自己増殖で能力を拡大し、機械が自分で新たな能力を身に付けるようになるとして、それがもたらす恩恵やリスクを私たちは予測することが出来なくなることが怖い・・・というのですね。

それはそうでしょう!
でも、その増殖発展がどの方向に向かって行くのか、最初のきっかけを与えるのは人間ですよ。
もうすでに、その方向付けは半ば固まりつつあるようにも思えますが・・・。

果たしてこの先、人工知能と機械は、自然の営みや生命というものにどんな対応をするようになるでしょうね・・・?
ロボットは、人間みたいに養育したり訓練したりする必要がなく、すぐに実戦投入出来ますからね。
ご飯食べたり、うんこしたり、お風呂入ったりしなくていいし、手間ひまかかる教育なんかしなくていいし・・・。
電池交換は、一瞬ですから。
口答えもせず、役目は完璧に果たす・・・。

そんな状況下で、私たちは、人間の子どもが育つことのどこに意義や意味を見出すのでしょうか・・・?
一方ロボットたちは、温かい心・・・を感じ取れるでしょうか?
もしロボットが慈しみを解するなら、逆に憎しみを露にすることもあり得るわけですから。
このあたりが、実は問題の核心のような気がします。

昨日紹介した「たま」のある歌の中に、・・・電気猿が笑ってる・・・という件が出てくるのですが、これってロボットのことだと解釈することも出来ます。

今世紀半ば、ロボットも感情を持つに至って泣き笑いするようになるとか・・・、ウソか本当か知りませんが・・・。
果たして、電気猿の笑いは、人間の私たちと共感し合える笑いでしょうか、それとも・・・?

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