昨日、熊に対応する日々のことを記事に書いて、その翌日ですからね。
他でもありません、喜多方市山都町で熊による人身事故発生と、報道されました。
多くの方が報道に触れ、山都町方面へのお出かけをためらわれたことと思います。
そのお気持ちはよく分かりますので、私たちとしては如何ともし難い思いです。
本日は、食工房にご来店くださったのは、一組お二人のみでした。
コロナも大変でしたが、獣害がこんなところにまで及んで来るに至って、いろいろ考えさせられています。
これほどまでに熊を人里に引き寄せている直接的な理由は、大方我々人間の側にあって、しかもそれを正しく認識出来ていないことが、解決を難しくしている元凶です。
良く言われるような、山のブナの実やドングリが不作のため餌を求めて人里に近づくのだと、ハンコでついたような同じ説明を繰り返すメディアの報道や一部の先生方の弁には、がっかりするのを通り越してもはや呆れています。
バカじゃないの!と。
熊は、山に食べるものが沢山あっても、人里に出て来ます。
人間が作った作物の方が、ずっと美味しくて易々と腹を満たせることを学習した熊が、すでに沢山沢山いる状況なのだということがどうして分からないのかと思います。
そして人里周辺には、放置された桑の木が沢山あり、初夏には甘い実が鈴なりです。
放置され採られなくなった柿の実も食べたい放題です。
ほとんど人が拾いに行かない場所にも、栗の木が沢山あります。
ハネ物として捨てられた野菜果実の残渣も、彼らにとってはこの上ないごちそうです。
当然、畑に植えられている物にも、積極的に手を出します。
彼らは、ほとんど奥山に帰ることはありません。
人間の存在を気にしつつも、人里を自分の縄張りだと認識しているからです。
そして、十分に栄養が足りて、どんどん繁殖しているのです。
しかし、熊をこのような生き物にしてしまっているのは、実は賢いはずの人間の行動です。
ここでも、本来熊は人を恐れる動物だと、当たり前のように言われることに大きな違和感を覚えます。
本来なんかじゃありません。
これまで、長い時間をかけて我々のご先祖が、熊とのそういう関係を築いて来たのであって、その関係を崩さないためには不断の努力が求められるものであることを忘れてはなりません。
近年、明らかに熊は人を恐れなくなっています。
だって、今は人間が熊を怖がっている状況なのですから。
熊の方は、そんな人間の行動を、とっくに見抜いてしまっています。
その昔、山の神として崇められていた熊ですが、もうその時代は終わりました。
肌身でそれを感じ取り、然るべく熊に対峙する人間がいなくなれば、そういう熊もいなくなるというだけのことなのです。
兵庫の松原の連れ合いさん、コメントいただきありがとうございます。
日々、大変良くお考えになっておられるご様子を、窺い知ることが出来ます。
そうした方からの応援、心強く受け止めております。
これからも、時々になりますが、私の思うところを認めてまいりたいと思います。
お久しぶりです。
毎日大変な中、本当に困っていらっしゃるご様子が伝わります。
COVID-19も含めて「生き物は基本的に制御できないもの」であることを世の中のすべての人がもっと深く理解するべきですね。
食工房の皆様は日々「酵母菌」という「生き物」と接しながら深い意味で「生き物とはなんたるか」をご理解されていることと思います。
しかも、農業という「生態系の模型」から資源を汲み上げる活動を通して「自然界のコトワリ」を日々実感されているからこそ、今、都会以外の場所で起こっている出来事について深く考え、「ヒトノクラシ」の来しかた行く末に対して憂慮されているのだろうと感じ入っております。
結局のところ、ヒトが「自分の利益に基づいて考えること」など、自然の理からすると「浅薄な知識と浅はかな行動」の寄せ集めでしかないのでしょう。
「万物の霊長」などと息巻いても「自分達がどの様な存在なのかもすぐに忘れて驕り高ぶってしまう」愚かな生き物でしかないのでしょう。
ただ、この事は2500年前にソクラテスが「無知の知」と表現して以来、一向に変わることのない「ヒトの真理」なのかも知れません。
25世紀の間変わらないものが、これから変わってゆくとは到底思えませんが、それでも声を上げずにはいられない「現状」が厳然と存在している以上、我々はこの「無知と浅慮」に立ち向かってゆかねばなりません。
自然界の理の中で暮らしている生き物は、未来永劫変わることはありません。
もし「変わった」と感じるならば、それは「ヒトの在り方」の方が変わったのでしょう。
熊も猿も病原体も昔からヒトにとって「モンスター」でした。
それを「野生生物の一種」と規定して「自分たちよりも弱いもの」と考える様になった頃からヒトは「自分自身の力量」を見誤りはじめたのでしょうね。
自分の力量を見誤り、尊大に振る舞いはじめた人間の末路は、たいていの物語で破滅を迎えます。
私は、自然の生物の範囲を超えてしまった生き方をしている「人間」という生き物は、大切な事から足を踏み外してしまってる、という考え方の持ち主なので、特にそう思うのかも知れません。
だから、そういう「人間」達のために、食工房の皆様の様な「自然の生物の範囲」で暮らしているヒトが困った事になるのは何とも腹立たしく感じます。
これからも何かと不安な日々が続くことと思いますが、ヒトの暮らしの「最前線」で頑張っておられる皆様のことを遠くからですが応援させていただきたいと考えております。