私の出身が高知県であることは、もう何度も申し上げて来たことです。
22歳まで高知に居ましたが、その後単身で東京に出、首都圏で16年間過ごしました。
そして福島に移住して来たのが36年前でした。
会津には、22年前に移って来ました。
こうして見ると、生まれ故郷の高知にいた時間は、一番長いわけではないのですね。
しかし、幼なじみや同級生や親類縁者の多くが今も健在であり、高知は私にとって今でも大切な故郷です。
コロナ禍の前までは、毎年一度は帰省していた高知でしたが、今年の3月まで6年間出かけていませんでした。
その間に私も七十を越えました。
そしてその間に、頼りにしていた交通機関の高速バスの運行がすっかり模様替えになってしまい、私のような高齢者にとって、以前の様に安上がりに快適に移動出来る手段ではなくなりました。
今年は出費を覚悟で新幹線を利用しましたが、体は楽だったけれどお財布は大変・・・でした。
そして今はまだいいですが、もっと高齢になれば、移動そのものが大変になるでしょうから、ふるさと高知はいずれ帰りたくても帰れない場所になるのは定めと受け止めています。
ここ会津を第二の故郷と定め、居を構えて畑まで耕す人生を選んでいる以上、それはもうすべて納得しています。
ですが、年を取ると、何と言うか里心が付く瞬間があるのですね。
こんな心境になるとは思っていませんでした。
でも、いいのです。
私の父も、残した著作の中で、死んだら吉野川を渡ってふるさとの山へ帰るのだと言っていましたから。
私も、いずれこの人生が終わったら、これまで足跡を付けて来た場所場所を辿って、そしてふるさと高知の山に帰ろうと思っています。
父が残した著作「玉蜀黍」より:「渡し舟」
私ブログ 2010.03.28 の記事 「帰途へ」