昨日は、私の郷里の土佐町へ行って来ましたが、途中私の父の郷里でもある本山町に、今も在住の親戚を訪ねました。
ちょうど家にいた従兄に、前から聞こうと思っていたあることを尋ねました。
近くの川に昔あったという渡し場のことです。
私の父が小学生の頃、何度もそこを渡ったと言う、吉野川の渡し場です。
従兄は当然のことのようによく覚えていて、場所も詳しく教えてくれました。
暖かい春の日和の下、川面も穏やかに山を映していましたし、そこから見える父の故郷の山々も、稜線がくっきりと見えていました。
写真を撮りながら、今日この場所に来たのは、きっと父の導きだと確信しました。
本当にうれしかった・・・。
渡し舟
私はこの橋を渡るたびに
少し下流の篠竹の茂みに隠れた
渡し場の跡をふりかえる
小学生のころ
春の新学期の本を買いに
町の運動会に、修学旅行に
友達と笑ひさざめいて
舟で川を渡った
年が流れて
あの日の友達も戦に、病に
多く世を去った
今遠い日の想い出は
川面に光る漣のように
私の魂を灼き昇華して
年経るごとに鮮明となってゆく
やがての日
私の魂は白い川霧の中を
しづかに渡し舟にゆられて
彼岸へ渡るのであろう
故郷の山へ帰るのであろう
梅匂ふ薬師のみやま裾分きて四国三郎蒼く流るる
幼子のえくぼのごとき水輪ひとつ広がりてゆき岸に笑まへり
野ひばりの黒穂に隠す麥の笛童は五月の空へ吹きたり