玉蜀黍」カテゴリーアーカイブ

親不孝・親孝行

交差点で

赤青黄色の意志を

あたえられた時間が

人間の行動を

コントロールしている

赤の時間は止め

青の時間は進め

黄色は赤青をファジィにつなぐ

十字路に立って

バスを待っていると

やがて人間は

三色の意志を持った時間に

すべての生活を

支配されるのではと

恐れを抱く

幸いなる神は

天国を時間の外におかれた

玉蜀黍

天国は時間の外に・・・


玉蜀黍

高知のドライバー気質、この話もしなくてはなりますまい。

赤青黄非情にめぐり果てしなく時間鋭く十字路きざむ

家族乗る五月の車さざめきて頼もしき父ハンドル握る

帰りくる五月の車日の昏れに眠れる子供抱かれており

玉蜀黍

父生前の頃に、家族全員で車で帰郷した折の写真。


玉蜀黍

孫(四男)を抱く父


玉蜀黍

私を抱く父

今日は、亡き父の墓に行ってきました。

母や妹はいつでも行けるので、今日は敢えて私一人で行きました。

墓地に居る間、しみじみと自分が何の親孝行も出来なかったことを思い出し、後悔の念に囚われました。
そして次の瞬間には、せめて今から出来る親孝行とは何だろうかと、思い当りました。

自分が親不孝だったと自覚すること、もはやそれしかないのですね。
まだしも良かったと思えるのは、6人の孫たち全員の顔を生きている間に見てもらえたことです。

私事で恐縮ですが、今日はどうしても父のことに触れたい私でした。

渡し舟

昨日は、私の郷里の土佐町へ行って来ましたが、途中私の父の郷里でもある本山町に、今も在住の親戚を訪ねました。

ちょうど家にいた従兄に、前から聞こうと思っていたあることを尋ねました。
近くの川に昔あったという渡し場のことです。

私の父が小学生の頃、何度もそこを渡ったと言う、吉野川の渡し場です。
従兄は当然のことのようによく覚えていて、場所も詳しく教えてくれました。

暖かい春の日和の下、川面も穏やかに山を映していましたし、そこから見える父の故郷の山々も、稜線がくっきりと見えていました。
写真を撮りながら、今日この場所に来たのは、きっと父の導きだと確信しました。
本当にうれしかった・・・。

 

渡し舟

私はこの橋を渡るたびに

少し下流の篠竹の茂みに隠れた

渡し場の跡をふりかえる

小学生のころ

春の新学期の本を買いに

町の運動会に、修学旅行に

友達と笑ひさざめいて

舟で川を渡った

年が流れて

あの日の友達も戦に、病に

多く世を去った

今遠い日の想い出は

川面に光る漣のように

私の魂を灼き昇華して

年経るごとに鮮明となってゆく

やがての日

私の魂は白い川霧の中を

しづかに渡し舟にゆられて

彼岸へ渡るのであろう

故郷の山へ帰るのであろう

 


玉蜀黍

渡し場跡 ・ 対岸の道が川まで下りているあたり
右手後方の山々の懐深く父の郷里が眠っている。


玉蜀黍

近年、史跡に指定されたらしい。


玉蜀黍

ここから渡し舟に乗ったのであろう・・・
当時も、菜の花が咲いていたのか・・・


玉蜀黍

川面に映る山の影
父は、きっとここを渡って故郷に帰って行ったに違いない。

梅匂ふ薬師のみやま裾分きて四国三郎蒼く流るる

幼子のえくぼのごとき水輪ひとつ広がりてゆき岸に笑まへり

野ひばりの黒穂に隠す麥の笛童は五月の空へ吹きたり

父の日に・・・2010

父が亡くなって今年で15年になります。
今日は父の日で、私も6人の子の父ですが、今日もまた今は亡き父の思い出を語らせていただきます。

父は、生前「玉蜀黍」と言う題名の詩歌集を残しました。
もちろん、無名の一市民の作品ですから、世に出たというわけではありませんが、私にとっては年を経るごとにとても大切な心のよりよりどころになっています。
以前申し上げたことがあると思いますが、この詩歌集の一編一編に私が写真を撮ってコラボレーションして見たいと、ずっと思って来ました。

そこで思い立って、今日から機会あるごとに、このブログ上に発表して行くことにいたしました。
玉蜀黍というカテゴリーを一つ増やして、そこにまとめて行きますのでどうぞよろしくお願いいたします。

蒸気機関車

私は街の公園におかれた

黒くつめたい蒸気機関車

あかあかと燃えていた缶の火は

一昔まえに落とされて仕舞ったのです

それでも私は

形のある限り

黒い煙とスチームを

青空高く噴き上げながら

坂をあえぎ、トンネルの暗闇を

仲間たちと一体となってくぐった

むかしの夢を

追い続けているのです

きのう運轉席に上った老人が

スロットルレバーを握りしめて

発車オーライと

つぶやいた一言に

駅頭にひびく汽笛の音を

思わず聞いた私です

このスロットルレバーを握りしめていたのかと、感慨無量の私でした。



子どもの頃、父に連れられて蒸気機関車を見に行った時の記憶が蘇りました。



高知市比島の子ども交通公園に展示されているC58335号機
私が20歳を過ぎてしばらくの間もまだ、土讃線で現役でした。

あかあかと缶に火を焚け気関車よ冬の公園のふるき我が友

子ら乗りて声彈けたり公園の蒸気機関車黒くたくまし

若き日に曠野はしりしSLを画面に見つつ涙垂れくる