高野通信」カテゴリーアーカイブ

店主の日々雑感など諸々

山都ヘお越しください

鏡桜

沼ノ平の鏡桜です。

飯豊の空の下から

泡の巻橋のたもと、山の上の公園からの眺め

飯豊の空の下から

山都に来る途中、泡の巻橋たもとの公園の中です。

今日は朝から一日快晴の空、飯豊山が一際白く輝いて見えていました。
下界では、桜の季節の真っただ中。
沼ノ平の鏡桜も、満開のようです。

実は昨日の朝、カメラを持って行ってみました。
その時も良い天気でしたが、もうあと二日か三日後でもいいかなと思えましたので、まさに今日と明日くらいが満開の見ごろでしょう。

そして、少し散り始めた頃も、またいいのですよ。
水面に、散り落ちた花びらが浮いて漂う様が絵になります。

周りを注意して歩けば、カタクリの花が咲いているのに気がつくことと思います。
キブシもイタヤカエデの花も咲いています。

どうぞ、春の景色を楽しみにお出でください。
食工房にお立ち寄りいただければ、地理のご案内申し上げます。

山都の桜咲く

食工房

店の横の、通称「種まき桜」
当藤沢集落で一番早く開花するので、そう呼ばれています。


麦畑

草丈が30cm近くにもなりました。


飯豊の空の下から・・・

山都町寺内地区から見た飯豊山

家の庭の種まき桜が満開になりました。
それに合わせるように、近所の農家さんが、苗床を作って種もみを蒔いていました。

家の畑では、ライ麦が勢い良く丈を伸ばしています。
穂が出て来る姿を早く見たいものです。

桜の木の後ろに飯豊山が見える風景も絵になります。
これから週末にかけて、このあたりの桜が見ごろです。

沼ノ平の鏡桜も、明日から2、3日が一番いい時ではないかと、地元の方からわざわざお電話をいただきました。
明日の朝か昼前、行って見ようと思っています。

来週は、早やもうゴールデンウィーク前半。
忙しくなりそうです。
孫たちも来ると言っています。

桜、もうすぐ

藤沢集落

我が藤沢集落内、一ノ戸川沿いの桜並木(2008年4月撮影)

会津でも桜が咲き始めました。
会津若松市では、早や満開になったところもあります。
我が山都町藤沢地区では、これからというところです。

明日、明後日にかけてお天気も良く気温も上がりそうなので、一気に咲くかも知れません。
店の前の、通称「高野の種まき桜」もつぼみが膨らんで、今週末の開花となりそうです。

そして気になるのは、沼ノ平の「鏡桜」ですね。
今週末、運が良ければ開花に巡り合えるかも・・・。
来週末では、もう散っているかも知れません。

桜が終われば、すぐに5月。
連休がやって来ます。
早いなぁ・・・!と思うのは、私ばかりではないでしょう。

さてさて明日も、皆さまのご来店をお待ちしております。

連れ合いの仕事

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西会津町の観光ブックレットです。
表紙のイラストのお仕事をいただきました。


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食工房の製造にはほとんど関わらなくなった我が連れ合い、向いているのはやはり絵を描くこと。
でも、それが生業になるということはなく過ぎて来ました。
まあ、6人もの子育てがありましたし、かつては食工房の製造もやっていましたから。

それでも、多くの皆さまがご存じのとおり、30年余り出し続けている通信のイラストを、今までに一体何枚描いたことか・・・。
小さいカットまで含めれば、万の単位になるでしょう。
そんな積み重ねがやっと実を結び始めたのでしょうか、近年、絵のお仕事をいただくようになりました。

もう小さい子どももいないし、食工房は私と娘でほとんど回しているし、以前に比べれば少しは絵を描く時間が増えのじゃないかな・・・。

今回は、西会津町の観光ブックレットの表紙の絵を描きました。
6000部印刷したそうですから、沢山の人の目に触れる機会をいただいたことになります。
これからも、彼女の泉が枯れない程度に、お仕事が回ってくるようだといいなと思っている私です。

と言いつつ、今月から始まった毎月の「飯豊の空の下から・・・」の表紙の絵も描いてもらうことになったんですねぇ・・・。
5月号もそろそろ始めないと・・・。

飯豊山

今日は初めて、西会津町側から飯豊山の写真を撮ることが出来ました。
地元の人なら、誰でもよくご存じのスポットですが、今日は特別お天気が良くてラッキーでした。

春らしいモヤッとした大気、樹々の梢も芽が膨らんでわき上がる雲のように見えます。
そして後ろに控える飯豊山は、まだまだ真っ白に雪をいただいています。
鶯の鳴き声も聴こえていました。

ところで、「飯豊山」を何と読むかご存じない方がいることが、先日分かりました。
イイデサンまたはイイデヤマと読みます。

「豊」は、訓でユタカ、音でホウと読みますが、稀に「テ」と読むことがあるのですね。
瀬戸内海の小島、岡山県側ですが、豊島というところがあります。
テシマと呼びます。

このテが東北なまりで「デ」になったのではないかと、これは私の推測で確認したわけではありません。
いずれにしても、イイデサンが正式名称です。

今日の写真、早速ブログヘッダーに使いました。
これからしばらくの間、ご覧いただくことになります。

紙版「飯豊の空の下から・・・」卯月創刊号、公開

今までは「食工房のパンだより」で、食工房の業務専用のお知らせ版として出して来ましたが、今度から私と連れ合いの日々の思いや雑感なども、そしてドコノモリのお話しも、そんなこんな諸々取り混ぜた個人通信として、月一ペースで出して行こうと思います、

ちょっと大変かなと思いつつ、人生に残されている自分の時間を想って、これだけはしておきたいと思うことの一つとして、まずこれをやることにしました。

版面を2倍にして、文字は大きく、見出しはもっと大きく。
老眼の自分が手に取って、眼鏡なしでも何とか読めることを重要視した結果です。

そしてつくづく思います。
自前でこんなことが出来る時代になったのですね。
私の若い頃から比べると、夢のように思えます。
幸せです。
そんな計らいを無駄にしないよう、この紙面を有意義に活用したいと思います。

ネット上には、pdfファイルをアップして、A3のカラープリンターがあれば実物と同じものを印刷出来るように設定しました。
これまでパンだよりをお送りしていた方には、これまでどおり印刷したものをお送りします。
また、ご所望いただければ、どなたでも無料でお送りします。
紙版「飯豊の空の下から・・・」どうぞよろしくお願いいたします。

とりあえずバナーが出来るまでは、こちら <飯豊の空の下から・・・> をクリックしてページを開いてご覧ください。

春愁ハーモニー・Re9展

個展

画像クリックで拡大します。

和服や帯地をリメイクして、人形や小物や衣服などの作品にされた、中川ゆう子さんの作品展です。

中川ゆう子さんは、いつもは東京にお住まいの方ですが、妹さんがこの山都町にいらして、度々山都町に訪ねて来られます。
食工房も、いつもお出でになる度、ご利用いただいています。

そんな中川さんの個展が、茶房・千にて開催中とのご案内をいただきましたので、連れ合いと二人で行って来ました。
まず、連れ合いと中川さんが布の話しで盛り上がる最中、私の目を捕えたのは4体の人形でした。

ご本人も、「これは気合い入ってます!」と仰るだけあって、「魂」が入っていました。
きっと誰も見ていない真夜中に、動き回っているはず・・・。

伺ったところ、かの辻村ジュサブローの孫弟子に当る人に13年間師事したそうですから、これはなるほどと頷く私でした。

・・・と、それはさておき、作品から伝わって来るのは、彼女の布に対する愛着、愛情の深さです。
そして、体を動かし、手を動かしてモノを作ることに注ぐ情熱も・・・。

そして思ったこと。
パンを焼くこと、お菓子を焼くこと、皆何か通じるものがあるということ。

作品展、当初今月29日までの予定でしたが、リクエストに応えて来月末まで会期を延長したそうです。
ただし中川さんは、29日まででその後一旦東京にお帰りになるとのこと。
会期の終わり頃、また山都町に来られる予定だそうです。

皆さま、ぜひご覧になってください。

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会場のご案内


より大きな地図で 茶房「千」 を表示

過去記事再録

このブログ「飯豊の空の下から・・・」には、2013年3月まで更新を続けていた過去バージョンがあります。
先日触れましたが、そのブログサービスがこの先終了と決まっており、ブログの移行がこれからの大仕事です。
どんな方法で、どこに移すことが出来るのか、ホストが用意してくれる移行のためのツール次第です。

他ならぬ私自身のために、何としても残したいものですから、今も時々読み返していますが、これから度々過去記事の再録をして行こうと思います。
移行が上手く行くなら、それは不要かも知れませんが、改めてこのページでもご覧いただきたいと思った時は迷わず再録して行きますので、どうぞお付き合いくださいますように。

それでは早速、今日は2010年6月6日の記事です。


土とITを活用せよ

2010.06.06

これから先の日本の社会の行く末を考えると、先ず今後この国の人口が増えることは、多分ないと思います。
と言うよりも、日本も世界も含めてこの地球環境は、もうこれ以上人口が増えることはもちろん、現在の状況にさえ耐えられないほどひっ迫しているのですから、今後の世界は、むしろ人口の減少を受け入れない限り、存続はあり得ないかも知れません。

いきなり話しが大上段になってしまいましたが、人口が減少するとどんなことになるのか、先んじてそれを経験しているのが、例えば私が住んでいる場所のような、地方の辺境に位置する地域です。

ものごとは、拡大傾向にある時は、何事も前向きに進みます。
将来に借りを作ることになるとしても、先に行けば行くほど楽に返せるのですから、何でも大きく計画する方向になります。
人々の欲望もいつの間にか肥大化して浪費はむしろ奨励される、それが今までの日本の社会の進んで来た道筋でした。

しかしどうやら、それももうお終いにしなくてはならなくなったようです。

資源やエネルギーの問題ももちろんありますが、少子化の問題は大方の人が想像しているよりもずっと根が深そうに思えるからです。
そのことについてはここでは触れませんが、どうしても人口減少が避けられないとしたら、私たちはどんな現実を受け入れなければならないのでしょうか。

私が住んでいる喜多方市山都町相川地区の、ここ数年の現状を思い出してみました。

私たちがこの地に移住してから早くも7年目になっていますが、その間に商店が2軒無くなり、水田耕作を止めた農家が数軒、重宝だった製材所が廃業(休業と言う話しもありますが。)、そして当地区にあった山都第二小学校が統合により閉校になりました。

こんな風に、人口減少がもたらすものは、それまであったものが無くなること、出来ていたことが出来なくなるという厳しい現実です。
そして、最終的に村落の維持が出来なくなる寸前まで追い詰められた地域を、「限界集落」と呼んでいます。

私の居るところなどは、その点ではまだまだ余裕があると言えますが、あと5年先10年先がどうだろうかと考えたら、決して楽観出来る状況ではありません。

さて前置きがすっかり長くなりましたが、それではこの先私が住んでいる地域のようなところは、何をどのようにすれば長らえることが可能でしょうか?
「土とITを活用せよ」とタイトルしたのは、ここにヒントがあると思ったからです。

この先ますます都会に人口が集中して、そこでの便利な生活だけは成り立つとしても、例えば食糧生産などは、相変わらず自然環境に依存しないわけには行かないでしょう。
ハイテク農業の開発で、土も日の光も要さずに工場で米や野菜が出来るようになるとしても、経済的にどうか知りませんが地球環境的に見れば、エネルギー収支はとんでもないマイナスで、全く非効率なやり方です。

逆に考えると、どうやらその一点にのみ地方の生き残りのチャンスがあるように思えます。

土は、全てを産み出しそして枯れることのない資源です。
もちろん、必要以上に収奪しないという、賢明なる選択が必須ですが・・・。

地方に、それも辺境と呼ばれる地に疎らに暮らしていても、ある意味豊かに幸せに生きていられる道はあると思うのですね。

そこで私がITを引き合いに出したのは、人の疎らな地域で孤立感を深めることなく過ごすために、ITはとても有効なツールだと思ったからです。

もちろんどんなものにも功罪があり、ITも犯罪の道具になったり、つまらない娯楽の手段に終始してしまう危険はありますが、それを言い始めたらキリがありません。最後は、やはり一人一人の問題ということになりますね。

いずれにせよ「土とIT」、とても重要なキーワードだという気がする私です。

そんな折も折、来年には喜多方市全域に光ファイバー通信網が整備されるとのニュースも伝わって来ています。


さて、この記事を書いてすでに4年近い歳月が流れました。
間には、震災もありました。
人口減少は、いよいよ現実の問題として認識され、社会の衰退にも正面から向き合わざるを得ない状況だと思うのですが、この国の人々は未だにぬるま湯から出られないようです。

覚悟も無いまま寒空の下に放り出される前に、自ら覚悟を決めて一歩を踏み出さなくては・・・。
地球環境的に見た「適正人口」ってあるのですね。

今日の再録記事には、まだ続きがあります。
近いうちにまたご覧に入れます。

かみさまとのやくそく

素敵な映画が紹介されているのを見つけました。
「かみさまとのやくそく」
こんなタイトルが、とてもピッタリ、しっくりと相応しい・・・、予告編や紹介記事そして公式サイトを見て、そう思った私です。

例えば、出生前記憶とか前世(過去世)記憶とか、そういった話題は、我が家では以前から日常茶飯ですから、この映画が伝えんとするメッセージは、もう痛いほど心に響きます。
世界を良くするには・・・?みんなが幸せになるには・・・?
その答えが見えるような気がします。

上映会、やりたいですね。
お近くの方で、ご一緒してくださる方いらっしゃいませんか。
詳細は、公式サイトをご覧いただければと思います。

予告編ビデオ

映画「かみさまとのやくそく」公式サイト

Do it yourself

“Do it yourself”
「自分でやれ」あるいは「自分でやる」という意味でしょうか。

私の主義であり、生き方でもあります。
ほとんど何でも手だけは出したと、自信を持って言えます。

でも今日は、そんな生き方の話しではありません。
家の洗濯機が壊れて、自分で直したという話し。

我が家の洗濯機、かれこれ16年くらい使っています。
全自動が主流の昨今、この洗濯機は二層式で非自動です。
今までに、4回壊れて4回修理して復活し、今日が5回目の故障でした。

排水バルブの開け閉めが出来なくなって、洗濯槽の水が抜けなくなる故障が2回、パルセーターのプーリーの軸にはまっている部分が摩耗して洗濯機が回らなくなったのが2回、そして今回は、脱水機のブレーキを解除するためのワイヤーが切れて、脱水機が回らなくなりました。
このうち、メーカーからパーツを取り寄せたのはプーリー1個のみ、あとは代用品で間に合わせています。

今日の故障も、原因が分かってその次に、壊れたパーツをどうするかで頭を抱えました。
何しろ、こんな古い機種のパーツが在庫されているとは思えないし、あっても取り寄せに時間がかかる間は脱水機が使えません。
それでは困るので、何とかしたいわけですね。

先ず、切れて短くなったワイヤーを届かせるために、ワイヤーが通っているチューブを切り詰めて出しを伸ばしました。
先端部の取り付けは、金具の形状を利用してビスとナットで絞めて固定。
これで、呆気なく元通りに。

さてこの洗濯機、あと何年使えるか分かりませんが、またどこかが壊れることは間違いありません。
その時もまた、Do it yourselfで対応することになるでしょう。

でもいつか、どうにもならずに買い替えの時が来るはずですね。
その時は、どんな機種を選ぶのかですね。
新しい機械は、押しなべてユーザーアンタッチャブルですから。

素人に手を出させないのは、メーカーの権益を守る意味もあるのでしょうが、一方、不測の事故で責任を問われたりしないための予防線でもあるのだと思います。
メーカーの作戦に乗せられて、高いハードルに修理をあきらめるくらいなら、壊して元々くらいの気持ちで、自分で分解してみたいという一種の好奇心を抑えきれない私です。

そうです。
今日みたいに上手く行ったことばかりではないのです、実は。

でも、失敗は成功の母。
自分の力量の限界も分かりますから。
そして何より、賢いユーザーになるためには、Do it yourself ですね。

おー、やっぱり生き方の話しになったような・・・。
ではでは。

こんな記事もありました。
ご覧いただければ幸甚。<参照>