融通の利く人類が作った、融通の利かない社会

人類は多分、あらゆる生物種の中で一番環境適応力が高い、つまり融通の利く生き物でしょう。
だから、地球上のほとんどあらゆる場所に適応して生存している。

極寒のシベリヤから熱帯雨林のアマゾンまで、およそ人の足跡の付いていない所は無いと言えます。
猛獣や毒蛇や毒虫にも対処し、豪雨も干ばつも、大雪も大風も、地震や山火事でさえも、ありとあらゆる自然の脅威を上手に避け、逆にその中に恵みを見出だし活用する術を発見し、磨き練り上げそして共有して来ました。

例えば、毒草や毒キノコの利用法には、人類の英知の真髄と言えるほどの高度な、知と技と感が集大成されています。
また、山に火を放ち制御された範囲に人工的な山火事を起こして地味豊かな耕作地に変え、何年後かにはまた自然に返して行く、こんなことをするのは人類だけですね。

だからこそ人類は繁栄の一途を辿り、これほどまでに数を増やして来たのですね。

もはや人類は、自然界に多大な影響力を行使することが出来る存在だと言うことを自覚し、その力の使い方を誤らぬよう、いつも熟慮しなければならないのではないでしょうか。
私は、もし人類に課せられた使命があるとしたら、それはこの自然界を豊かな生き物たちの楽園にする仕事だろうと思っています。そして人類自身の生存も、そのバランスの中に収まっている必要がある・・・。

ところが実際はどうでしょう。
いつの間にか人類は、自分たちの作った「社会」という小さなお池の中で繁栄を謳歌し、地球全体のことを忘れてただ恵みを受け取ることしか考えなくなりました。
そして、人類のためにのみ都合の良いシステムが完成に近づくに連れ、それは次第に自然の営みとは相容れないものになってしまいました。
例えば、近年ちょっとした災害があっても、すぐに大きな被害が出てしまうのは、私たちの「社会」が自然に対して融通が利かないからだと言えるのではないでしょうか。

どんなにハイテクを誇っても、自然の営みそのものを制御出来るわけはないのですし、制御するのではなく合わせて行くことの中にこそ、人類の英知は結集していたのですから、私たちが作り上げて来たこの融通の利かない経済産業主導の社会は、この際大きく変容すべきだと私は思います。

どのような道があるのか、それはこの自然に真摯に向き合えば、すでに示されているのではないでしょうか。
一度は辿って来た道を、新しい視野と知識と経験をもって見直せば、すぐにもこれからの行くべき方向は見つかるのだと思うのです。
ただし、そこで求められるのは、変えるあるいは変わる勇気だと私は思います。
もはやのっぴきならぬ関係にある人類と自然、問われているのは私たち人類の在り方の方です。

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時を同じくして、私の友人知人のブログに関連のある記事がエントリーされています。

★ takさんの「今日の一撃」 <参照>
★ kawauchi ideさんの「本気、根気、元気」 <参照>

そして私自身の過去記事もご覧いただければ幸いです。
<参照1> <参照2> <参照3>

今日は朝から、東海地域で発生した地震のニュースで大騒ぎです。
個人的には、浜松市にいる友人の状況が気にかかります。
現地の方々には、心よりお見舞い申し上げる次第です。