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サルの群れ現る

近頃サルの姿を見かけることがありませんでした。
でも、もうそろそろ現れるんじゃないかな・・・と思っていました。

お昼過ぎのことでしたが、買い物に出かけて行った娘から電話がかかって来ました。
集落の外れにサルの群れがいて移動中だと。

ふむふむ、これはいいタイミングだ、こちらに侵入して来るところにお出迎えしてやろうと、ロケット花火など一式用意して現場に向かいました。

私が辿り着く頃には、すでに集落に近付いていて、数匹の姿を確認しました。
ただ、そこで追い払い作業をしても、山の中に四散した後私が引き揚げればまたすぐ集まってくることは確実なので、そのままもう少し引き寄せることにして、やって来そうな位置に先回りしました。

すると、先頭のサルがもう近くまでやって来ていました。
しかし、こちらの対応に気が付いたのかサルの動きが遅いので、一旦家に戻り一時間くらい置いて再び現場に向かいました。

今度は直近で沢山のサルの姿を認めましたので、追い払いにかかりました。
山の方に向かって追い払い、さらに逃げて行った方に先回りしてそこからまた追い払い、そんなことを繰り返しているうちに、山の藪の際まで来てしまいました。

これ以上は、クマもいるかも知れず危険なので、そこまでにして帰って来ました。

まあでも、逃げてもすぐまた戻って来ることは確かで、ロケット花火の音なんかもう平気なのですね。
要するに私がしつこく追い回すのが鬱陶しいだけで、いなくなれば全く何も警戒なんかしていないのだと思います。

畜生!
これ以上はもう効き目は無いのでしょうね。

何か痛い目に、あるいは危険な目に合わせる必要があるのですが、我々にどこまで出来るか、許されているのか、それが問題です。

平和を守るための武力

「戦争を回避するためにこそ武力が必要。」

そんな言葉を、以前の私はとても信じられませんでした。
詭弁以外の何物でもないと掃き捨てたものです。

戦争を回避するなら先ず武装解除が優先、日本の憲法9条が世界に広まらなくては・・・、などと思っていたのですね。

しかしその後、歳を経るに連れ、そうばかりでもないかも知れないと思うようになりました。

また昨日までの続きになりますが、世界には最後まで人の善意を信じるという人がいる一方、人の善意など最初から信じないという人がいて、それぞれ世界の半々を占めているのです。

と言うか、私たち一人一人の心の中に、その二つの側面が相半ばして同居しています。
である以上、どことも誰とも争うことなく平和を実現することは、単なる理想に過ぎず永遠に実現することはありません。

少し話が逸れるかも知れませんが、他者に争いの刃を向けるのは、自身の心の中の戦いに敗れたからです。
ま、それは置いて。

悪い奴らは、強そうな相手には手を出しません。
否、実際そんな低レベルの理由によって、戦争を回避出来ているのではありませんか。

アメリカやイギリス、フランス、ドイツなどが、戦禍に見舞われないのは強い軍事力を持っているから、他に理由なんかありません。
そして戦争を避けるために、欧州各国はこぞってNATOに入りたいのですね。
武力が背景であることは疑う余地がありません。

我が国日本だって同じことです。
他ならぬロシアやまた中国や北朝鮮が手を出さないのは、アメリカの核の傘の下にいることとそして安全保障上の同盟国だからです。
他に理由はありません。

未来永劫、どこまで行っても人類世界は不完全です。
先に申し上げた二面性が無くなることはありません。

だから我々は、銃と花束の両方を携えて前進するしかないのです。

戦う覚悟を召されよ

以前、「世界が平和であるためには、一人一人の心の中が平和でなくてはならない。」という言葉を紹介したことがあります。<参照>

全くその通りに違いないのですが、どうしてもその平和を壊したい者がいる、それがこの世界の実相です。

「平和を願わないものはいない。」
この言葉に多少の異論があるだろうと申し上げたのは、その事が脳裏にあったからです。

昨日の続きになりますが、ロシアによるウクライナへの侵略戦争を見ると、平和を願うだけでは平和は実現しないこともある、それが現実だということが分かります。

平和な心に刃を向けて来る者がいるなら、それを払い除けなくてはならないし、場合によっては相手を倒さなくてはならないでしょう。

非暴力無抵抗は、態度としては立派であっても、問題解決の方法にはなりません。

平和を壊そうとする者たちの暴力は制止されるべきです。
そのために戦うことはあって然るべきでしょう。

取り敢えず今は平和な我が国ですが、予めそうした覚悟を自覚しておくことは、とても重要な一面であると思う私です。

世界の命運は、ロシアをどう始末するかにかかっている

ロシアがウクライナに侵攻して以来間もなく2年になります。
これが単なる地域紛争ではないことを、ずっと申し上げて来ましたが、その通りになって来たと思っています。

もはや、世界はとても不安定になり、あちこちで火の手が上がり始めました。
事の発端を見ても分かる通り、ロシアは悪い国です。

と言うより、ロシアは近代国家ではありません。
中世または近世の頃の世界の価値観から一歩も前進していません。

国家の発展と繁栄は、領土の拡張と他国を支配することによってのみもたらされるものと言う価値観です。
プーチンの言動を見ていると、それが噓でないことがよく分かります。

戦争に明け暮れ、次に植民地主義に猛進し、二度の世界大戦を経て、やっと欧州諸国が気づいたことは、対等互恵の世界を作らない限り、お互い発展も繁栄も望めないということでした。

世界の潮流は、概ねこの方向に向かっています。

その21世紀の世界の中で、主権国家に言いがかかりをつけて侵略戦争を仕掛けるのですから、これが害悪でなくて何だと言うのでしょう。
これがまかり通れば、迷惑はかけ得、奪い取ったものは我がもの、勝ちさえすれば裁かれることもないということになります。

そしてこれは、単に独裁者プーチンを始末すればいいというような問題ではありません。
ロシア国民のためにも、ロシアという国家をどう始末するのかそこに踏み込まなくては、そこに世界の命運がかかっている重大事なのです。

いやいや、ロシアだけではないと思います。
我々自由民主主義、対等互恵を標榜する者にとって向かい合わなくてはならない国は、他にもまだいくつかあるのではないでしょうか。

このまま煮え切らない対応をし続ければ、もう一度世界は大戦に引きずり込まれるであろうことは間違いありません。

先ずはウクライナに勝利を与えることです。
そのために世界は支援を惜しんではならないし、ロシアに組する勢力には厳しい対応が必要だと思っています。


ポプラの傍

いつものことをいつものように

いつものことをいつものように・・・、若い頃はそれが耐えられなかったのですね。
逆に、いつも何かしらの変化を求めるのは、若者の特権かも知れません。

明日はまたいつものようにパン焼きです。
酵母種にとって、安定した状態の下にあることは、必須中の必須条件です。
つまり、いつものようでなくては困るのですね。
少しの気まぐれも許してもらえない、それが微生物との付き合いなわけです。

私も、還暦を過ぎたあたりから感覚が変わって、日常の大切さを思うようになりました。
その分、次々新しいことに手を出す意欲が減じたことは自覚しています。

まあ、人生70年も生きていれば、いろいろな物事に対し、何でもいい、どうでもいい、と言うわけには行かなくなります。
知見の深まりは結果的にこだわりを生み、一方で自由を失います。
その代わり、いつも良い結果だけを得られる(失敗しなくなる)ようになるのですね。

こうして歳をとってみると、どれだけ広い世界に住んでいられるかは、結局若い時の過ごし方にかかっているのだなと分かります。

果たして自分はどうだったか?
若い人たちと交流して見れば、それが分かるのでしょうね。

あと何年・・・、人生最後の章を歩んでいるのだと自覚する私です。

獣の気配が遠いのが不気味

今年は春が早いようです。
もう山も畑も雪に覆われているところはありません。

獣たちの活動も始まるだろうと思い、トレイルカメラを仕掛けたり見回りをして、足跡や糞など痕跡の発見に努めていますが、今のところ何もみつかりません。

少し前にクマの糞と足跡を見つけたことを報告しましたが、それ以降は全く何もありません。
クマもイノシシもサルも、皆、山の方に行っているのでしょうか。
人里に出て来ても、畑に何もないことを学習済みということかも知れませんね。

一方、タヌキやキツネなど小動物は、いつも人里の近くにいるようです。
カメラには、それこそ毎夜その姿が映っています。

それから面白いのは、藪に覆われた山の周辺には野ウサギがいますね。
少し山に寄った個所に設置したトレイルカメラには、野ウサギの姿がよく撮影されています。

畑の周りでは見たことがありません。
きれいに刈り払われている場所は、キツネなどに見つかりやすく逃げ隠れも出来ないからでしょうね。

一方でそういう所にはクマがいる可能性も高いのですね。
いずれそのうちに、またあちこちに出没するだろうと思っていますから、決して油断はしていません。

電気柵その他の対応策を常に考えています。
そして、冬枯れで見通しが良い今のうちに、出来るだけ広い範囲にこちらの縄張りを主張する印を付けておくことです。

そのために、獣たちの気持ちを想像しながら、どうしたら嫌がられるか恐れられねか、また騙すことが出来るか、せいぜい頭を使うことだと思っている私です。

ただ今、本業外が忙しい

集落の自治会の会計役を担当していることは、すでに何度かお話していますが、今期で3期丸6年務めたことになります。

長かった会計役も、今年の役員改選でやっと解任となる予定です。

ただ今、これで最後のご奉公と言うわけで、決算報告の準備をしています。

冷静に思い出してみると、会計役の仕事が食工房の本業に相当な負荷となっていたことは確かで、次第に高齢となって行く私にとってちょうど良い潮時かも知れません。

ま、何がしかのお役には立てたと思いますので、良としていただきましょう。

明日も、その件で別の役員さんと打ち合わせをしなくてはなりません。

最後まで、手を抜かずにやり遂げたいと思います。

飯豊山モルゲンロート

飯豊の空の下から・・・

早朝6時30分頃 飯豊連峰の主峰大日岳が朝焼けに染まりました。

パン焼きの朝は、時々いいことがあります。
早起きは三文の得と言いますが、それ以上の価値があるのは今朝みたいな情景に出遭うことです。
そして、家の庭からこの景色を眺められるというのも、また何とも贅沢な話です。
この地の利を、ありがたいと思わずにはいられません。
いいものを見させてもらったおかげでしょうか、パンの出来もいつも以上に良かったのですね。
午後には曇って、その後雨も降り出し、今朝たまたま快晴だったことが奇跡のように思える一日になりました。

昨年のブログを見て驚く

昨年の今頃のブログを見ています。
それによると、2023年の今頃、「麦畑は深さ40cmの積雪に覆われている。」とあります。
今年は、どこを見回しても雪に覆われてなんかいません。
全くこの違いに驚くばかりです。

この調子では、夏に向かってどんなお天気になるのか、想像も付きません。
クマも冬眠せずに歩き回っているようですし。

春を迎える準備は、2ヶ月近く早まるのではないかと思っています。
いやはや、何だか落ち着かなくなって来たこの頃です。

さて、明日はまたパン焼きです。
道の駅あいづさんに今週2度目の納品もあります。
今週末は3連休になりますので、山都にもお出でくださる方がいるかも知れません。

道路はもうすっかり雪が無くなっていますので、雪道が不安な方もご心配には及びません。

ご来店お待ちしております。

このまま残雪の無い春に・・・?

今日また少し寒くなっていますが、それにしたって平均気温が高い中での話ですから、大したことはありません。
麦畑も周りの山も、どこを見回しても、雪は日の当たらない所などの限られた場所に点々と残っているくらいです。
どうやらこのまま残雪の無い春がやって来そうです。

例年の2月頃と言えば、どこもかしこも根雪に覆われて一面の銀世界、3月のお彼岸を過ぎてもあちこちにたっぷりと残雪があって、春を待ちかねた人が圃場の残雪の上に灰や燻炭を撒いて雪融けを促す風景も見られるのです。

今年はそのような事をするまでもなく、もう日当たりの良い場所では草が芽吹き緑が差して来ています。
農作業の計画も、どのくらいになるでしょう?思いっ切り前倒しで臨まないと間に合わなくなるかも知れません。

毎年毎年、こんなことは今までなかったと言う気候の変化に出遭っています。
どう対応したら良いか、うんと頭を使わなければなりませんね。
そうやって鍛えられて、賢く強くなれるってことでしょうか。
ま、がんばります。

もちろん、明日のパン焼きも。 
この頃、自分の麦を使う割合が多くなってきたことに、何とも言えない喜びを嚙みしめながら仕事をしています。
明日も、おいしいパンが焼けると思います。