貧しさの中の豊かさ、豊かさの中の貧しさ

内装がボロボロになって、ところどころトタン板がむき出しになった小屋。
冬の夜は、いくら火を焚いても寒いので、入り口にも窓にも毛布や厚手のカーテンを垂らしていました。
それでも外で風が吹くと、ランプの灯が揺らぎ扉がバタンバタンと音を立てていました。
部屋に一つのランプの灯りの下、薪ストーブの周りには8人の親子。

お風呂場には外の風が吹き込み、トイレは氷点下の家の外。
家の中だというのに、白い息を吐きながら飯を食っていることもありました。

でもそんな生活の中にも、豊かさを感じる瞬間がいっぱいありました。
薪が良く燃えて、ヤカンから湯気が立ち上るのを見ているだけで、幸せな気分になれたものです。

夜半、用を足しに氷点下の外に出て行くと、どんなイルミネーションも及ばぬ満天の星空だったり、雪化粧した山や森を照らす月光白夜だったり・・・。
漆黒の闇夜もまた、妙に感動的でした。

その頃、街に住む人を訪ねると、暖かくて明るくて快適な家の中。
お風呂もトイレも何もかもが行き届いていて、頭で分かっていてもいつも新鮮な驚きを味わったものです。

この時代、私の住む国では、きれいな家と自動車が当たり前。
一人一人に行き届いた部屋。
パソコンや携帯電話、その他一人一人のための道具や持ち物がいっぱいいっぱい。
奪い合うこともなくて、皆それぞれに満足。
その代わり、譲り合う喜びと暖かい気持ちを味わうこともありません。

この間、大きなお店の中で公衆電話を探したら、見つかりませんでした。
仕方がないので店員さんに頼んで、店の電話を使わせてもらいました。
いつの間にかそんな時代になってたんですね。
携帯持っていないおかげで、この社会が決して豊かでも何でもないって分かってしまいました。

もっと便利に・・・、ただしお金を払うなら。
払わないと、もっと不便に。

貧しさの中の豊かさ、豊かさの中の貧しさ」への2件のフィードバック

  1. パンがすき

    雪の中の写真を見るにつけ、福島県も広いですね。
    なかなかいくことができませんが、初めてパンをお店で食べた時は驚きました。
    ちゃんと作ってあるパンを食べられるということが、とても体に染み入りました。
    山都の雪の中でつくられた麦で食べられるということは、ひとつのぜいたくのような気にもなります。
    石焼釜のパン、街の中にはたくさんありますが、自然がいっぱいの中で焼かれて、においも味も際立って感じられます。また、食べに行きたいです。

  2. Mikio

    パンがすきさん、コメントありがとうございました。
    お店にいらしてくださったんですか。
    うーん、どなたでしょう・・・。
    いろいろ思い浮かべる楽しみも、一緒にいただきました。
    どうぞまたいつでも、ご来店ください。

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