時事雑感」カテゴリーアーカイブ

嘘は必ずバレる・・・なら、世の中少しは正常ってことで

もう多くの方がご存じのとおり。
超有名作曲家のゴーストライター問題ですね。
あんまり騒がしいものですから、今まで何も知らなかった私までもが、「どれどれ!なになに?」と検索せざるを得ませんでした。

正直言って、近代のクラシック音楽は、私にとっては全くの興味の外でした。
件の佐村河内某氏の名前も楽曲も、それにまつわる話題も、今日の今日まで知りませんでした。
そして、発覚後のニュース記事などから知らされた事実は、私にとっては全く唖然とするものばかりでした。

何だか複雑ですね。
いろいろと入り組んでいて、結局誰が犯人・・・って、特定出来ないですよね。

私は評論家ではないので解説する気はありませんが、自分の感想を二つだけ申し上げておきます。

先ず一つ、関わった人々の思いと作品の芸術性は、必ずしも関係がないということ。(私は、聴いていないので、素晴らしいともつまらないとも申し上げられませんが。)

もう一つは、どんなに巧妙な嘘も、いつか必ず白日の下に曝される時が来るのだなぁ・・・と言うこと。
この人の嘘は、知らなくても幸せな人が沢山いるからいい、で済ませられるものではなかったということでしょうか。

話しは飛躍しますが、皆で騙し騙されてアメリカ相手に戦争したのは、いつのことだったか・・・。
嘘に不感症になって行くことが一番恐ろしいと、私は思っています。

明日、明後日は定休日にて

毎度ありがとうございます。
また一週間が過ぎました。

明日と明後日は定休日です。
この一週間、ご来店ありがとうございました。
また、遠方よりご注文ありがとうございました。

明日からまた真冬に逆戻りとの予報ですね。
雪も降るかも知れません。

明日は立春とは言え、まだ2月ですからね。
木曜日から、またよろしくお願いいたします。


東京都知事選と脱原発

都知事選で、脱原発を争点にするのは、当たらない・・・、という説があります。
そんなことはありません。

東京都は巨大電力消費地です。
電力消費者である東京都民が、原発についてどのような選択をするか、その意向を電力会社は汲まないわけには行きません。
東京都民の皆さま、原発のことをよくお考えになってください。

今もって原子力をエネルギーの根幹と考えることがいかに非現実的か!

皆さん、もういい加減に正直になりましょうや。
安倍さんは、ありゃー・・・はだかの王様ですぞ。

「脱原発には具体性がない」 というのは変化を望まない者の詭弁⇒

最後に一言

どうもこうも、この国の行く末が思いやられます。
昨年、衆議院議員選挙の結果を見て、「これから先は何も申し上げることが無くなる。」と申し上げましたが、今日は、まさに最後の一言になるかも知れません。
そもそもここまで来る前に、他にも道はあったのですし、それを選ばなかったのが私たちの社会ですから、今さらどうにもなりません。
民主主義とは、場合によっては封建社会や独裁政治よりも、はるかに手に負えない代物だということに、もっと早くから気が付いているべきでした。

さて・・・、これから未来のために何が出来るか・・・。
よく考えて、命と時間を無駄にしないように、私は私に出来ることをしようと思います。
こんな音楽でも聴きながら・・・。

海

「海の蒼さはなぜに ~イネスとジョアンナに捧ぐ~」

東京オリンピック・決まったからには・・・

もうすでに皆さまご存じのとおり、7年後の2020年オリンピックの東京開催が決定されました。
ま、私個人としては、さほどの感激も感慨も何もありませんが・・・。
それがこの国の行き方なのですから、それはそれでやればよろしい。

この際、私が思うことは、今回の東京オリンピックがもたらす恩恵は、福島に関しては素直に喜べるものになるかどうかは微妙だということです。
先ず第一に言えることは、事故原発の収束作業の状況が、今後世界の注目の下に置かれるということです。
これは、ある意味良いことです。
これから世界が注目する中で事故原発の収束作業が進むのですから、日本という国全体の責任として、今回明言した通りの状況にしなくてはならないということです。

しかし状況は、そう単純ではありません。
安倍首相が海外向けに発した「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている。」というメッセージ、いわきの漁民の前で同じことを言ってみろ!と言いたいですね。
発言は、実のあるものにはなっていないと感じます。

福島にとって今後7年間、オリンピック開催の準備とは、競技施設の整備ではなく事故原発の収束作業のことを指しているということを、銘記しておきたいと思います。

国が劣化している、ということ!?

原発の汚染水の問題が、今さらのようにニュースになっています。
もうずっと前から、そもそも事故後間もない頃から、いずれこうなることは分かっていたのです。
現場で働いている人たちは、早くからそのことを訴えていましたから。

私たちは、この現実に何を学ばねばならないでしょうか。
そうです。
この国は、原発以上に劣化しているのかも知れないということ。

ひょっとすると今後対応不可能な状況に、本当になってしまうかも知れないと、そのことをこの国の全員が覚悟しておかなくてはならないと思います。

今この時に、私たちの国はどのようなメッセージを発信することが出来るでしょう。
世界の関心は、そこに集中していると感じます。

そして私たちはこの先、何をどう選択すべきか。
事故の原因究明も有耶無耶なまま、東電の社会的責任も問われないまま、再稼働を言う電力業界と政府。

停止中の原発の再稼働が出来る余裕などどこにもないということを、理解出来ないかあるいは知らぬふりをしているのか。
そしてまたこんな時に、オリンピック招致にはしゃいでいるとは・・・。

否だから、劣化していると・・・。
これらのこと諸々、最後は国民の私たちに関わって来るということです。

この先、何がどうなる?
どのような結末にしろ、先が見えないことには希望は生まれません。

ああ、まるで話に聞く太平洋戦争末期の南方戦線ような・・・。
そして敗戦を終戦と言い替えて、何か大切なことを学ばないまま68年、今またもう一度徹底的に敗北でしょうか。

私の親たちの世代が、戦後、希望と思って突き進んだ道の先にもう一度このような状況があるとは・・・。
そして還暦を越えた私の世代は、この先死ぬまでに、子や孫たちにどのようなメッセージを残せるでしょうか。
引導を渡すことは出来るのか。

国が劣化しても、自分は劣化するわけには行かないと、決意を記して肝に銘じておこうと思います。

あなたは、投票に行きましたか?

参議院議員選挙が終わりましたね。
これから、今夜中には大勢が判明するわけです。
それは、この国がこれからどこに向かうのか、それが決まることだと言っても過言ではありません。

今日あなたは、投票に行きましたか。
またしても投票率の低下が報道されています。
50%は、とても厳しい・・・と。

棄権も一つの意思表示には違いありません。
ただしそれは、「選挙の結果多数を占めた勢力に、白紙委任します。」と言うことと同じです。
ただでさえ少ない有効投票数の中で多数を占めても、それが全有権者の中の多数の支持と同じではないことは、今さら言うまでもないことです。

しかし、当選した人たちは、自分たちは国民の信頼を得て議員に選ばれたのであり、国民の代弁者であり、自分たちの決議は即ち国民の意思でもあると、胸を張ることでしょう。

これでどこかの政党の思惑通りねじれの解消が実現すれば、今後は政治の決定に対する市民の反対運動など、益々以て空しいものとなってしまいます。

どのような結果が出るにしろ、即ち私たちはそのような道を歩んで来た、それを自覚し覚悟を決めるしかありません。

若い頃、政治に無関心であったことへの後悔と自責の念を込めつつ。

来週は、選挙ですね。

百姓市

本日も、ご来店ありがとうございました。


今日は日曜日。
恒例の百姓市に出店していました。
少なからぬお客さまにご来店いただき、まことにありがとうございました。

もちろん来週も、百姓市はいつも通り開催です。
そして言うまでもなく、参議院議員の選挙の日なのですね。
プラス、当集落では、道路の草刈り人足も予定されています。

さて、選挙について一言。
多くの方が、「今回の選挙では、選びたい政党も候補者もいない。」と仰います。
実は私も・・・です。

しかし、無関心ではいられません。
自民党圧勝と、まことしやかに語られている通りになれば、何が一気に進み、その結果世の中がどうなるか、まあ大体は誰が考えても分かること。

今の日本は、何も決まらない進まない方がいい。
混沌の中で悩んでいればいい、と私は思っています。
そのためには、反対勢力が一定数必要です。

どこの党だっていい、誰だっていい、明確に自民党の独裁に歯止めをかけてくれるなら。
別にそこに政権を担当してもらいたいと思うわけでなくても。
このどうしようもない破滅へのプロセスを、少しでも防御する力になるなら。

心ある方々よ!
それが投票の際の唯一の選択肢ですぞ!
棄権は、絶対にいけません!


おすすめブログ

http://toriiyoshiki.blogspot.jp/2013/07/blog-post_13.html
http://karakara.office-segawa.net/

原発事故後、三度目の春に思うこと

震災とそれに続くかつてない原発の爆発を経験してから二年余り、福島県内各地は早や三度目の春を迎えています。
事故の収束宣言が出されてからでも1年と5ヶ月、しかし、事故後の原発の状況は、およそ収束とはほど遠い状況です。

最近ニュースをにぎわしている水漏れ事故の報に接して思うことは、そんなこと当然分かっていたはず・・・、ということ。
追い立てられるようにその場しのぎの仮設工事で切り抜けて来ているのですし、最初から無理のある工法は承知のはずです。
それなのに、なお資材も工賃もケチって、人件費もピンハネで、健全な人の考えというものが見当たりません。

この二年余りを見ていて、誰もかれもが言いたい放題のことを言って、責任は全く取らないのが、今の日本と言う国の有様なのだなと気づきます。
壊れているのは原発だけじゃありません。
この国そのものかも知れません。
オ・ソ・マ・ツ、ですよ、全く。

そもそもこれほどの大災害になって、本当に対応可能なのか・・・、いささか不安になって来ます。
それでもまだ原発というシステムに依存しようとする日本社会。
もう少し人間が真面なら・・・、と。
自分への自戒の意味も込めて、そう言うしかないですね。

願わくは、再び大きな地震に襲われるようなことがありませんように。
福島第一原発は、まだ瘡蓋も張らない傷口のままです

震災2年

歴史に残る大震災から早や2年。

今回は、それまでのいかなる災害と異なり、これまで例のない原子力災害を伴いました。
地震の揺れや津波は、天災と呼んで間違いはないと思いますが、原発の爆発はあきらかに人災的色合いが濃いと、もはや社会の認めるところです。

この2年間の成り行きを見て、いつの頃からか、私は言葉を失っています。

黙っていてはいけない、声を上げなくては!と言う人が沢山います。

決して黙っているわけじゃない。 日常の行動を通して意思表示はしているつもりです。
自らの命を以って抗議の意思を表した人もいました。 「原発さえなければ!」と。

政治にデリカシーが欠けているだけです。

命をかけて、壊れた原発の中で収束作業に当たっている人たち、避難せずに留まっている人たち、沢山の人々が生きている、それがフクシマです。

日々、放射能の恐怖や不安と対峙している、その胸の内を感じ取るデリカシーに欠けている!のじゃないですか。

ある意味、この社会も。

黙っているしかないじゃないですか・・・。