高野通信」カテゴリーアーカイブ

千の響き


サンプル音源を試聴出来ます。 <こちら>をクリック。


<h4>イベントのご案内です。

この前ご紹介しました山都町の新名所「茶房 千」にて、来る3月21日(日)午後4時~6時「千の響き vol.1・アイリッシュの夕べ」と題して、ライヴコンサート・ティーパーティーが催されます。

出演は、会津館内では大分知られるようになった、フェアリーランド&唐橋郁の3人のユニット。
アイルランドのルーツミュージックをはじめ、その他のジャンルの楽曲も取り混ぜて、素敵なコンサートになることと思います。

ワンドリンク+スィーツ一品をお召し上がりいただきながら、とっておきのお茶の時間をお楽しみください。
料金は、お一人さま1500円。(ワンドリンク+スィーツ1品込み)
その他、別オーダーで食事メニューもあります。
詳しいことは、「茶房 千」まで直接お訪ねください。 TEL 0241-38-2272

そしてただ今山都町では、今日明日の二日間「寒晒しそばまつり」が、また今日から4月上旬までの予定で、「沼ノ平の福寿草まつり」が開催中です。

一日は24時間

誰にとっても同じく、一日は24時間。
こんなこと分かり切ってはいるのですが、この頃時間が過ぎるのが速くて、何をやっても間に合いません。
いろいろやり過ぎ?欲張り過ぎ?そんなつもりはありませんが、すべきこと、しなくてはならないことに次々と行き当って、どうにもなりません。
一日の過ごし方の積み重なりが、すなわち人生ですから、「お前さん、歩き方が間違ってるんだよ!」と言われると、少しは思い当たるところもありますので、返す言葉はありません。


忙しいのは構わないけど、もう少し他のことなら・・・と、少し愚痴っぽくなりそう、と言うところで、明日から高知へ出かけて頭を冷やして来ます。
毎日、早寝早起き、ジョギングと体操です。


食工房は、製造はお休みですが、店は開けております。

ネット格差

インターネットの力は素晴らしいと思いますけど、情報をやり取りする通信速度の格差は、地域によって経済格差どころではない開きがあります。
世界中をつなぐインターネットの趣旨は、この日本でも地方の周辺地域に行けば、全く有名無実ということもそう珍しいことではありません。

私の住んでいる地域は現在ADSL回線で、通信速度は1.6MBPS(下り)程度となっています。
これは我が山都町ではまだいい方で、周辺ではISDN回線がやっとと言うところが沢山あります。
あるいはそれすら使えない地域もあります。

一方、町の中心部に行くと光回線が供用されていて、高速通信環境を利用出来ます。
距離にすると、わずかに数kmか、せいぜい十km超えくらいの範囲のことです。
他所の地域の事情を伺っても似たような所が沢山あり、すぐとなりの地区までADSLなのに、家はISDNも使えない環境だと不満を漏らす方に出会ったことがあります。


今あちこちで、地域ぐるみで光ケーブルを引くところが出て来ていますが、その費用の大半は行政の負担で出しているわけで、通信会社にとっては端から儲けにならない事業なのですね。


地方の過疎化が問題視され、地域の活性化が叫ばれ、定住者の移住を促進したい地方の寒村で、多分いちばんネックになるのがこの通信環境だと、いろいろな人の話を聞いていて分かります。


携帯電話事業も同様で、基地局の建設は行政の負担で行われています。
それでも、高速モバイル環境は全く見込みなしです。
まあそれはそれで電磁波公害のこともありますから、携帯基地局よりは光ケーブルの方がありがたいし、はるかに有益です。


通信環境が平等でない限り、いくら素晴らしいコンテンツを発信しても、受け取れないユーザーが少なからずいるわけで、数の論理で大都市にばかり恩恵の厚いこの社会の仕組みを、まず通信環境からどうにかしてもらいたいものだと思っています。

雪に感謝


こんなものを作って遊ぶ余裕は、実は、この世で一番大切なことかも。


まあこんなことを言うと、寒い中外で体を使って仕事をしている方からは、お叱りを受けるかも知れませんが・・・。


私にとっては、毎日少しでも雪かたし(雪片づけ)をやれることは、健康維持の上で大変ありがたいことなのです。
今朝も、大した量ではありませんでしたが、除雪車が出動するくらいの積雪(15cm以上)には達していたようです。
除雪車が道路脇に残していった雪の塊を、スコップやスノーダンプで片づけて、駐車スペースを確保したり出入りがしやすいようにしたり、小一時間ほど作業して汗をかきました。


それまで寒い寒いと縮こまっていたのに、終わる頃にはすっかり体が温まって家の中に入ると暑く感じるほどでした。
お腹がすいて食べるものはおいしいし、眠気も吹き飛んで頭もスッキリ。
やり過ぎると確かに筋肉痛になったりしますけど、雪かたしが続く間は、首筋や肩の凝りはすっかりとれてしまって、全然気になりません。


これが夏なら、畑仕事が一番です。


その逆に、夏冬問わず一番健康を損ないそうなのは、パソコンの前に座っていることです。
同じ椅子に座っているのでも、ノートに字を書いているのとは何か違います。
医学的にも、結論は出ているみたいです。
それよりも私は、雪かたしとパソコン作業の間で、爽快感と不快感を交互に味わいますので、人間の体にとってどの程度にどんなことをするのが健康に良いのか、何となく感じるものがあるのです。


それはそうとパン屋の仕事にも、不健康な体の状態に陥りやすい、一種職業病的な体の使い方に関する癖があって、気を付けていないと体を壊します。


何でもそうかも知れませんが、そればっかりというのが一番悪いようですね。
この世にある生業で、健康に害のないものはと言ったら、さあなんでしょう?


恐らく昔のお百姓さんでしょうね。
百姓百品、百の姓と、何でもやるのが百姓。


そんなことを考えながら、今日も雪に感謝。


おいしいパンを焼くにも、まず体の健康がなくては始まりませんから。

マイブログ中間報告 vol.17

こうしてブログを書いていると、訪問者の数が増えることは、何と言ってもうれしいことに違いはありません。
このところまた少しアクセスが増えて来ています。
何が理由なのか、はっきりとこれだ思い当たることはないのですが、いくつかのブログ上で私のブログへのリンクが貼られたことが効いていることは、多分一番大きな理由です。
※アクセス解析で、リンク元が解るようになっています。


そしてカウンターの数の次に気になり始めるのは、どういう方がどのように見てくださっているのかということです。


私も、本当にいろいろな範疇のことを取り上げますので、どんなことを書いた時に反応が良かったのか、いちいち覚えてもいませんが、昨日「無縁社会」を取り上げたことは、今までご来訪いただいたことのない方のアクセスを呼び込んだかも知れないと思っています。


それくらいあの番組の放映は、大きな反響を読んでいるようです。
「無縁社会」をキーワードにグーグル検索していて、ある時間帯、この「飯豊の空の下から・・・」が関連ブログで上位にヒットしていました。
その後すぐに多くのブログ記事の中に埋もれて見失ってしまいましたが、その検索結果からいくつかのサイトを開き、世の関心の高さを知って驚きました。


いくつかのブログ記事や書き込みを読みつつ、私もさらに掘り下げてもう一言二言語りたいという衝動に駆られましたが、性急な言動は禁物と自分に言い聞かせて、しばらくは胸の中にしまって置くことにしました。


それにしてもインターネットの速さの力には驚くとともに、一つ間違えば多くの人々が、悪意のある情報に一瞬でも惑わされ翻弄される可能性に、くれぐれも心しておかねばならぬと思った次第。
それが招く結果の恐ろしさは、何となく想像出来るような気がします。


熟考を経ず思いつくままに語ったことも、あっという間に多くの人の知るところとなってしまうリスクを承知の上で、抑えるべきこともあれば敢えて語るべきこともあるでしょう。
それを間違えないようにしたいと、常々心に刻んでいます。

雪の墓標と無縁社会

※本日、長文になつております。最後尾に、食工房よりお知らせを掲載しております。
 


昨夜(1月31日)、TVで「NHK特集・無縁社会」という番組を見ました。

今この国で、誰にも看取られず孤独死する人が年間3万2000人。
自殺者の数と同じだと言われます。
その番組の中で浮かび上がって来たのは、人が社会との接点を失って生きる無縁社会というものでした。


さて、日頃テレビを見ることのない私が、何故その番組を見ることになったかと言うと、この会津に昭和村というところがあって、そこにお住いの佐藤さんという方のブログ「佐藤孝雄のじねんと録」1月31日(昨日です。)の記事<参照>の中に告知されていたからです。

そして、このブログ記事の中でも触れられている「雪の墓標」は、その昭和村の佐藤さんがお住いの地区を舞台に、NHKが取材制作し1993年4月30日に放映した、ドキュメンタリー番組のタイトルです。


奥会津の豪雪地帯、福島県昭和村。

冬、見渡す限りの雪原に、4メートルほどの棒くいが立てられている。

これは、家々の長男が、父母の死が近いことを察し、晩秋、墓が雪で埋もれないうちに立てておいた墓のしるし、雪の墓標である。

番組では、昭和村に生きづいている日本古来の伝統的な葬送の儀礼を、村の最長老の葬儀を中心に克明に記録する。


※NHKアーカイブス保存番組詳細資料より


残念なことに当時の私は山暮らしの最中で、この「雪の墓標」の放映のことは知る由もなく、またテレビもありませんでしたから、見ることは出来ませんでした。
しかし、地方の寒村の村人たちによる葬儀の様子は、この私には十分想像することが出来ます。


大分前のことになりますが、私は、ある地方の寒村で村人だけで執り行う葬儀に、二度ほどかかわったことがあり、そのうちの一度は、仏様を埋葬(土葬)するための墓堀りもさせていただきました。


そこは雪国ではありませんでしたが、これが豪雪地帯でのことなら、どれほどの労苦を伴うことか想像に難くありません。
お年寄りが亡くなるのは、往々にして寒い冬の時期が多いのです。


今はほとんど火葬にするので、そんな苦労は無くなったかも知れませんが、除雪車も重機もない時代に、墓に辿りつくだけでも大変なのに、数メートルの雪の下の墓を掘り出して、さらにその下に亡骸を埋める穴を掘らなくてはならないのですから、弔いを出すことは、周りの人々全員の助けを借りなければ到底成し遂げられることではありません。


人は死んで後も、こうして大勢の人にお世話になるのだと、それが分かっているから、自ずとそれは生き方にも関わってくるということになります。
集落の人々全員が家族のように濃密な付き合いをするのは、こうした苦労を分かち合っているからだと、私は想像するのです。


一方時代は下がって今、インターネット上には、趣味を同じくする人たち、気の合う仲間、同じ主義主張に盛り上がる人たちが簡単に出会えるようになり、バーチャルなコミュニティーが無数に生まれています。
現実の生活を煩わされることのない、こうした軽く緩やかな関係を歓迎する風潮は、近年益々顕著になって来ています。


しかし、自分の周りをお気に入りだけで囲って、気に入らない関係は全て遠ざけて生きるそんな傾向は、本当の社会性が育まれるためにはむしろ有害だと指摘する識者もいるのですね。
私にも、ただそれは無縁社会の裾野のようにしか見えません。


対立するものと折り合いを付け、意見の食い違いを克服し、争う相手と和解する道を探ることこそが、本当の社会性であり、平和への道筋に違いないからです。
そして家族という逃げ場のない人間関係は、実はそれを学ぶための教室なのだと、私は自分の家族を持った時以来ずっとそう思って来ました。


でも本当を言うと私は、一人でいることも嫌ではありませんし、孤独に生きることがすべて悪いとも思いませんが、どうやら人は最後まで孤独なままではいられないようだと、番組を見ていても感じたことです。


では何故このような社会が出現したのでしょうか。
それは、昨日今日に原因を探しても、誰も何も理解することは不可能だと思います。
50年あるいは100年の時間、つまり二世代、三世代さらに四世代の間の私たちの社会の流れ、また世界の潮流という外面的な理由ももちろんあると思います。


そしてまたその長い時間に、私たち一人一人が何を目指し、何を良しとし、何を望んで過ごして来たかという、内面的な理由もあるでしょう。


その両方がどちらが先と言うことはなく、複雑に影響し合って今の社会が出来上がってきたのだと思います。
いずれにせよ、そんな長い時を経て成って来た結果を、小手先で動かすことは不可能です。


昔は自分たちで弔いを出していた多くの地域でも、今ではお金さえ出せば斎場で立派な葬式が出来て、煩わしい思いをしなくて済むようになったと喜んでいる場合が多いのですから、そのようにして少しずつそして確実に人の縁は解体されつつあるのです。


一体何がそうさせているのか?
仕事でしょうか、お金でしょうか、人の欲望でしょうか・・・。
「雪の墓標」と「無縁社会」の間にある隙間を埋めるには、やっぱり50年あるいは100年かかるでしょうか。


今の世の中に、少なからぬ違和感と一種言いようもない哀しみを、どうしても自分の中から消し去ることの出来ない私です。



食工房よりお知らせ


今週のクッキーは、バタービスケット、わらいごま、ジンジャークッキー、ナッツクッキーです。


他に、新製品「くるみびすけっと・エダムチーズ入り」340円が新発売になります。


マフィンは、ココリスとスィートハートです。

山都町に新名所


画像クリックで拡大表示します。


明後日2月2日(火)、ここ喜多方市山都町の駅間近の商店街の一角に、新しくカフェが一軒開店します。

地域の期待を一身に背負って起業されたのは、秋庭千可子さんという方です。
地元の方ではありませんが、もう山都町に来てから10年。
地元のお仲間たちの強力な後押しも得て、長年の夢が実現することになりました。

そしてうれしいことに、食工房も協力させていただけることになりました。
焼き菓子の販売やメニューへの導入、そして自家焙煎コーヒー豆を使っていただけることに。


さてそのお店の名前は「千」と言います。
千可子さんの千の一文字をそのまま店名にしているわけですが、「千」という文字には元々「人」を表す形と意味があったそうで、秋庭さんはこの店に沢山の人が集うようにと願いを込めたとか。


その願いが通じたのか、開店前から早くも沢山の人が集う場所になりそうな予感がしています。



店内には、古いピアノも置かれています。
3月に、フェアリーランドのライヴコンサート
の計画も決まっています。


古い商家を手入れして、とてもシックでエレガントな店構えと内装。
そしてテーブルや椅子は、イギリス製の骨董品です。
コーヒーカップやティーカップ、ランチョンマットなどなど、隅々にまで秋庭さんのこだわりとセンスが反映されて、目も楽しませてくれます。
もちろん、コーヒーも紅茶やハーブティー、フレーバーティーなど、そしてお菓子や料理の味も、きっと期待に違わずご満足いただけることでしょう。

貧しさの中の豊かさ、豊かさの中の貧しさ

内装がボロボロになって、ところどころトタン板がむき出しになった小屋。
冬の夜は、いくら火を焚いても寒いので、入り口にも窓にも毛布や厚手のカーテンを垂らしていました。
それでも外で風が吹くと、ランプの灯が揺らぎ扉がバタンバタンと音を立てていました。
部屋に一つのランプの灯りの下、薪ストーブの周りには8人の親子。

お風呂場には外の風が吹き込み、トイレは氷点下の家の外。
家の中だというのに、白い息を吐きながら飯を食っていることもありました。

でもそんな生活の中にも、豊かさを感じる瞬間がいっぱいありました。
薪が良く燃えて、ヤカンから湯気が立ち上るのを見ているだけで、幸せな気分になれたものです。

夜半、用を足しに氷点下の外に出て行くと、どんなイルミネーションも及ばぬ満天の星空だったり、雪化粧した山や森を照らす月光白夜だったり・・・。
漆黒の闇夜もまた、妙に感動的でした。

その頃、街に住む人を訪ねると、暖かくて明るくて快適な家の中。
お風呂もトイレも何もかもが行き届いていて、頭で分かっていてもいつも新鮮な驚きを味わったものです。

この時代、私の住む国では、きれいな家と自動車が当たり前。
一人一人に行き届いた部屋。
パソコンや携帯電話、その他一人一人のための道具や持ち物がいっぱいいっぱい。
奪い合うこともなくて、皆それぞれに満足。
その代わり、譲り合う喜びと暖かい気持ちを味わうこともありません。

この間、大きなお店の中で公衆電話を探したら、見つかりませんでした。
仕方がないので店員さんに頼んで、店の電話を使わせてもらいました。
いつの間にかそんな時代になってたんですね。
携帯持っていないおかげで、この社会が決して豊かでも何でもないって分かってしまいました。

もっと便利に・・・、ただしお金を払うなら。
払わないと、もっと不便に。

歳の神・2010

毎年この時期に行われる行事「歳の神」が、当地区で今日行われました。

一昨年、昨年と、それぞれこのブログでも取り上げましたので、覚えていらっしゃる方も多いことと思います。
<参照1>   <参照2>

会津管内ではお馴染の行事ですが、似たような風習は全国各地にまだ残っているところもあると思います。
元々小正月の頃、正月飾りや古いお札などを一緒に燃やして供養し、一年の無病息災を祈願する祭礼として、地域の人々にとって重要な意味があったのですね。

今もそれは変わらないと思いますが、過疎になった集落では、この「歳の神」の行事を維持出来ないところもあるようです。
我が集落のように、盛大にまた古式ゆかしく「歳の神」を維持出来ることは、恵まれていると言うか幸せなことだと思っています。
そうです、それだけまだ地域に活力がある証拠ですから。


実は、今日の「歳の神」をテレビ局が取材するはずでしたが、どういう理由でかキャンセルになったそうで、区長さん始め張り切って準備に関わった人たちは残念そうでした。


だからというわけではありませんが、今日は写真と動画を撮りました。
大きな火が燃え上がるのは、いつ見てもドラマチックですね。
今回も、炎の中に何やら顔が浮かんでいるように見えます。
それも今回のは、ちょっと恐ろしい龍か何かのようです。



ご神体は二つ。間にしめ縄がかけ渡してあります。
松明で点火、いよいよ「歳の神」の始まりです。



もう一つのご神体にも点火。



火が回ったと見るやどんどん火勢が増して、とても近くには寄れません。



左右両方とも、迫力ある龍か何かの姿に見えるのは、私だけではないと思いますが・・・。


 


  


 いよいよ燃え盛って、中の仕掛けが弾けて炎の塊が宙を飛びます。
燃え落ちるのを待ちかねるように、人が寄って行きます。


 


 お餅とスルメを竹の棒の先に刺してかざし、焼いて食べます。
お神酒も回って来ます。子ども達にはミカンとおせんべい。
今年も、私たちはパンを焼きました。


この「歳の神」で、最初に松明をかざして火を点けるのは、年男の役目とされていて、今年は3人の方が点火に携わりました。
そして来年は、何と私の番なのです。
同じく他にもう3人の方がいらして、来年は計4人が点火係です。
考えてみると、毎年年男がいるということは、その地域の人口構成の幅が広いということですから、とてもいいことなんですね。
でも、私より少し年下の世代にかかると、急に人がいないようなのです。
こうした行事がいつまで続けられるか、それは地方の一地域の命運を象徴していると言えます。
「歳の神」もまた、この日本の社会の一端を垣間見せていると言えそうです。

ハイテク機器を泣かせる、ローテクトラブル

昨日のCDデッキの修理の顛末に絡むお話しです。

ハイテク機器と言えば、先ずパソコンでしょうか?
件のCDデッキ(プレイヤー)も、ハイテク機器の一端です。

ハイテク機器の定義があるのかないのか知りませんが、要するに主要な機能が電子制御されているもののことを言っているのですね。
しかし、いくらハイテク機器と言っても、その中には旧技術と言えるローテクのお世話になっている個所が、幾らでも沢山あって、本当に驚いてしまいます。


前に、パソコンのCPU冷却装置のファンの話を取り上げましたが、そういった例は他にもいろいろあって、高度な電子機器の中で唸りを上げてモーターが回っていたりするわけです。 <参照>


昨日修理したCDデッキは、食工房で音楽を流すために使っているものですが、元々リサイクルショップのジャンク品コーナーで買って来たもので、最初から本調子ではないものだったのです。


それがこの冬の寒さのためか、再生音がプツプツ途切れてどんどん後のトラックにスキップして、しまいには止まってしまうのでした。
ヘヤドライヤーでしばらく温めると調子良くなっていましたが、ついにその手も通用しなくなりました。


前に一度分解して目星を付けておいたので、トラブルの原因はすぐに思い当りました。


まあ手っ取り早く言えば、「油切れ」です。
ハイテク機器も、油切れで動かなくなるのです。



ハードオフ・ジャンクコーナーで3000円でした。
一応、完動品ということで買って来ましたが、
寒くなり始めたらすぐにトラブル続きに・・・。


 



道具は、プラスドライバー一本。
8本のネジを外して、開けられました。



3つの駆動系が集中している心臓部。
赤矢印は、読み取り用のレンズです。

レーザー光線を発射する光源と、ディスクから
反射して来た光線を受け取る受光素子が中に
収まっています。


クリーニングディスクも通用しないほどレンズが汚れてしまった時は、
ここを無水エタノールをしみ込ませた綿棒でこすってクリーニングします。



赤矢印は、全てレンズを動かすための駆動系パーツです。
左上の小ギャーがモーター軸。

レンズユニットを乗せているレール(金属棒)が、特に潤滑不良でした。
矢印部分すべてに給油して、手でギャーを回して何度か往復させて
油を馴染ませました。


CDデッキには、たいてい3個の回転駆動系があります。
先ず、ディスクトレーを出し入れする仕組み。
次に、ディスクを回す仕組み。
そして、読み取りレンズを動かして盤面をトレースする仕組み。
この3つの駆動系に、1個ずつモーターが付いています。
今回、最後に申し上げたレンズを動かす駆動系の潤滑が悪くなっていました(・・・と言うより、寿命かも)ので、潤滑油を注してメンテナンスしました。


これでほぼ順調に作動するようになりました。
ほぼ・・と言うのは、このCDデッキを置いてある場所が、朝など氷点下5℃以下になるような場所で、朝一番スイッチを入れた直後には、やはりトラブルが起こることがあるからです。
それでも、まあ先ず問題ないという程度に回復しました。


またしばらく使っているうちに、同じようなことになると思いますが、そうしたらまた油を注してやりましょう。
そしていよいよ部品が劣化するかすり減るかして、直せなくなるまでは使おうと思っています。


皆さまのお宅には、こんな機器はありませんか?