この時代のこの社会を、例えて言うならこうなる。
政治が、教育が、文化が、産業もまた、福祉もまた、何もかもが、不毛に見える。
そんなことはないと仰るだろうか。
そりゃあ、見かけは立派なものだ。
だが、中身がお粗末なのだ。何もかもが・・・。
当たり前だと思う。
私たちは、いつの頃からか、何の種も蒔かず、水やりもせず、ただそれまで生えていた木に成る実を、とれるだけとって何の後始末も丹精もして来なかったのだから。
では具体的に何が?と、言われるかも知れない。
この際、私など素人の分析よりも、先日ご紹介したばかりの、件のアレックス・カーがこんな提言をしているので、<参照1> あるいは < 参照2> をご覧いただきたい。
では、一体何がこれほどまでにこの国の行く末を危うくしているのか。
私は、一つは何事によらず一斉行動に走る日本人的国民性と、もう一つは日本人がもう長いこと怠惰とナルシズムに浸って来たこと、この二つに根本的な原因があると思っている。
この国は、アレックスも言ったように何もかもが破たんして、私たちのプライドも地の底まで落ちてみないことには、再生への道は見つからないかも知れない。
変わらなければならないのは私たち一人一人の中身、言い換えれば「幸福論」なのだ。
アレックスは、こんな風景が好きだろうか?
ふと、そんなことを思いました。
アレックス・カーなる人を存じ上げませんが、こんな風景は私も好きです。
日本人はと一まとめに括るのは多少抵抗がありますが、どうも自分でじっくりと考えない傾向があるようです。テレビ新聞の報道を鵜呑みにしていると、腑抜けになります。
arz2beeさん、コメントありがとうございます。
>日本人はと一まとめに括るのは多少抵抗がありますが・・・
ごもっともです。その辺は、何もかも呑み込んで、日本人は・・・と言える奥深いところでの国民性が効いているということです。
また別な機会に語らせていただきます。
お久しぶりです。
今年は例年以上に忙しく、なかなか「食工房」さんにお顔を出せなくて、こちらでは食工房さん一筋な我家なのですっかり最近パン食が滞ってます、、、パン好きとしてはもうパンが恋しくてたまらない毎日!
話はズレましたが、アレックス・カーさんの記事に共感でコメントしちゃいました。実はバイト先のオーナーと常々このような話をしているんです。
やたら汚らしい看板が立ち並び、窓を開ければ屋根屋根屋根、、なぜこんなにも窮屈にひしめき合って暮らしているんでしょうか。他にも文化や歴史の欠片もない街並み。日本人特有の自身の意見や思考力を持たず、内容のないマスコミをうのみに右往左往。
海外はといえば、余計な看板など一切ない統一された美しい街並み。 自然と街とのバランスがとれていてそのゆとりのある暮らしは人の心にも反映されていると思います。 アレックス・カーさんは今の日本の現実を早くから予測していたのに感心してしまいました。
すいません長くなりました(汗)。
普段山に囲まれた生活では考えもしませんが、帰省をする度こんなことを思います。いろんな意味で危機を感じます。
飯塚豊弓さん、コメントありがとうございました。
狭い島国に沢山の人また人。
とりあえず治まっているのが、今の形でしょうか。
良くても悪くても、我々は逃げ出すわけには行かない。
このまま持ち堪えるなら、延々と付き合っていくしかないし、腐って落ちるなら、それもまた引き受けるしかありませんね。
覚悟はしておりますよ、私。