先日、「能力より意欲」というタイトルで、過疎地域の活性化に対する私見を述べましたが、では意欲が湧くきっかけはどのようにしてつかんだら良いのでしょう。
そのヒントはタイトルにも掲げましたが、学ぶこと、知ること、そして共有することだと思っています。
そしてそこにまず必要なのは、情報です。
情報と言っても、テレビや新聞雑誌が伝えるものとは限りません。
むしろそんなものよりも、当事者が発信している生の貴重な情報に触れることが、一番大切なことです。
しかし、地方のそれも辺境に来ると、そんな情報に触れる機会は滅多にありはしません。
そして貴重な情報を共有する機会や場も、やはり身近なところにはないのですね。
学校を出て一旦社会人になったら、もうバラバラにそれぞれの生業に追われて、顔を合わす機会さえ少なくなってしまいます。
地域の活性化を語り合おうにも、これではどうにもなりません。
ならば、情報を運ぶ役目を担う人がいれば良いのではないかと思います。
そして、身近なところに場があって気軽に足を運べるなら、共有することも出来て行くと思うのです。
今この国は、大きな転換点にあります。
これから人口は大きく減少に向かいます。
ということは、産業や経済の力に頼っても、恩恵は無いかも知れないということです。
それよりも、この間申し上げたように、「土」という枯れることない資源を生かして暮らす術を取り戻す方が、よほど現実的だと思います。
極端な例えかも知れませんが、仮に日本の経済が破たんして皆が一文無しになったとしても、「土」さえあれば、ほとんど何も困ることはありません。
そういう意味で、土地を企業の手に渡してしまったら、もうお終いです。
一方高齢化でも、健康なら一向差し支えありません。
それに、すでに少なからぬ若い人たちが、過疎地に目を向けて訪ねて来ている現状を、生かさない手はありません。
必要なことは、地元の方々がもっとその現実から学ぶ機会を得られるようにすること、それを地域で共有することです。
過疎地とは、ある意味時代の先進地であると認識し、自負を持って暮らしたいと思う私です。
優れた企画と共有の場は、何としても必要です。