40年も前に統合閉鎖された分校跡の記念碑
分校は、もはや使われることもなく、朽ち果てるのを待っている。
このショッキングな台詞は、今の日本の山間僻地の状況を言い表しています。
高知県の私の生まれ故郷の辺りでも、この言葉がピッタリ来る場所が沢山あります。
先日ご紹介申し上げた、従兄のブログの記事<こちら>の中で触れられていたように、子どもの姿を見かけなくなったそうした場所は、この日本の至る所にあります。
そして、用の無くなった小さな分校はもちろん、本校であった学校までもが閉鎖され、老人集会施設に様変わりしていたりするのですね。
やがてそれも、人口減少の末にまたしても無用となり、消滅を迎えた集落と共に打ち捨てられることになるのでしょうか。
今多数を占めている高齢者が、自分たちの老い先ばかり案じて、若年者や子ども達に対する配慮を欠いたのでは、その社会に未来はあり得ないと思います。
あと十年もすれば、成す術もなく消滅を迎える地域が続出するはずです。
消えて行くならそれはそれで受け入れるしかありませんが、人の世の続く限り失いたくない大切なものが、そこにはある、あった、それを未来を担う人たちに今のうちに受け継いでおいて欲しい、また確と記憶に留めておきたいと思っている私です。
14年間の山暮らしの記憶が、私の中で警鐘を鳴らし続けています。