会津の歴史と言っては、せいぜい観光パンフレットに書かれている程度のことしか知らない私ですが、先日、ある観光パンフレットを見ていたら、蒲生氏郷という人物のことが載っていました。
この人、会津若松の町を拓いた始祖なのですね。
戦国武将織田信長の家臣で、行く行くは信長の後継者と目されていたほどの人物だったそうですが、信長が暗殺されその後豊臣秀吉の時代には、その有能さゆえに妬まれ、あるいは警戒されて、都を遠く離れた東北会津の地に左遷されたというのが、この人が会津の地を踏んだ経緯であったようです。
氏郷は、会津に理想の国づくりをしようと、そこを出身地にちなんで「若松」と名づけ城を築き、創意に満ちた街づくりに着手します。
こういう話を聞くと、私は、何と言うか血が騒ぐんですね。
あるいは、遠い前世の記憶が呼び覚まされるような、まあ、ありもしないバカバカしいと言われればそれまでですが、そんな感覚にはまってしまうのです。
新しい領主がやって来て国を拓くという話しは、そう珍しくはないのですが、会津の地の利というのは、今想っても何とも魅力的です。
笑われるかも知れませんが、私は時々、独立国「会津」を夢想することがあります。
いや、決して悪くないと思いますよ・・・「会津国」。
政治的なことはともかく、資源、エネルギー、気候風土、どれをとっても、十分に独立国としてやって行けるだけの資質に恵まれていると思います。
そんな話を、時々、店の常連さんと交わして盛り上がる私です。
でも、一方でふと思うんですね。
言わばよそ者がやって来て拓いた「会津若松」を、元からこの地にいた人々はどんな風に感じていただろうかと・・・。
今となっては、会津生まれの人だって、そんなことは思いもかけないことでしょう。
そんなことを思うのは、私がよそ者だからかも知れませんね。
「会津国」じゃなくて「会津藩」でしょう。前の職場でも、どうせ合併するなら喜多方市じゃなくて会津全部で合併して「会津藩」にしてしまえ、なんて話してましたよ。次の合併では冗談ではなく本当にそうなるでしょう。そうなったら、「市長」じゃなくて「殿様」?
隣村のみみずさん、コメントありがとうございました。
そんな話しがあったんですか。
でも私が想像しているのは、本当の独立国会津ですよ。政治的なことは考慮してませんけど、君主国家じゃないことは確かです。