代替という言葉の意味から理解出来ることは、「何かの代わり・・・」と言うことですね。
では一体何に代わるものかと言うことになりますが、温暖化に影響を与えている石炭・石油など化石エネルギーの代わりと言うなら、原子力も代替エネルギーに違いはない・・・。
ですが、環境破壊因子を含むと言う意味においては、化石エネルギーも原子力エネルギーも同じ位置付けですから、それに代わるものとして、風力や太陽光など自然エネルギーと呼ばれるものの利用が考えられ、普通それらのことを代替エネルギーと言っています。
それにしてもそれらの代替エネルギーは、まず電気として利用出来ることが前提です。
昔は、水車や風車で直接製粉したり精米したり、他にも沢山の仕事を、自然エネルギーを利用してやっていたわけです。
機械的物理的効率は、これが一番良いわけで、ただ人間にとって扱いが面倒くさかったのですね。
だから、電気の発見とモーターの発明以後、人々はもうそんなものを使う気にはならなかった・・・。
その発電も最初は水力中心で、一部には風力もありました。
電力利用黎明期には、小規模の水力や風力その他、様々な発電方法が民間ベースで利用されており、私の世代でさえその記憶を聞き及んでいます。
その後、効率を上げまた安定性を獲得するために大規模化が始まり、川をせき止めるダムと大きな発電所を作る事業が、どこの国でも国家事業として進められました。
水資源開発は、同時に電源開発と呼ばれていた時代が長くありました。
それが行き詰って、火力の利用になりました。
石炭火力は水力の代替であり、石油火力は石炭火力の代替だったのですね。
そして原子力へ・・・。
そしてまた、再び自然エネルギーに目を向けているわけですが、私には、どう考えても代替と言えるほどのものになるとは思えません。
今私たちが利用しているエネルギーは、あまりにも巨大過ぎる・・・。
それでもまだ、更なるエネルギーの確保や効率化を望んでいるのです。
それが叶うかどうか知りませんが、そんな欲求をまずキッパリと捨てないことには、私たちはこの地球と仲良く生きて行くことが出来ないように思います。
代替エネルギーを求める発想は、根本から出直さなくてはならないのではないでしょうか。
14年の山暮らしの間、エンジン発電機や太陽光発電の貴重な電気を使いながら感じたことは、どうしても電気でなくては用が足せない仕事以外は、電気を使わない暮らしをする方が理に適っているということでした。
尤も、多くの人々が今更そんな生活に堪えられるかどうか、甚だ疑問ではありますが・・・。
ま、それはそれとして・・・。
一方で代替エネルギーを考えるとしても、根本的なところから発想を転換しなくてはならないと思います。
何しろ件の原子力など、熱源を核反応に頼っている以外は、基本的に熱効率30%の蒸気機関ですからね。
もうこれ以上の原発の稼働は止めにして、どの道すでに大量に存在する使用済み燃料の放射線と付き合わなくてはならないのなら、放射線で発電する電池を発明して、使用済み核燃料と一緒にしておけば、たとえ微弱であれ管理しながら電気も得られる・・・なんてうまい具合に行かないものでしょうかね。
子どもみたいな空想かも知れませんけど、放射性物質も天然資源には違いないのですから。
何か理に適った正しい使い方と許される使用量があるのだと思う私です。
机上の計算では、太陽光パネルが四国の面積ほどあれば、日本中の電力需要をまかなえるそうです。
ただ、太陽光発電は夜間はお休みだし、天気にも左右されます。
それでも、太陽光パネルが大々的に普及すれば、例えば夏の昼間の電力需要ピーク時は、太陽光も一番活躍しますから、電力会社の負荷を劇的に軽減することができると思います。
そうすれば、電力会社もピーク時の電力供給に合わせて過剰な設備投資をする必要がなくなり、ベースロードの供給を保証するという方向に進めばいいことになります。
発電設備が過度に集中している状態から、適当に分散することで、いろいろなリスクも軽減できると思います。うまくいけば、原発に頼らなくてもよくなるかもしれません。
そして、太陽光パネルを設置するとどこの家でも節電に励むようになる効果もあるそうです。
(売買電で、黒字にしたい意欲が働くため)
いずれにしても、これまで湯水のように使ってきた電力を考え直すには、いい機会かもしれませんね。