※習慣コーヒー通信は、お休みします。
今回は、今は亡き私の父の話です。
私が小さい子どもの頃と言えば、戦争が終わってやっと十年を過ぎた頃で、まだまだ人々の心にも、周りの風景にも、戦争の記憶が色濃く残っていました。
正月に、大人たちが集まって酒が回ると、必ずと言って良いくらい軍歌を歌い、戦争の時の話をしていました。
話の中身は、子どもの私にはよく分かりませんでしたが、ある時、どうやらそれは中国人たちのところへ物品を徴用しに行った時の話のようでした。
中国人たちが戸惑う様子を、面白おかしく話していました。
ゲラゲラと大きな笑い声も聞こえていました。
父は、そんな話にただ愛想笑いを返しながら、黙って聞き役に回っていました。
父は、戦争前18歳の時、単身旧満州に渡り満鉄(満州鉄道)に入社しました。
鉄道学校で研修の後機関士になり、途中現地で応召入隊し、朝鮮半島で警備の任務に着いたこともありましたが、その後は復員するまでずっと鉄道員でした。
その父の戦争の話は、ほとんど満鉄の汽車の話ばかりでした。
今も、古い写真帖には、鉄道マニアが喜びそうな大型の蒸気機関車と一緒に若き日の父が写った写真が、何枚か残っています。
そんな父に、一度だけ恐ろしい話を聞いたことがあります。
何かの話のはすずみで、昔は侍が人の首を斬ったものだという話になり、私が、首を斬られたら人間はどんな風になるのかと尋ねたところ、父はそういう写真を見たことがあると言いました。
首を切られて血が噴き出していたり、胴体を切断されて背骨がむき出しになっている写真だったそうです。
終戦の頃、父は、夥しい数のそういう写真を、コンクリートで固めて処分する作業をさせられたそうです。
その時は、怖い話だと思ってそれきりでしたが、後年私が大人になって父も亡くなってからのことですが、ひょっとしてあれは、かの悪名高き731部隊の証拠隠滅に借り出されたということではなかったかと思い当たりました。
その戦争が終わってもしばらくの間、父は、捕虜となってシベリアに送られて行く、友軍の元兵士たちの輸送に当らねばなりませんでした。
そしてその命令を解かれ、やっと日本に帰って来られることになった時のことが、父の遺品の中に見つけた小文の中に語られていましたので、紹介させていただきます。
「夏の想い出」
昭和二十一年七月、私達は祖国へ引き揚げる為、中国コロ島の港に集結していた。
乗船の日が来て、私は引率していた三百名近い、旧満鉄青年隊員と一緒に、真夏の太陽が容赦なく照りつける岸壁の広場で、中国軍から所持品の検査を受けていた。
検査が終わると青年将校が、私のところへ来て日本語で、「お尋ねしたい事があるので、集合させて欲しい。暑いので木陰のあるところがよいでしょう。」と言う。
言われたとおり木陰に集まると、腰を下ろして楽な姿勢でとすすめ、「今、貴男方の持ち物を検査しましたが、理解に苦しむことがある。それは、貴男方の荷物の中には一冊の本も見当たらない事です。どうしてですか。」と尋ねた。
皆黙っていると、私に、「貴男は、本を持つことを禁じたのですか。」と言う。
「食料品や日用品が、より大切と思いましたので。」と答えると、「それは解ります。しかし、煙草だけはみんな沢山持っておられるようだが。」と言われて、返す言葉はなかった。
「乗船までは時間があります。少しお話しましょう。貴男方は、戦争に敗けたからと言って、何もかも間違っていたと投げ出してしまうべきではない。我々が敵とするのは、日本の軍国主義であり、貴男方人民を憎む理由はない。我々青年は、互いに手をたずさえてゆくべきであり、朋友である。日本へ帰ったら、持つべきものと棄て去るべきものの選択を誤らないよう、新しい日本を再建してください。いつの日か、又会いましょう。」
以上のような要旨であったが、心の底から参った、参りましたと、魂に灼きついた。
あの時から三十年の歳月は、日本を世界の経済大国に成長させ、中国も世界列強の一つに飛躍した。
中国孤児が、日本に帰りまた訪れ養父母を語る時、あの日彼が言った、貴男方人民を憎む理由はないと言った言葉の真実を尊く想う。
日中互いに手をたずさえ、友好平和に邁進しつつあるかにみえる最近、「軍国主義は中国の敵」と、大陸から冷たいコールが、今年の夏を例年にない低温にしている大陸高気圧の張り出しにも似て、日本に届いていることを残念に思う。
我々は、彼の言った、棄て去るべきものの重大さを、中国の人の立場から、もっと深くかみしめるべきではないだろうか。
(昭和57年8月12日、NHK松山放送局・午後のロータリーにて放送さる。)
何度も読み返しています。
胸にまっすぐにつきささるような思いで読み返しています。
『持つべきものと棄て去るべきものの選択』ということばが残ります。
よませてくださって、ありがとう。
bakuさん、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。