放射能汚染に対する身の処し方を言うなら、避難か共存かのどちらかであり、除染は出来そうで出来ない永遠の課題みたいなものだと、私は思います。
今、除染という巨大な事業の利権に、ありとあらゆる業者が群がっています。
しかし、実際に試験的に除染をして見て分かっていることは、高い汚染度をある程度まで下げることは容易だが、そこから先を平常値に近いところまで下げるのは、気が遠くなるほど大変だということです。
数μSv/h以上あるところを1μSv/h以下にすることは出来ても、例えば0.8μSv/hを0.1μSv/h以下にすることは、とても難しいのです。
さらに除染の際に発生する、放射性物質を含む大量の残土や瓦礫の行く先については、まだ何の見通しもないのですから。
それに、今現在も微量でもフォールアウトは続いており、風向きや天候によっては、汚染の積み増しもあり得るのです。
ちょっと<こちら> ※数値の単位によく注意して を見てください。
だとしたら、小さい子ども達や妊婦を含む家族は避難した方が良いわけで、いつまでも自主避難に任せておくのではなく、そのための施策が検討されるべきだと思います。
一方、成人や年配の人たちの中で今さら移住はご免だという方々には、放射能との共存という選択もあって良いと思います。
その場合、どの程度までなら共存出来るかが問題となりますが、これは本人が良くても、様々な社会的サービスをサポートするために出入りして被曝する人がいることになりますから、やはり線引きはしなくてはならないでしょう。
その時初めて、除染をどうするかということになるのだと思います。
つまり、覚悟の上で共存可能なラインまでなら、どの場所でも割合簡単に達成出来るレベルだと思えるからです。
ところでこの前、「コストに見合わない人々」、つまり私たち福島県民のことだと申し上げましたが、それが今、ある方々とっては、大変コストに見合っているまさに「旬」の人々なのですね。 <こちら>を見てください。
恐れ入りました。
人を疑うのは悲しいことですが、いつまでもバカではいられません。
「あひるのジマイマ」のお話し、知ってますか?