脱原発に関する考察

脱原発賛成です!
大いに進めていただきたい。


それはそれとして、脱原発と一口に言いますが、それがどれほど膨大な過程を経なくてはならないものであるか、私たちは十分認識しているとは言えないのではないでしょうか。


そうです。
単に原子力発電を止めたからと言って、脱原発というには当たりません。

原子炉は、稼働を止めてからも長い時間冷却管理しなくてはならないし、廃炉にいたるプロセスは未だ技術開発中です。
使用済み燃料や原子炉とその周りの構造物は、いずれも高濃度の放射性物質ですから、その後始末にどれほどの時間とコストがかかるのか、実際のところ誰にも分からないというのが正しい認識です。


稼働している時は、一基で一日数億円の利益を上げると言われる原子炉ですが、止まってしまえば今度は、その後の管理と処理に毎日億の金がかかるでしょう。


そもそも原子力発電のコストには、寿命後にかかる費用は計算されていないのです。
安い電力を利用で来て万々歳と思っていたことが、いかに能天気でお目出度い考えであったか、この度の福島の事故をきっかけに露見してしまいました。



原子力発電は、建設と稼働中の維持にかかる費用よりも、寿命後の後始末にかかる費用の方が多分ずっと大きいのです。


そこで、プルトニウムを再利用して核燃料サイクルを確立すれば良いという計画でしたが、こちらは理論上可能でも、とてもじゃありませんが実用化するには危険過ぎる技術です。


結局、原子力発電を止めたらその途端、莫大な負担だけが残るのです。


だから電力会社も国も必死なのです。

何しろ、エネルギー作戦としての原子力利用は、初めから失敗だったのですからね。
こんな大失敗をして、誰もその責めを負いたくはないのです。


かくなる上は国民の我々も、今まで安い電力を使いたい放題使って、オール電化を享受して来たツケくらいは払わにゃならん!ということです。


脱原発とは、つまりそういうことなんじゃないでしょうか。


それを、これから再生可能エネルギーで何とかなると思わせる宣伝でごまかして、またしても巨大利益誘導装置を仕掛けようとしていますね。


そもそもエネルギーは再生出来ないので、その呼び方は不適切。
ならば、自然エネルギーですか。
しかし今の発想では、先へ行って必ずコケます。
山の中で14年間、電力を自給して暮らした私には、それがよく分かります。


今ごろ、実は石油は余ってたんだよ!と分かっても残念ながら遅いのですね。


件の巨大利益誘導装置は、自己増殖するもののようです。