少し前になりますが、私はこのブログで、この度の原子力災害に関する補償を要求しないことを申し上げました。
その理由の一つとして、どの道税金がつぎ込まれるのであり、最後は増税という結果となって自分たちの所に還って来るから、と申し上げました。
しかし、それとは全く違う別な理由もあったのです。
そういうことについて、出来れば触れたくなかった。
書けばきっと要らざる誤解も生まれるに違いないと思ったからです。
しかし、同じような思いを持つ方は少なからずいらっしゃるようで、またそのまま黙っていてもいつかは巻き込まれることになるかも知れない。
そんな思いから、書き始めています。
今回原子力災害では、この福島県はいくつかのエリアに色分けされました。
汚染の程度、半径20kmあるいは30㎞という同心円、浜通り・中通り・会津という三つの地域、またさらにもう一つ特別避難勧奨地点というものも設けられました。
そしてこの福島県をはっきりと色分けしているものの一つに、補償の出方の違いというものがあります。
それが放射能という目に見えない、また科学的にも解明の不十分なものに関わるものだけに、個々人の感じる受けた被害の程度と必ずしも相関していないことが、問題を複雑にしゆがみを生み出しています。
不公平感はどうしたって生じます。
ある程度は仕方ないとしても、それが原因で関係者の間に分裂と憎悪の構造が生まれてしまうことは、とても残念なことです。
以前私が住んでいたことのある川内村は、当初警戒区域と緊急時避難準備区域の二つに色分けされ、全村避難の決断をして郡山市に一年間村の本拠を置きました。
そして一年経って帰還宣言をして、村役場もまた元の場所に戻りましたが、村民の帰還は思うように進んでいません。
何故でしょうか。
いろいろなことが言われていますが、最近まで川内村に在住で震災後「裸のフクシマ」という著作を出版された、たくきよしみつさんという作家さんが、ご本人のブログの中で、この補償のあり方や受け取る側の態度に問題の根本があると指摘しています。<参照>
先ずは実際にご覧いただきたいのですが、この中でも語られているように、福島県人同士が憎しみ合う構図が生まれてしまったことに、私は正直いたたまれない思いです。
そして、県外の人もようやくそのことに気づき始めた・・・ということは、福島県全体が他県から同様に憎まれる構図へと進展して行く懸念があるということです。
もちろん、そのような対応をする人ばかりでないことは分かっています。
それが大きな誤解に基づくものであることも分かっています。
しかしだからと言ってそのままにしておけば、後々良い結果を生まないことだけは確かです。
私が補償を要求しないつもりだと申し上げたのは、そういう土俵に乗りたくないからです。
私はこれまでずっと、国の無策、東電の無責任ということを申し上げて来ましたが、どうやらそれどころではないようです。
何もしないよりもっと悪い、無責任よりもっと酷い、明らかに悪質な行為を繰り返しているのではないか、このままでは日本という国が壊れてしまう・・・、そう思えてなりません。
今、福島県は助けを必要としています。
これから先何十年間も・・・。
それは間違いありません。
ですが、助けてもらう前に、ありのままを見てもらい知ってもらうこと、それが何より先だと銘記して終わりたいと思います。