定休日だからと言って、のんびり過ごしたいわけではありませんので、今日も結構激しく動いていました。
小屋建て現場では、看板の絵を別な場所に移して仮設置し、辺りを片づけてすぐ後ろに覆いかぶさるように伸びていた桐の木を伐採しましまた。
そのままでは電線に引っかかってまずいことになりそうだったので、先に届くところまで梯子をかけて上り、そこそこ太い枝を何本か手鋸で切り落としました。
それからチェーンソウで、根元からズッパリと倒しました。
木を伐るというのは、動物を殺すのとは大分違うと思いますが、それでも命を絶つ行為に違いはないので、それなりに気合いを入れてやらないと、怪我をすることもあります。
それにしても、チェーンソウで木を伐るというのは、何だか手軽過ぎて木には気の毒に思えます。
山暮らしをしていた時から、もう何本木を伐ったかとても数え切れませんが、全部ではないにしても、伐った木のことは不思議とよく覚えています。
厳しい命のやり取りをした木ほど、当然のことながら記憶は強烈です。
ああ、木こりもいい仕事かも知れない・・・と、今ふと思う私です。
さてその後は、また畑で草取りでした。
これがまた私にはいいのです。
無心になって、ひたすら草をむしり続けます。
作物の育ちの邪魔にならぬ様、望まれない草はここでも次々と命を絶たれます。
その甲斐あってか、ここ数日の間にも明らかに逞しくなったとうもろこしを見て、ニンマリとする私です。
もちろん食うために育てているのですから。
このようにして命は巡り巡っているのですね。
巡り 巡る 命よ
一椀一皿の 食べ物となって
私の命となって
生きてください
私の食前の祈りです。